うまくいったと思った矢先、小さな小石につまづいて、大したことではないと思っていたのに実は大したことで…。心の問題は難しい。この年になってくると人知れず同様の問題で悩んでいる知人もそこここにいて、うっかりグチるとそれが相手の小石や大石になってしまったりもするし。若いときは人間関係で悩み、年を重ねたら人間の構造の不備(次々思わぬ故障が起こる)で悩み、人間はいくつになっても悩み多い生きものなのだなあ。
庭のアンズは少しだけドライアンズにして、今年は去年より上手にできた気がする。でもまだまだ木に残っていてそれがどんどん熟していく。夫に頼んで…と思っていた矢先、彼の不調が舞い戻ってきたのは困りもの。肩の痛みは増すばかりだし、耳鳴りはまたひどくなったそうで、また叱咤激励の毎日になるとしたらツライなあ。さて、アンズはどうしたものか。楽しみは苦しみでもあったりして。庭を乗っ取りそうな勢いで伸びる植物群。
いいぞいいぞと思っていた仕事は、最近グングン量が増えてきており少ししんどい。程よい量で来てくれるといいのに。
ものごとはずっと同じままではいないのだから、今を嘆きすぎるなかれ。さて深呼吸。
去年の10月からがあっという間に思える一方で、ここまで来るのに果てしない時間がかかったような気がする。目まぐるしくいろんなことが起こりすぎたせいだろう。いろんなことが変わってしまったような、実はちっとも変わっていないような。
確実なのは老いが押し寄せてきていることだ。老年などという言葉に反発する気がまず起こらなくなったことはわれながら不思議。おばあちゃんとよばれたら、笑って「はいはい」と答えるなんて。10年前の自分だったら腹を立てたかもしれないのに。
でも、相変わらず忙しがって仕事をしていられるのはありがたいことだ。運命の神様がいるなら、けっこういいクジ(?)に当たったのかな。なくなりそうでなくならないことを何度も経験できるスリリングな人生を引き当てたんだもの。できることならもっとフニャフニャになるまでも続けていきたいものだ。
記憶力は日々衰えるとも、PCをうまく使えばカバーできる。PCはまるで外部の脳みそみたい。考える機能は割と長く残るようで、もらった仕事は今の脳に合っている。今までの人生で得てきた知識が生かせること、上でにらむ人がいないこと、とても働きやすい。雑誌がなくなったときは悲劇だと思ったけれど、あとから振り返ってみればあそこで終わりにできて、運が良かったのかもしれない。雑誌はハード過ぎた。でもそうは言いながら、ときどき雑誌の発行が気にかかる。増刊号とレギュラーが一緒になって遅れていたのが持ち直して、少しホッとしたりして。
なんでも経験したつもりになっていたけど、知らなかったことがまだまだたくさんあって、それは楽しいことばかりではないのだった。病、そして薬を飲むこととたくさんの不安。家族や友人・知人の重病、つらさ。輝いたあとのなんでもない日々を気持ちよく過ごす知恵。老いの暮らしに必要なものを、一つずつ学んでいる。
今年もあと2日で終わる。年を重ねるごとに、新年に抱く明るくてさわやかなイメージがどんどん薄らいでいく。どうだっていいじゃん、みたいな気分が増大してくるのだ。誰に抵抗してるんだかよくわからないけど、誰でもが浮かれて当然みたいな「世間の風潮」を押しつけられたくないのかもね。いや長く生きすぎて、単にすべてに慣れすぎたせいか。
何もしないぞーと思っていたくせに、それでも今日になったら小豆を煮始めて、ホームベーカリーで簡単にモチをついて小さいお供えまで作り、松前漬け用にスルメとコンブをカットして「準備」しているのは、長年染み付いた習い性ってやつなんだろう。お掃除関連はすべて省略。生きてりゃいいのよ、なんてね。
本当に、今年くらい生きてりゃいいを何度も思ったことはなかった。まだまだ続くと信じていた雑誌の仕事を突然失ったのが7月で、どうにか代わりを見つけたのが3カ月後、やっと心の平安を取り戻せると思った矢先に思いがけない夫の不調出現(いまだ進行中)と、なんとも刺激的な出来事ばかり続いた。想像すらしていなかった人生の困難に出合って、自分たちはもう立派な高齢者だったことを、何度も強く実感させられた。いつの間に、こんなところまで来てしまったんだろう。
いろいろ口にはしてきたものの、実は何の根拠もないままに自分たちはずっと若いままだと思っていたのだ。人生はまだまだ順調に続くと信じきっていた。でも、不意にそれはやってくるのだ。これは終わりの始まりってやつ?
