京都の桜 嵯峨野大覚寺 華道祭の日(いけばな展)
|Posted:2017/04/28 05:08|Category : 大覚寺|
2017年4月8日、京都嵯峨野大覚寺華道祭の日の風景です。
表門から入って、式台玄関、長い回廊を巡って、宸殿(しんでん)、御影堂(みえどう)、五大堂(ごだいどう)と進みました。大覚寺は、嵐山渡月橋から少し遠くにあるためか、観光客がそれほど多くなく、春夏秋冬を通じて境内や大沢の池端の散策で、心が癒される場所ですが、この華道祭の日は、いけばな嵯峨御流の表彰式や、数多くの展示がが行われているためか、大型バスも乗り入れて結構混雑します。土曜日だったので、桜見学の旅行者も多かったと思います。
嵯峨御流のHPによると、「平安の初め、嵯峨天皇が大覚寺の大沢池で、菊ガ島に咲く可憐な菊を手折り殿上の花瓶に挿されました。...」と書かれています。平安時代からの歴史のある「いけばな流派」で、今も盛大な華道祭が催されていることに驚きです。
大覚寺のHPには、「宸殿(重文)は徳川2代将軍秀忠と浅井長政の三女であるお江の間に生まれた東福門院和子が女御御殿の宸殿として使用していたもので、狩野山楽筆の牡丹図・紅白梅図(重文)などがある。」と書かれています。
広い部屋の襖絵の前にずらっと並べられた現代いけばなの風景は壮観です。
表門から入って、式台玄関、長い回廊を巡って、宸殿(しんでん)、御影堂(みえどう)、五大堂(ごだいどう)と進みました。大覚寺は、嵐山渡月橋から少し遠くにあるためか、観光客がそれほど多くなく、春夏秋冬を通じて境内や大沢の池端の散策で、心が癒される場所ですが、この華道祭の日は、いけばな嵯峨御流の表彰式や、数多くの展示がが行われているためか、大型バスも乗り入れて結構混雑します。土曜日だったので、桜見学の旅行者も多かったと思います。
嵯峨御流のHPによると、「平安の初め、嵯峨天皇が大覚寺の大沢池で、菊ガ島に咲く可憐な菊を手折り殿上の花瓶に挿されました。...」と書かれています。平安時代からの歴史のある「いけばな流派」で、今も盛大な華道祭が催されていることに驚きです。
大覚寺のHPには、「宸殿(重文)は徳川2代将軍秀忠と浅井長政の三女であるお江の間に生まれた東福門院和子が女御御殿の宸殿として使用していたもので、狩野山楽筆の牡丹図・紅白梅図(重文)などがある。」と書かれています。
広い部屋の襖絵の前にずらっと並べられた現代いけばなの風景は壮観です。