こころの分析室:SSブログ
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謹賀新年2025

新年明けましておめでとうございます。
ブログの訪問ありがとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

今年の標語のようなものは、「まずは一歩から」にしようと思う。
何か新しいことをやるとか、心機一転という時には、取り敢えずの一歩を踏み出して、そこからじわじわよちよちと歩んでいくしかない。よいしょ。
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PhD

Ph.D. とは Doctor of Philosophy のことで、博士号のことである。直訳すると哲学博士ということになるが、専攻は哲学に限るわけではなく、学問全般にわたる。私は以前、オーストラリアのメルボルンで精神分析を学んでいたのだが、大学院に入学しPh.D. を取得した。

博士論文のタイトルは、英語を直訳すると、「精神病のメカニズムと治療」である。フロイトとラカンの理論を主軸に私の独自の理論を加味し、フロイトとラカン以外の精神病の治療と研究に実績のある精神分析家についても言及した。当時、私は40代だったが、今にして思えば、よく英語であんな分厚い論文を仕上げたものだと我ながら感心する。今よりは頭の回転はよかったし、体力もあったので、なんとかなったのだろう。そして、なんと言っても、指導教官はもちろんのこと、多くの精神分析家や研究者、共にセミナー等で勉強していた同僚のアドバイスや支えがあってのことだ。最終的な清書の際の英語のネイティブチェックも何しろ量が多いので、多大なご苦労があったと思う。

博士号を取得するためには、文献を読んでまとめるだけではダメで、自分の新しい考えを主張しなければならない。ラカンの精神病論では、神経症のメカニズムが「抑圧」であるのに対し、精神病のメカニズムは「排除」であるとする。何が排除されるのかという問題提起から、ラカンは、父の名が排除される、とした。確かに、統合失調症においては、父の名が排除されていると考えるのは合点がいくのであるが、精神病の範疇には入るが統合失調症ではない人たち、たとえばミレールの一派が「普通精神病」と呼ぶ人たちのメカニズムを、父の名の排除と考えるのは無理がある。そう私には思われた。自分なりに考えて、私は「部分排除」という概念を提唱することにした。ところが、その流れで論文を書こうとすると、論文のスーパーバイザーや、他のベテラン精神分析家には反対された。排除はあるかないかであって、部分的に排除が起こるというのは論理的に無理があるという理由だった。確かにそうなのだ。だが、だからと言って、すべての精神病を父の名の排除で説明するのは、それもまた無理があると私には思われた。部分排除という概念を支える根拠を示すことによって、なんとか論理的矛盾を突破することができた。

博士号を一応持っていると、大学教員にはなりやすい。日本へ帰国した後、私は時期は違うが、2か所の大学の教員になれる可能性があった。ありがたい話だし、もしその道を選んだとしたら、私が辿ってきた道とは違う経験ができたであろう。だが、私は、やはり根っからの臨床家なので、大学人には向かない。臨床実践に集中できて幸せだった。

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不安とワクワク

これからどう生きていくのか、という根本問題が浮上している。今のところ、答はなく、ああだこうだと考えたり、試行錯誤しているところだ。精神科専門医は今年度一杯が期限で更新手続きをしなければならないのだが、それについては、更新するのをやめて精神科専門医を辞めることにした。精神医学についての勉強は続けていくつもりだが、専門医の更新をするための勉強ではなく、自分がやりたいように学びを続けるつもりだ。精神医学は範囲が広いし、一口に精神科医と言っても、様々な分野で仕事をしている。各人が自分の仕事の範囲に合わせて、言ってみれば自分で学びのカリキュラムを作るつもりで、自己学習を続ければいいと思うのだが、だんだんとマニュアル化されてきた社会の影響なのか、画一的で外見を整える方向で更新の用件が変わってきた。単位制となって、なんだか大学の講義を受けるかのようになってきて、専門医を継続しようという気が失せてしまった。自分自身のカリキュラムを作るということに関しては、これから自分がどう生きていくのかということとも関わってくる。

2025年は今後を模索し、方向性を見出していく年になるのではないか。どうなるんだろう、という不安とワクワク感が入り混じった感覚をしばらく味わっていくことにしよう。
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はじまり

このブログの最初の記事は、2012年10月27日に「旅のはじまり」というタイトルで書いたものである。それから12年が経過したわけである。なぜ、珍しく振り返ってみたかというと、SSブログが2015年3月31日でサービス終了となるというお知らせを見たことがきっかけである。

元々はso-net ブログだったのだが、終了となりssブログに移行した。いずれはssブログも終了になるかもという考えはまったく無かったわけではないが、意外と早くその時がやってきたというのが実感である。説明を読んだところ、他のブログへの移行が可能なようだが、この際、思い切って移行はせず、ssブログの終了をもってこのブログも終了とすることにした。

