素直に思ったことを言えば「綺麗事」とおまけに草まで伸ばした言葉で返される環境で生まれ育ち、避難するように空想の中で生きてきた。
そんな私だが”忘れられない景色”というものは本当に存在するんだ、と心から思えた瞬間が2024年にやってきた。
ライブをしながら自分の中の「冷笑」というものがボロボロと崩れ落ちていった。そこに残るのはただただ、かけがえのない綺麗な景色だけであった。
まさにぐるぐると回る日常に”一直線”が見えた。そんな気がした。
◯
12.07「たまこラブストーリー 10th Anniversary TAMAKO Music Party」。
声優の田丸篤志さん洲崎綾さんの朗読に生バンドの劇伴演奏が織りなす、唯一無二のアニメライブイベントだ。
私は「うさぎ山バンド」のギターとして出演させていただいた。
ライブ当日までは不安だった。
しかし、不安は練習の量で誤魔化すしかない!と古き良きオールドスクールなマインドで高校生の時ぶりにギターと日々を過ごした。
譜面も全部暗譜した。共演する大好きな皆さんと当日来られる皆さんととにかく楽しみたかったからだ。
そして、このアニメの曲を手掛けられた片岡知子さんに「どうだ!?」とドヤ顔を決めたい、そんな密かな目論見があった。
吉田玲子さん脚本によるその後のストーリーも本当に素敵であった。
ライブ中、何度か重力が消えていくような瞬間があった。
一回めのピークが「やさしい雨降り」という曲の時にやってきた。
マニュアル・オブ・エラーズ、そしてリーダーであり、私の音楽の師匠山口優さんと一瞬目が合う。
本番まで何度も山口さんのご自宅の作業場にお邪魔して何度も練習した。
演奏にゆっくりうねりが増していく。そして、田丸さんの朗読により体感したことのないグルーヴが会場全体に響き渡った。
その時、私は無重力を感じた。
ライブを終え、生まれて初めてやり切った感覚を覚えた。もちろんミスや拙い部分も多くあっただろう。
しかし、ちゃんと片岡さんに「どうだ!?!?」と言えた気がした。
楽屋に戻ると、片岡さんの旦那さんであるLI'L DAISYの岡田崇さんがやってきて「土屋くん、すごく良かった」と声をかけてくれた。
その一言が鳩尾にグン!!と入り泣きそうになった。
普段は「MURABANKU。は女性ファンが少ないよね〜」だったり「PayPayまだやってないの〜?」などお茶々をいただき「いやいやいや!!」などと私はヘラヘラしてしまうのだが、この一言は真剣に受け止めさせていただいた。本当に嬉しかった。
端っこで演奏していたギターの身で大袈裟すぎるかもしれない。
けれど、私自身高校生の頃より「たまこまーけっと」のヘッズであり、持っているたくさんのリスペクトはできるだけ込めて、命をかけて挑みたかった。
◯
2013年に放送された京都アニメーションの「たまこまーけっと」。そして翌年銀幕にて「たまこラブストーリー」が上映された。
当時私は、まさにたまこともち蔵と同い年くらいでアニメに没頭していた。
学校生活は退屈だった。
特に好きな子ができるわけでもなく、自然と生まれるスクールカーストもくだらねえなと、ただご機嫌なみんなの部外者であろうと立ち回った。
そんな中でも奇跡的に好きなモノを共有できる友人もできて、そこでは素直にいけしゃあしゃあと過ごすことができた。
しかし、時に友人に誘われて大人数のカラオケに行くも、得体の知れぬ陰を撒き散らしてしまっていたのか「大丈夫?楽しめている?」と友人に手間を取らせてしまうこともあり、好きでも嫌いでもないのだけど向いていないのだな、と大人数の場は諦めることにした。
そういった様子を当時は「ネガティブ」だったり「陰キャ」と括られていた。
しかし、今になって気づいた、実は私は──アドレナリン中毒であったのだ!!!(キャーーーーー)
そして、私をそうさせたのは京都アニメーション!!!!(ワーーーーー!!!)
