こころの分析室:SSブログ
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いよいよ

いよいよ今年も残すところあと数時間となった。今年はどういう年だったのかと振り返ると、長年勤めた精神科病院を3月末に退職したことが大きな変化だった。引退と決心しての退職ではなかったが、9カ月経った現時点では、次の勤め先を探そうという気持ちも湧いてこない。寧ろ、精神分析と心理カウンセリング、そして人生相談あたりの範囲の仕事に特化して、ジャズシンガーについてもそれで稼ぐわけではないにしてもシンガーを自称できるくらいにはなりたい。

これからこんな感じで生きていくかというのと並んで大事なのは、いわゆる終活的なことだ。いらない物が相当たまっているので、これらを処分して身軽になりたいものだ。有り難いことに大きな病気はせず健康を保っているが、運動量が少ないのは明らかだ。スポーツをやるというのも絵に描いた餅になりそうなので、取り敢えずは歩く距離を延ばしたい。

なんだか段々と精神分析や精神科の話が少なくなってきてしまっているこのブログですが、皆さま、訪問をして頂きましてありがとうございます。

よいお年をお迎えください。
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単純と複雑

今日は、内容よりも先に、「単純と複雑」というタイトルがまず思いついた。どちらも大事な概念だし、どちらかがよいことでもう一方が悪いことだ、というわけではない。

取っ掛かりがないと大風呂敷を広げる話になってしまうので、思考というものを例に考えてみることにしよう。見聞きしたことを鵜呑みにしたり、単に暗記するのではなく、自分の頭で考えるという行為は大事なことだろう。いや、大事どころではない。自分の頭で考えてこそ、私が生きていると言える。まずは考えるということが第一歩だが、身体の動きにしても思考にしても、その人の癖というものがある。癖からはずれたことは、異質なもの、異様なもの、変なもの、普通ではないもの、として認識されがちである。

癖という罠にはまっていると、自分なりにいろいろ考えているようでいて、思考が単純化されているということになる。こういう状態から脱するためには、なんだか居心地が悪いなとか、しっくりこないな、どうも気持ち悪いな、というような思考の状態を一時的にでも経験することが必要となるのであろう。これは、体の動きでも同様である。たとえば、テニスやゴルフのフォームに欠陥がある時、合理的なフォームに直そうとすれば、居心地の悪さを感じるであろう。

癖とは逆に、こういう可能性もある、ああいう可能性もあると、あまりにいろいろなことを考えすぎると、自分自身が思考を追うことができなくなり、混乱状態に陥る。これは、状況が複雑の方に振れすぎているということであろう。このような場合は、ものごとの本質というところに焦点を当て、思考を単純(シンプル)にしてみるという試みが必要になるのだろう。

単純と複雑は片方に傾きすぎると塩梅が悪い。単純すぎる場合は複雑を、複雑すぎる場合は単純を、ヒントにして方向を見据えてみるのがよさそうだ。
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映画「君たちはどう生きるか」

宮﨑駿監督の映画「君たちはどう生きるか」を見た。見た人の評は賛否両論らしいのだが、私はいろいろ考えるところがあったし、常人には作れない作品だ、さすが宮﨑監督だと感心したりで、好印象を持った。

エンターテインメントやファンタジーとして見ようとすると、たぶん、わからないとか、楽しめない、という感想になるのかもしれない。自分がどう生きるのか、それを考えるヒントにしようと思うと、いろいろな連想が湧いてくる。

世の中には、いろいろな小説、戯曲、映画があるが、この作品は過去の作品群の中のどういうパターンに入るのかというような考えだと、本質に迫れないような気がする。自分が生まれてから今に至るという通常認識する人生というレベルではなく、宇宙の中の地球、そしてその地球のある場所にある時に存在している自分、という無限遠からすべてを見渡すという視点を持って、この作品を捉えてみると、よくぞこんなにも嚙み砕いてわかりやすく表現してくれました、と感謝の念が湧いてくる。

今朝、ミルクティーをいつものように淹れた。カップにつぐ時、やや多すぎたかと思ったが、カップの縁で止まり、ぎりぎりで1滴も捨てることなく、カップに収まった。

自分の器の中で1滴のムダもなく生ききる。そして、同時に器を少しでも大きくしていきたい。


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急がば回れ

今日は「急がば回れ」という諺が浮かんできた。最近、ほとんど耳にすることはない。逆に諺ではないが、「スピード感を持って」という言葉はよく聞く。確かに、急ぐ時に、安全で余裕があるとは言え、遠い道を選ぶというのは、ものごとがどんどん進んでいく今の時代には、時代遅れと思われてしまうのかもしれない。