まだまだといよいよの間で右往左往しながら、今年ももうすぐ終わる。迷路にいる夫がうまく出口を見つけられますように。
毎日があっという間に終わる。朝起きるとエネルギーが持つのは昼頃までで、すぐに眠くなるし、昼寝をしても夕食すぎるとまた眠くなる。人の名前がますます出てこない。顔は頭に浮かぶのに…。ついこの間まで覚えていたはずの仕事上で使っていた専門用語や略語が出てこない。人の名前が出てこないのは仕事で覚える言葉が多いせいだと言い訳していたのに。
…とまあ、近頃は老いをズシンと感じることばかりで満たされている。うっかり始めた夫の「簡単に始められるショップ事業」は思いの外ストレスが多く、慣れないSNSの扱いに緊張し、夫の制作意欲減退を目の当たりにし「ただほど高いものはない」と思い知る。とは言えここで引き返すのも傷多く、まあしばらくは「このまま」で。
新たに始めたもう一つのチャレンジもまだ続いている。「数独のサイトで脳トレ中」の友人の話を聞いたが、これは「仕事」というより脳トレの部類と受け止めるべきかもしれない。見習い期間は数カ月必要らしいし、新しいルールを1つ覚えると、前に注意されたことをつい見逃していたり。あれもこれも全部あたりまえにカバーできるようにならないと、「一人前」には働けない。まあ指導が入るその間も「仕事」として発注してもらえるので良心的ともとれるが、いくら見習いとはいえあまりに時間がかかるので、うっかり時給を考えたりするともう立ち直れない。これはやはり「脳トレ」としてとらえないとメンタルが続かない。「知的なお仕事」なんだが、ここまで厳しいとはね。
期待感をすっぱり捨てて、さほど生活スタイルを激変させずともちょっと今までより切り詰めるくらいで、まあなんとかなるかな、いやなんとかせねば…と、老いの暮らしをようやく覚悟し始めた頃になって、思いがけず新しい話がやってきた。え、こういうことは全部捨てたところにやってくるものなの?
はたしてこのままうまく展開されるものやら。それは今後のお楽しみ。
思いがけずやって来た長い夏休みも、「チャレンジ」で終わりを告げた。仕事のない日々、ゆっくり昼寝ができる日々はうれしいような、困ったような、なんだか不思議な感覚だった。気持ちが落ち込むのはメールチェック時で、コマーシャルしか入らない日は正直言えばちょっと落ち込んだ。
毎日とれるキュウリとブルーベリーは自然からの贈りものだった。どちらもそろそろ終わりかな。キュウリがこんなに長くとれるのは初めてのこと。いつも台風や虫にやられて、夏の終わりは地元の直売場に通うのが常だったのに。ブルーベリーの豊作もここまでとれたのは初めてだと思う。「することがない」高齢者のために自然が配慮してくれたのかしらん。
ゆっくり待っていればきっとそのうち何かくる…とせっかちな私に夫は何度もいってくれたけれど、現実はなかなか厳しかった。ポツリポツリとくる小さな仕事にめっぽう時間をかけて取り組むだけでは先が見えないので、発想を切り替えて、「自分で仕事を作る」ことにした。いや校正のほうじゃなく、夫の仕事で。これがチャレンジの1。
考えてみたらうちには「売るほど」の陶器がたくさんあるではないか。これを自分でダイレクトに売ることができれば、これはこれで仕事になるじゃん!…ということで、ネットショップにチャレンジしてみた。なんとしても実現にもっていきたいので、おしゃれでなくてもいいから簡単が売りものところで確実にスタートして、少しずつ夫に写真撮りしてもらいながら品物を増やしていくことにした。
そんなこんなでまだ品数は30点にも満たないのですが、せっかちさんは公開に踏み切りました。ショップは
です。皆さまどうぞお見知りおきを。品物のよさは私が保証します!
で、2つめののチャレンジは校正とは別の仕事である。以前少しかじってとても歯が立たないとさじを投げた分野なのだけれど、前とはエントリー先を変えてトライしてみた。この年なのに登録は思いのほかスムーズに進んで、目下「見習い中」である。かつて聾学校の非常勤講師で手話を、盲学校では点字を必死になってたたき込もうとしたけど、あの時の再来のよう。いやそれよりも覚えるべきことやルールが山ほどありすぎて、前に進むのがやっとの状態だ。行きつ戻りつ歩みは遅く、手探りとはまさにこのことよ。この調子だと時給はいったいいくらになるんだろう。いやちゃんと収入が発生するのは、はるかに先だ。
「見えない小さな穴を、目を凝らしてみていると少しずつ向こうが見えてくる。さらにもっと集中していると向こうがはっきり見えてきて、行ってみたいと希っているうちに、あら不思議君は穴の向こうに立っている」みたいなことを、斎藤喜博校長(もう知っている人は少ないんだろうなあ。私も大学の教育学の授業で聞いて初めて知った)からじかに教わったと言っていた、娘の保育園仲間大輔くんのお母さんから聞いた話をふと思い出した。
この年だと向こうに行くのはちょっと無理かもしれないけれど、景色がはっきり見えるところくらいまでは行ってみたいものだ。今はまだピンホール!