◯
街に繰り出しみんなが通うアパレルに行くよりも、私は部屋でキャラメルコーンを食べながら「らき☆すた」のDVDの特典映像を観ることのほうが楽しかった。刺激的であったのだろう。
それもそう、昔からディズニーが好きで、特典映像にあるアニメーターの方々のドキュメントが本編と並ぶくらい好きで、ずっと制作側への漠然とした憧れがあった。
モノ作りに宿る魂、それこそが何よりも刺激的で気持ちよかったのである。
「らき☆すた」のEDを皆さんは知っているでしょうか。アニメなのにEDが実写。それもすごく内輪ノリ。しかし、そのラディカルさたるや!!
特典映像では、そのEDのドキュメントが収録されており、北海道ロケと冠して武本康弘監督と声優の白石稔さんの行き当たりばったりで過酷なロケをクリアしていく様を観ることができる。
恋愛するよりも「らき☆すた」の特典映像を観ることのほうが楽しかったと言うのは、いろんな意味で結果論かもしれないが・・・。
このアニメ含み”モノ作り”は私にとって漠然とした目的になって光っていた。
その頃、ipod nanoでは「けいおん」と「たまこまーけっと」のサントラばかりを聴いていた。
それから1番好きな声優さん藤原啓治さんがパーソナリティを務める『荒川アンダーザブリッジ』のラジオも何回も繰り返し聴いていた。
私にとって音という存在は退屈な日常を過ごす中でのパワードスーツだったのだろう。
◯
それから数年経ち、岡田崇さんが細野晴臣さんのラジオでかけられた「ヘタジャズ」を大学に向かう中で聴き、スッとインストバンドをやろうと思い立った。
MURABANKU。を愛知で結成して、数年後に闇雲な中上京してただ活動を続けた。
すると「ヘタジャズ」のレーベルぐらもくらぶのRECに呼んでいただけて、その現場で岡田さんと初めてお会いすることができた。
その後、渋谷宇田川町の喫茶SMiLEにて片岡知子特集のイベントへ行き、山口さんとも初めてお会いしてレコード屋さんをお手伝いすることになった。
2022年、サブスクで一番聴いた曲が「ねぐせ」。自分でもびっくりした。そのタイミングでぐうぜんお会いできたこともびっくりした。
山口さんとの雑談やアツい話で、自分の星の元が確認できた気がした。私にとって偉大な人である。
それから、MURABANKU。が新体制になることが決まり、新メンバーでシークレットライブをSMiLEでやらせていただけることになった。
過酷な練習スケジュールをみんなでなんとか乗り越え臨んだ新体制初めてのライブはかなり刺激的ですごく楽しかった。
そんなとある日、終演後山口さんと中村Pに呼ばれ、なんだ・・・!?と思ったらライブのオファーをいただけた。
えええええええええええええ!!!
私は細野さんやSAKEROCK、そしてたまこまーけっとのサントラによりワールドミュージックの扉が開かれ音楽をやっている身なので、飛び上がるほどに嬉しく驚いた。
そして、本番はほぼ一年先。守秘義務を守れるだろうか・・・!!(死守いたしました!!)