あと3カ月と少しの間、月に1回程度ということには拘らず、もっと頻回に記事を書こうと思っている。英語のcommencement という語には、開始や始まりという意味の他に、卒業式という意味があるのだそうだ。これはそもそも、私の出身大学の卒業式の時に、学長がスピーチで述べられたと記憶している。卒業。その時から新たな始まりがはじまる。
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感謝

毎日、いろいろな人や事物に対して感謝の念を感じる。直接何かをしてもらったり、プレゼントを頂いた時などはもちろんだが、電車やバスなどを運転している人々や運航に携わっている人々、ゴミの収集をしている人々、スーパーやその他商店が存在してくれていること。電気や水道を不自由なく使えること、それを支えている多くの人々。他人に促されるわけでもなく感謝の念が湧いてくるということ自体にも感謝だ。

私はどちらかと言えば口数が少なく口下手な方と思われ、感謝の気持ちを頻回に表現しているわけではないが、表明したい気がしたいので、今、自然と書いているのだろう。そして、もちろん、このブログを読んでくださる方、チラッと眺めてくださる方には日頃から感謝している。
いつもありがとうございます。

時事ニュースとしては、自民党の総裁が石破氏となった。このブログは何かを積極的に主張しようというものではないので、今後の政治についても力説しようというようなものはないのだが、個人的に保険証の廃止については関心がある。対応や準備不足の現段階で廃止に踏み切るのは混乱を引き起こすことになるだろう。政権が変わるタイミングで見直しをしてくれることに期待したい。前もって、大変ありがとうございます、と言っておこう。
Thank you very much in advance.
と、英語でもね。
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自分の道

自分のやり方、という言葉が浮かんだ。あまり好きではないが、いわゆる効率的なやり方というものは一応あるだろうし、他人の意見を参考にするのもよいが、最終的には自分に合ったやり方を開拓していくのが一番よいだろう。

ところが、自分に合うのは何かということになると難しい問題になるのかもしれない。経験により自分に合うものが見つけやすくなるかもしれないが、年齢や環境、条件などにより変わってくることもあるので、今までの経験とは違う路線で考えた方がよい場合もあるだろう。先日、このブログで基本が大切だと書いたのだが、基本をまずは押さえた上で臨機応変ということも大切になる。

自分のやり方を大切にするということは、人目を気にしすぎない、ことにも通じる。人目は多かれ少なかれ気になるものだが、強すぎると支障をきたす。

明日で9月になる。今年も残すところ4カ月だ。今は今年も残り少なくなってきたなと嘆息が出る程度ですむが、大学生の頃は嫌な季節であった。9月は試験のシーズンだったからだ。医学部の勉強はとにかく覚えることが多い。人によっては、興味深く勉強できていた人もいたのかも知れないが、私にとっては苦痛だった。たとえば、生化学では、TCA サイクルについて説明せよ、などというのは頻出の問題だったが、いくら教科書を読んでも、何がなんだかわからない。たぶん、じっくり調べながらじっくり意味も考えていけば、面白いし覚えやすいのだろうが、私はテニスのクラブ活動に熱中しており、付け焼刃での勉強ではとても掘り下げる時間はなく、意味もよくわからず暗記しなければならない。

生化学に限らず、生理学も解剖学も苦痛であった。そういった学科はまだ低学年で学ぶ科目だったが、この先、たくさんの科目に合格して、卒業して、さらに医師国家試験に合格することは、私に果たして可能なのかという大事業のように思えた。最終的に留年と国試浪人を1年ずつ経験して、後にはなんとか医師となった。

あの頃は自分にとっては大きな壁がいくつもあった。振り返ると、よくやったなと、当時の自分を褒めてやりたい。自分なりに考え方や行動を変えてみたり、試行錯誤したが、つまるところは、自分の道を歩んでいったということだ。たぶん細かいことを説明したとしても、他の人の直接の参考にはならないだろう。もちろん、途中で医師になるのをやめるという選択もあったと思う。実際、医学生にはなったものの、途中で退学して別の道に進んだ人も知っている。それはその人にとってよい選択だったのだと思う。

結局、自分の道は自分で歩んでいくしかない。人目を気にして得になることはない。






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基本

何事も基本が大事だ。そんなことはわかりきったことで、今さら言うようなことでもないのかもしれない。ところが、わかっているのに、いつの間にか、忘れていたり疎かになっているということはありそうだ。時々、基本が大切なことを思い起こすことは必要なのだろう。

ここしばらく、こころの状態が落ち着きなくざわざわしていた。そうなると、頭の回転は悪くなる、気分は滅入る、なんとなく疲れたような感じでぱっとしない等々、全般的に冴えない状態になってしまう。頭の回転が悪いくせに、いろいろと余計なことを考えてしまう。なんとなく、そういう状態に陥っていることがおぼろげながらわかってくると、そうだ、基本に立ち返ってみようと思い立った。