流行していることが正しいのだろうか?やはり物事の本質を見るという姿勢の方が優先するのではないだろうか。このところ、保険証とマイナンバーカードの一本化が話題になっている。登録ミスやプログラムやセキュリティの問題がどんどんと出てきて、大事になってしまったのも、マイナンバーカードの普及を急ぎすぎたことに起因する。結局は、早く進めるどころか、遅くしてしまった、いや今後については暗雲が立ち込め行き詰ってしまった、と言っても過言ではないような状況だ。

スピード感を持って、という表現に注目してみよう。「感」という言葉。これは、感覚ということであろう。本当に早くやるのであれば、「迅速に」という表現でよいはずだ。「スピード感」という言葉には、スピードが出ているような感じに見える、という潜在的な意識が垣間見える。スピードが出ていることと、スピードが出ているような感じ、は別物である。たとえば、普通にやっていれば30年かかることを、20年でやり遂げれば、かなり短縮できたことになる。ところが、20年というところだけを見ると、なんとなく長い年月という印象をつい持ってしまって、あたかも遅い作業だと錯覚してしまうということは有り得る。

まずは、一歩一歩地道にやってみる。せめて10年、20年くらいのスパンで物事を考えたり、やってみる。こういうことが大事な分野は世の中にたくさんあるだろう。ノーベル賞受賞の研究だって、宮大工や寿司職人の仕事も、2年や3年で完成するものではない。
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おっちょこ

しばらく前のことなのだが、ある日、外出の際に財布を家に忘れた。スイカ(交通系カード)は持っていたので、スイカの使える店を選ぶなどして、なんとか急場は凌ぐことができた。1回、家に戻り、再度外出した。財布、財布、財布と何度も確認した。電車に乗ろうとしたところ、なんと今度はスイカがない。仕方なく、財布から現金を取り出し、切符を買った。

だいたい私は子どもの頃から忘れ物が多い。小学校低学年の時、あまりに忘れ物が多いので先生はあきれたようだ。手の甲に「わ」という文字をマジックで書かれてしまった。マジックなので消えるまでにだいぶかかった。先生としては、「わ」を見て、忘れ物がないか常にチェックしろと指導したつもりだったのであろう。こういう指導は今の時代では完全にアウトだろう。とんでもない教師だということになるに違いない。私の記憶を辿ると、手の甲の消えない「わ」を見て、情けない気持ちになったのを今でも覚えている。重症とまではいかないが、トラウマと言えよう。せっかくそれだけの代償を払ったのだから、せめて忘れ物が減ってくれればよいのだが、実際はそうは問屋が卸さない。

あらためて外科医にならなくてよかったと思う。手術器具やガーゼを手術時に体内に置き忘れるなどという失態のニュースを以前、見たことがある。その先の連想は怖くてすることができない。ところがどっこい、自分の発達障害的傾向は、実地の精神科臨床では大いに役立った。本を読んだり講義を受けたりするより、忘れ物いっぱいの経験としての実感や、他者に理解されず理不尽に怒られた経験。治療者と患者の垣根はない。同じ土俵にいるのである。一応、白衣を着て見かけだけは偉そうにしていたり、先生などと呼ばれても、なんでこうなるんだと地団太を踏むおっちょこちょいな人間だ。そうか、私はおっちょこちょ医だったのだ。今頃わかるなんて遅いか。いや、人生、何事も遅いということはない。

後記になるが、おっちょこちょ医という造語はなかなかユニークではないか。一応調べてみようと、ネット検索したら、なだいなだの著書にそういうものがあった。私は10代から20代初めくらいまで、なだいなだの本を読んでいた。もしかしたら、読んだか目にしたのかもしれない。ということで連想の流れで出てきたとは言え、オリジナルとは言えない。おっちょこちょい二乗とは言えよう。
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ここという時には

ゴールデンウィークも終了。そろそろ5月半ばとなってきた。早いものである。一つ一つということは念頭に置いているので、それなりにものごとは進んでいるのだが、やるべきことややりたいことが多く、思うようには進まない。それでも、一つ一つとやっていけば、フリーズしてすべてが止まることはない。それなりに「一つ一つ」は効果があるとは言えるのだが、気がついたことがある。どうしてもやりやすいことを一つ一つやってしまい、面倒なことは後回しになってしまうのだ。

今日は、腕時計の電池を交換した。2週間くらい前に腕時計が止まったのだが、そのままになっていて、今日はいい加減交換しに行かないといけないと決心して、ようやく電池交換ができて、時計が動き出した。「一つ一つ」は基本だが、時々、後回しになっていることを点検して今日こそはやるぞと気合を入れることも必要だ。一つ賢くなったような気がする。いや、気のせいではなく、賢くなってほしい。



