魚屋でも雑貨店でも同じで、商店街の男共はよってたかって昌子さんを目で犯しまくっておりました。
途中、昌子さんが本屋に立ち寄り、婦人雑誌を立ち読みし始めると、周囲にいた制服姿の男子中高生が4・5人寄って来て周りを囲むと、ポケットから出した小さな鏡を我先にと昌子さんのスカートの下に差し入れます。
昌子さんは、何人もの子供に、パンティーを盗み見られているのです。
昌子さんのパンティー鑑賞にあぶれた中高生の何人かは、息がかかるほどの至近距離でじっくりと胸ポチを見つめ続け、本を探すのに昌子さんがちょっとでも屈むと、顔を直近まで近づけ、乳首を視姦しておりました。
これは明らかに待ち伏せで、大体この時間に彼女が本屋に来る事を知っての所業です。
その証拠に、昌子さんが本屋を出た後、中学生達が
「今日も来たな、あのおばさん。今日は水色のパンティーだったな!!じーくっり、見たぜ!!」
「俺は、乳首見えた!!あのおばさん、いっつもノーブラだから、見られても仕方ないよな!!」
「あー、あのおっぱい揉みてぇー!!あの乳首吸いてぇー!!」
とニヤニヤしなが話していたのです。
団地の草刈の日などは、はりきって参加した昌子さんの周りには常におじさん達の姿が絶えず、入れ替わり立ち替りに乳首やパンティーを視姦していました。
何せ、昌子さんは薄手のワンピースと言ういでたちで、屈むと乳首が見え、しゃがむとパンティーが見えると言う状態だったので無理もありません。挙句の果てに、高い枝を切る、と言う大義名分で。
脚立の上に登らされた昌子さんは、真下から何人ものおじさん達にパンティーをのぞかれておりました。
(私もその中に混じりましたが。真っ白な木綿のパンティーでした。)
こうして、昌子さんは毎日毎日、商店街や団地住人のオヤジや中高生に、乳首やパンティーを見まくられていたのです。
よく考えれば、それはそうです。
やや背が高く、身体は引き締まった人妻が毎日ノーブラであるいていたら、男の目を惹くのは当たり前でしょう…。
「子ども会」の役員をやっていた昌子さん。
その「子ども会」のイベントでは、子ども達の視姦に晒されるどころか、半ば本当に犯される寸前の状況に追い込まれておりました。
私が6年生の夏休みに、学校のプールを借りて低学年の子ども達向けにスイミングスクールを開く企画があり、我々高学年の子も手伝いに駆り出されました。
コーチの一人には昌子さんがおり、私は昌子さんのグループをサポートをしました。
競泳水着に身を包んだ昌子さんは、やはり乳首を突出させ、股間に縦溝を食い込ませていたものですから、高学年の子を中心に子ども達の目を釘付けにしておりました。
特に、水からあがったばかりの昌子さんは、水着が赤く透けやすかったので、殆ど全裸状態。
プールにいた男子のほぼ全員が、そんな昌子さんを見て、小さな股間を硬くしておりました。
そんな状態の中で、自由時間にプール内でおしくら饅頭を始めたものですから、男子は昌子さんに殺到。
四方八方から小さな手が伸び、乳房は揉みまくられ。
乳首はいくつもの手でしごかれ摘まれ、割れ目には何十本の指が擦り込まれ、尻肉は同じく揉みしだかれ…
と言う状況でした。
昌子さんは、
「やだぁ、エッチ!!みんなどこ触ってるのよー!!」
などと呑気な嬌声をあげておりましたが、子供たちは真剣そのもの。
我先にと、T子さんの身体に襲い掛かっております。
かく言う私も、昌子さんの真後ろにピッタリと寄り添い、むっちりとした尻の割れ目に強く股間をあてがい、激しく上下動しながらおっぱいを揉みまくり、乳首をこねくりまわしました。
乳首は子ども達に散々弄ばれたせいかコリコリに勃起しており、直径2㎝・長さ4㎝ほどまで巨大化しておりました。
私は昌子さんの尻で射精をした後、調子に乗って前に回って水中に潜り、昌子さんの割れ目に水着の上から下を這わせ、乳首と同じく勃起して巨大化した陰核を舌で転がし突き回し、更に大きくなった乳首をこれまた水着の上から吸いまくりました。
いつか、昌子さんとセックスしたい!!