次第に頭がクリアーになってきて、ものごともよい方向に向かい出した。
どういう分野の基本を考えるのかは、その人や状況によりけりであろう。
スポーツ、学業、仕事、外国語の習得、日常生活、人間関係、その他いろいろなことで、行き詰ったり悩んだりした時に、複雑な方向ではなく、シンプルに基本に着目する。そこから道が開けそうだ。  

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先日、外出した際に何時だろうと腕時計を見ようとしたら、腕になかった。あるはずの時計がなくて自分の手首を見るのはなんとも情けない気持ちになる。幸い、携帯電話は持っているので多少面倒だが、時間はわかる。次から次へと予定が詰まっているわけでもないので、頻繁に時間を確認する必要もない。まあ、無駄に時計を見なくてよいし、腹時計の精度が上がるのではないかという考えも起こって、気を取り直した。

カフェで一休みして、出てきて20メートルくらい行ったところで、店員さんが追いかけてきた。忘れ物ですよと、私の買い物用の布袋を持っている。有り難いことである。そのままであれば、買い物をしようとした時点でようやく事の重大さに気づき、カフェにトボトボと戻ったことであろう。置き忘れたこと自体は残念なことだが、わざわざ店員さんが追いかけてきてくれたことは、よいことだし、人の親切に触れることができたという意味でも、嬉しいことである。

元々、私は、身に起きることには、よいこともあれば悪いこともある、そのことをありのままに受け取るという態度を良としてきた。よいとか悪いとかいう判断をせず、ニュートラルな態度を取るということである。1年半くらい前に、違う考え方をしてもよいのではないかと思うようになった。きっかけとなったのは、家を出る時に眼鏡を眼鏡拭きで磨いていた際に、眼鏡が中央からポッキリと真っ二つに折れたという事件だった。事件と称するのは大袈裟だが、見事にポッキリ折れるとは初めての経験でビックリした。一瞬、思ったのは、よりによってこんな時に折れるとは、なんて運が悪いんだろうという思いであった。だが、代りの眼鏡はあるのでそれを使えば特段困ることはない。それに、外出中にもし眼鏡が折れれば、歩行にも支障が出てくる。そう考えてみると、運が悪いどころか、いや、運がよいのではないかとふと思ったのである。このエピソード以来、私はなるべく一見悪いことに見えることでも、よい点を探すように試みるようになった。そうすると、自分の感覚としては、運の悪いことが少なくなリ、結果、ストレスも少なくなる。言ってみれば、生活が楽しくなってくるのである。

以前のニュートラルにものごとを捉えるのと、ものごとをよい方に捉えるのは、どちらが絶対的によいとは言えないだろう。自分の感覚で、なんとなくこっちの方がよいかなと思う方でよいのだと思う。明らかなのは、自分は運が悪いと思ったり、不吉なサインだと受け取って落ち込んだりするのは割に合わないということだ。

今日も楽しく生きている。ありがたいことだ。
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何はともあれ体調

ここ数日、体調が悪かった。今日はだいぶ回復してきて、今、ブログを書いている。体に気をつけていても病気になってしまうことはあるだろうが、反省してみるといろいろと無理がたたったようだ。睡眠不足、食べ過ぎ、運動不足、過労。体がこれではいけないと悲鳴を上げたのだろう。

今冬は一度も風邪をひかず、特に体調不良になることはなかっただけに、つい無理をした気がする。そう言えば、しばらく前にある人に会った際、いきなり顔色が悪いと心配されたことを思い出す。その時、既に兆候は出ていたということだ。

何はともあれ、よい体調が大事だ。健康な人は健康を維持し、持病と付き合わなければならない人はできる範囲で体調を整えるということだ。当たり前のことなのだが、うっかりすると忘れてしまう。やりたいことはたくさんあるし、人からの誘いもいろいろある。体調を崩し寝込んでしまえば、そういうことをするどころの話ではなくなる。ここしばらく記事を書いていなかったので、書く材料はあるのだが、まずはこのことを書かなくてはいけない。
一時的に苦しかったが学びになった。
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2024年

正月早々、地震やら事故のニュースで深刻な気持ちでのスタートになってしまったと思ったら、もうそろそろ1月も終盤となってきた。

今年の標語のようなものは、「楽しく」にしようと思う。楽しく食事をする、楽しく散歩をする、楽しく歌う、楽しく皿を洗う、楽しく寝る。その他、日常のいろいろなことを楽しく過ごしていくことにしたい。生きていれば嫌なことやうまくいかないことに出くわすことは当然あると思うが、そういう時は無理して楽しくとはいかないまでも、なんとかその状況を凌げば楽しくなると思っていたい。
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