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先日、夢を見た。N先生が現れ、私は自分の書いた論文の原稿を先生に渡し、ここはこうしたらいいなどコメントを書いて頂いたものが戻ってきた。おもしろいのは、私が挿絵のようなものを描いていて、それに先生がきれいに色をつけて素敵な絵に仕上げていたことだ。N先生は私の精神医学、精神医療、精神分析の師匠である。師から伝達されるものは文字には表せないものがある。そして、師から弟子への一方向ではなく、双方向のやり取りがあり、その上でものごとの神髄が伝達されるのである。N先生は、昨年2022年の4月に亡くなっている。そのことは今までこのブログに書かずにいた。書かずにいたというよりは、書けなかったという方が正確なのかも知れない。先生が亡くなったことを認めたくないという思いがこころのどこかにあったような気がする。N先生は西園昌久先生のことなのだが、いろいろと書き出せばキリがない。記憶を辿ろうとすれば、なつかしくもあり、苦しくもある。一言だけ何か言おうとすれば、感謝の念、それしかない。

話は変わるが、今月、3月末で長年勤めた精神科病院を退職することになった。これまでいくつかの病院やクリニックに勤めたが、今までで一番在籍期間が長かった。名残惜しく寂しい気持ちはあるが、残りの勤務を全うし、4月からは新たな気持ちでいろいろなことに取り組んでいきたい。

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謹賀新年2023

新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

大晦日は数年ぶりに友人に会い歓談し、正月は遠出はせずゆっくりすごし、新年の始動となった。今年の標語のようなものは「一つ一つ」にしようと思う。「じっくり」とか、「地道に」も好きな言葉ではあるが、掛け声ばかりでなかなかやれないということも多いので、「一つ一つ」の方が一歩一歩進んでいきそうな気がする。

ということで、まずは一つ、進んだ。
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無ー意味

今年もあと3週間ほどとなった。慌ただしい日々が続いている。コロナ禍となり、学会も中止となったり、リモートでの開催となったりで変則的であったが、今年の精神分析学会は久しぶりの現地開催となり、しかも横浜だったので、出かけてきた。やはり、直接人と会い、話を聞いたり討論することは、意義深い。

その後も、カンファレンスや研究会が続いた。先日の研究会は単発の企画で比較的少人数だったが、いろいろな連想が起こりワクワク感があった。やはり勉強というのは、おもしろいという感覚が大切だ。しなければとか、やらされているという感覚では、どうも身が入らない。精神科専門医も一応持ってはいるが、更新には学会へ出席しポイントやら単位を取得し、レポートも書いてと、やたらと煩わしい。まあ制度としては仕方ないのかもしれないが、次回の更新はやめようかという気持ちさえ起ってくる。

世の中の出来事はいろいろある。国際情勢ではロシア、ウクライナの問題。円安、物価高の問題。つい先日はサッカーのワールドカップ。いろいろ考える材料はあるのだが、このブログの記事は滞っていた。どうも、考えを文章にするという気になりにくい、ということもあるようだ。今年になって、人生観や世界観、と言うと大げさだが、自分の思考様式が変化しているような気がする。そうなると、今、こうだと考えたことが、明日にはああだになってしまうのではないかという気持ちが起こる。思考自体がふわふわと浮遊したものになり書きとめようという気になれないのである。

今年はラカンのセミネール10巻「不安」を読んでいるのだが、今、ぱっとページを開いたら、「不安」「動揺」という文字が飛び込んできた。そのあたりはまだ読んでいないのだが、私の無意識がその文字に吸い寄せられたということだろうか。

とりとめのないことを書いているのはわかっている。でも、くだらないとか、無意味だということでもない。無意味なのではなく、「無ー意味」だとか「無」が背景のテーマなのか?いまは、そんな気がする、としか言えない。
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シンプルな夢

いよいよ気温も下がってきて、秋らしくなってきた。
しばらく前のことになるが、夢を見たのでメモとして記しておこう。

私は図書館の視聴覚教室のようなところにいる。
机上の機器をいじっていると、モニターから音が鳴りだした。
そもそも私はその機器のことがわかっていないのでどうすることもできない。
「このおじさん、何やってんだろう」というような目でこちらを見る人もいる。
近くの若者に助けを求めると、あっと言う間につまみを調節してくれて事なきを得た。
その若者は私の持っている本を見て言う。

若者: 精神分析ですか?受けたりするんですか?
私: 昔、受けていたことがあります。
若者: どうでしたか?
私: 私にとってはよかったですよ。

シンプルな夢なので、いろいろな連想が湧きそうだ。
いくつか浮かぶことはあるが、それを書いてしまうと連想が限定されてしまうので、素材だけでやめておくことにしよう。
一つか二つだけでも連想を書きたくはなる。いやいや、ここでおしまい、と私の中の分析家が言う。
従っておくことにしよう。



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