稗之底村の謎、再検証 : 木洩れ日の森から
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2012年 08月 19日

稗之底村の謎、再検証

先日行った井戸尻考古館で立ち読みし、購入した書籍
「蘇る高原の縄文王国」井戸尻文化の世界性 
同考古館の編纂になる2002年7月20日から11月24日までの間に当地で催された講演会、座談会
をまとめた講演録集なのですが
その中に、富士見町立南中学校体育館にて2002年8月4日に行われた、「富士見高原は面白い」と題された宮崎駿氏の講演録を発見
稗之底村の謎、再検証_d0082305_7264570.jpg

宮崎駿氏は町内の藤内遺跡のある地域に山荘をお持ちで、このあたりの歴史事象にお詳しい
そして何より、稗之底村の謎に執り憑かれたお一人でもあるのです
また、謎解きの上で非常に重要なる、たぐいまれなる「想像力」をお持ちの方でもあります

講演のほとんどを宮崎駿氏の「稗之底村の謎」に関する仮説で埋められておりました
まず、現在ではカラマツ、アカマツ林で覆われた当地も、かつての姿は全く違っていたのではないか
稗之底村に隣接する三里ヶ原、広原、机原の地名から見渡す限りの「大草原」をイメージされます
そしてこの「大草原」を利用しての「牧」の存在を指摘されます
「牧」とは馬を放し飼にする牧場の事、当然この馬を使った運搬業「中馬稼ぎ」が当時もかなり盛んだったのではと
そして「棒道」、これも信玄が整備する以前からこの地に存在していたのではと
稗之底村はそんな「牧」、「中馬稼ぎ」の中心的な村であったのではないだろうか
そんな村も、やがて新しい道ができ最後には甲州街道にその主役を奪われ、忘れられていったのではと想像を広げられておられます


確かに現在のカラマツ、アカマツは植林、40数年前までは我がノエルの森からも南アルプスが一望できたと
聞いております
その大草原に成長の速い、そして電柱やら、炭鉱の柱などに盛んに利用されたカラマツを植林したと聞き及んでおります
この「大草原」視点は私が前に描いた仮説「稗之底村の謎」には欠けておりました
どうしても現在の唐松林のイメージが先行していたことは事実です
そしてこの地が森林でなく大草原であったなら、「棒道」以前に「けもの道」くらいはあったはず
そしてその「けもの道」も人が頻繁に利用すれば「みち」くらいにはなっていたはず
しかしその程度の「みち」を蹄鉄もない当時の馬に荷物を積んで通行していたのでしょうか
そしてまた、このあたりは昔からオオカミの民話がたくさん残ってもいます
そんなことから私には宮崎駿氏の思い描かれた古代の主要ルート説には想い及ぶことはできませんでした

そして講演の中で宮崎氏が是非とも読むようにと勧められていた書籍
富士見町史 上巻
厚さ10センチもあろうか
枕にはかなり重過ぎますが、この本
なかなか面白い
稗之底村の謎、再検証_d0082305_7271537.jpg

私がここまで「稗之底村の謎」に執り憑かれたのは
妖しの森」項で書きました不思議な体験からです
富士見町史 上巻の「稗之底村」に関する項を読み進めるうちに
こんな文章を見つけます

別の史料によれば、廃村の直接のきっかけは、稗之底の水神社のあたりで「怪異なること」が起こったためであると言い伝えられており、「白きにわ鳥出、屋根に登り、おどしなどいたし候よし」ともあり
当時の人々の間に、薄気味悪い土地と印象を残していたことがわかる
いずれにせよ、廃村当時の直接的な記録が残っているわけではないので、このへんの事情ははっきりとしない

別の史料とやらを見てみたいものです・・・

やはり、あの森には

何か

ありそうです・・・



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by takibiyarou | 2012-08-19 07:53 | 妖しの森


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