思春期が近づくにつれ、私の中にそんな想いが募ってくるのは当然でした。
そして、その機会が訪れたのは、もうすぐ小学校を卒業する、と言う時期でした。
週末のその夜、昌子さん宅でうちの両親を交えた近所の人たちの飲み会がありました。
友人と私は、私の家で遊んでおりました。
夜も更ける頃、遊び疲れた友人はすやすやと寝入ってしまいました。
私はそのまま本を読んだりしていたのですが、玄関が開閉する音がし、私の部屋に酔っ払った昌子さんが入ってきました。
寝ている我が子を見て、
「あら、寝ちゃったのね、この子。おばさんもここで寝ていい?まだみんな飲んでるんだけど、おばさん、お酒弱くて…もう寝たいのよ…」
と言います。
ドキドキしながらも私は、
「じゃ、じゃあ、もうひとつお布団敷くよ」
と言って、押入れから布団を出しました。
友人を真ん中に、3人川の字になり電気を消すと程なく、昌子さんの寝息が聞こえてきました。
このチャンスを逃せない!!
私は十分時間をあけると、おもむろに布団から出て、昌子さんににじり寄りました。
部屋の暖房は強くしてあります。
これなら、裸にしても寒くて起きる事はありません。
案の定、昌子さんは布団をはだけております。
厚手のスウェットの上下を着た昌子さんでしたが、上がややめくれて、おへそを出しております。
豆電球の下、それを見た私の理性は完全に消し飛びました。
そっとスウェットの上をたくしあげ、T子さんの上半身を露出させました。
小さな乳房は殆どまっ平らになっており、大きな乳首がちょこんと乗っかっています。
私は無我夢中でおっぱいにむしゃぶりつき、乳首をチュウチュウと吸い上げました。
同時に片手はおっぱいを揉み解し、もう片手はスウェットの下に差し入れて、割れ目をなぞりました。
昌子さんは熟睡しており、全く反応しません。
チラと横目で友人を見て、
「ごめん、これからお前のおかあさんに、いっぱい、いやらしい事する。許してな…。」
と、心の中で謝りました。
それから、スウェットの下をパンティーと一緒にずりさげ、脱がしてしまい、昌子さんのむっちりとした太ももを大きく広げて、割れ目を指で押し広げて、初めて見る昌子さんの大事な部分に口をあて、舌でかき回しました。
そこはやがてとろとろと濡れてきて、私は陰核といい、蜜壷といい、肛門といい、手当たり次第に嘗め回しました。
顔をあげると、いつしか昌子さんは呼吸を乱しており、私は這いずり上がると、昌子さんのぽってりとした唇を塞ぎました。
口の中に舌を入れながらも、コリコリと尖ってきた乳首をこねくり、割れ目をかき回すのを忘れませんでした。
堪らなくなった私は、硬くなり切ったものを、生まれて初めて、女性に挿入しました。
中は熱く、柔らかく、ものの数秒で達しそうになった私は、あわてて引っこ抜いたとたんに、勢い良くほどばしらせてしまい、昌子さんのお腹からおっぱいにかけて、ぶちまけてしまいました。
それから私は、たぶん数時間に渡って昌子さんを犯し続けました。
何度も何度も。
中にだけは出しませんでしたが、その代わりに、昌子さんは私の精子でドロドロになってしまいました。
ようやく疲れて眠くなった私は、トイレットペーパーで昌子さんを綺麗に拭きあげて、スウェットを元通りに整えました。
その時、昌子さんが目を閉じたままつぶやきました。
「気持ちよかった?初めてがおばさんで良かったの?」
と。
私が言葉を失っていると、また昌子さんは囁きました。
「前から、リョウちゃんがおばさんの事をエッチな目で見てるのに気づいてたのよ…。いっつも、おばさんの胸とか、スカートの中とか、見てたでしょ?いつか、こんな事をされるんじゃないかって思ってたけど、まさか、この子の横でなんて…。でも、おばさんも気持ちよかったよ。また今度、好きな事させてあげるね。-お休み…。」
それはまるで寝言のようで、
「おやすみなさい・・・」
とし返せない私でした。
それから、何度も、昌子さんはさせてくれました。中学に入って、友人が部活でいない時に。
昌子さんとセックスするため、私は部活に入らなかったほどでした。
昌子さんは、私のリクエストに良く応じてくれて、競泳水着を着たままさせてくれたり、入学式で着たフォーマルスーツを着て、綺麗にお化粧した状態でさせてくれたり。
ある時は、夜中に学校に忍び込み、息子の机に全裸で座らせたり。
最高のおもちゃでした。
私だけでなく、地域全体の共有視姦対象だった昌子さん。
そして、私のおもちゃになってくれた昌子さん。
その後、父の転勤でその団地を離れた私は、それきり昌子さんと一度も会っておりませんが、今でも深く心に残っているのです。