ヲタクの心はそっとしまってプロフェッショナルとして臨みますとお伝えした。(結果、はみ出てしまったかもだけれど・・・)
帰宅後、まずやっていかねばならぬことをノートにダダダと書きなぐった。スキンケアを徹底する…(インスタのハイライトに全ては残した)、ちゃんとプレイヤーになる…、歪系のギターを使ったことがないので研究する…などなど。
1日3時間は練習すると決めて、結果情けなくも腱鞘炎となり、電撃的な痛みが走らないコードの押さえ方も研究するという+αまで生み出してしまった。
◯
ライブの前日、急遽実家のある愛知県へ戻った。
じいちゃんが亡くなってしまったのだ。
いつも白パンで車高の低い車に乗り、エスカレーターに乗る時はいつも片足を一つ上の段に乗せて格好をつける。
いろんな喫茶店へも連れて行ってくれ、私が喫茶が好きになるきっかけも作ってくれた人だ。
幼い頃一緒に海へドライブした時は「カモメにお酒を飲ませたらどうなると思う?」と聞かれ、何を言っているんだろうと?を浮かばせたら「真っ赤になってフラフラ飛ぶんだよ」とじいちゃんは言った。幼い私でさえ、しょうがねえなと思い大爆笑したことを今でも覚えている。ゴキゲンでカッコいいじいちゃんだった。
成人した時に銀の腕時計をもらった。じいちゃんには申し訳ないけど、当時私は腕時計をしている同級生を馬鹿にしていたためつけられなかった。
なんて思いながら、実際付けてみてもMarvelのTシャツばかり着ている私には全然似合わなかった。
サンタナが好きだとCDを借りたこともあったが、私はその良さの全部を理解することはできなかった。
はぁ、なんか喜んでくれるようなことできたかな・・・と下手に流れる尾張の車窓を眺めた。
それと同時に時は進んでしまうんだなと恐ろしくも感じた。
◯
数年ごとに「たまこまーけっと」「たまこラブストーリー」を見返す。
その中でも数年前、映画館での再上映を観た時にハッとした。
あぁ、この作品はグリーフケアの物語なのかもしれない。時の流れという身体的な、また心の成長の話。
たまこが日常というぐるぐるを過ごす「まーけっと」(アニメ版)。
そして、恋愛ないし”愛”という直線によって、そのぐるぐるから次に一歩を踏み出す「ラブストーリー」(映画版)。
たまこは母を亡くしている。その描写は作中にあまり出てこないが、EDを改めてじっくり観た時にハッとした。
赤色に白のドット柄。「きっと忘れないよ」という歌詞。
びびびと鳴った。映画館を出た時にこの映画に共鳴している何かが少しわかったような気がした。
ぐるぐるな中に実は見え隠れしている突破口。そして、きっと忘れない。
それを大切にしていこうと決めた。
◯
グリーフケアとは、実際の言葉としては死別した、喪失の体験をした人に寄り添いケアすることだ。
本来の言葉の意味とは外れてしまうが、創作物というものはまさに味方が誰一人もいない私にとってグリーフケアをしてくれた存在なのだ。
幼い頃からの自分自身の喪失や悲しさ、辛み諸々はきっと理解されないだろうと家族にも友人にも相談してこなかった。
私の日常にずっとある虚無感や喪失感。その溝を埋めてくれ、さらに社会との関わりも持たせてくれたものが私にとってのアニメーションなのである。
もちろん、音楽や漫画映画もそうなのだが、もう感謝とリスペクトしかないのだ。
じいちゃんからもらった銀の腕時計はポッケに入れてライブの本番に出た。
初めて、お客さんとその頭上に向けて音を届ける気持ちで演奏した。
絶対届けてやると思った。現に、中村Pがノリノリに踊ってくれている!
サンタナのような泣けるギターは弾けないが、妙にへっぽこでゴキゲンなギターは弾けるよと。
◯
あの日あの会場で一人という意識が少しなくなった。
お客さんの熱量やエネルギーそして優しさがものすごかった。
もう、みんなでサイゼに行き「みどりちゃんは今、銀行で働いているに違いないよッ!」などとお互いの想像を語りたいくらいであった。
ニュートンよろしく「いつもそのことばかりを考えていた」。その強度を目の当たりにした。
そうだった、あの会場にいた皆さんから溢れるものたちは。それによって生まれるエネルギーは魔法のようだった。
あぁ、楽しかった!!
風の吹く先をちょっと信じて生きていこう。
そう思えた伝説のライブでした。
ぐうぜんみなさんと会えて本当によかった。そのまたいつか合流しましょう。