この三連休は母校の金沢美大でこんなイベントがありました。
大学が移転となり、旧校舎が取り壊し前に最後の一般公開になるとのことで友人たちも集まるときき、ならばと北陸新幹線のチケットを予約。
諸事情により初めての日帰り帰省となりました。
金沢駅から観光客で満員の路線バスに乗り、見覚えのあるバス停で降りたものの、大学前の通りは拡張されてしまって知らない道になっており、キョロキョロしながら向かうと懐かしい風景が待っていました。
紅葉も始まっています。
学生の頃はこんな風に紅葉している木には目もくれてなかったな。
友人たちと合流し、校舎の中に入ってみるとまずはこの階段!
入学式も卒業式もここで集合写真を撮ったっけ。
今回も年代ごとにここで集合写真を撮ることになっています。
友人たちと懐かしの学内を探検に行きます。
懐かしのとはいえ、わたしはあまりこの校舎内のこと覚えていませんでした。
古いエレベーターはなんとなく覚えてはいたけれど・・・。
教室は何階だった?とかさっぱり覚えてません。
友人たちが「一年のときの教室は・・」と口々に思い出しているのに・・・
でも見たら一瞬で思い出した。
そうだ!テラス付きの教室。
テラスからは山並みが。
でも学生時代はこんな自然の美しい風景には目もくれず。。(都会に憧れてました)
今の学生の落書きも残されたまま。彼らはこの秋から新校舎です。
スチーム暖房はあったけど冷房はなかったよね?
今は一応冷房あるみたい。あの頃と今では暑さのレベルが違うのでしょう。
校舎の中をくまなく歩き回るもやはり記憶にない場所ばかり。
こんな迷宮だったっけか???増改築を繰り返したのか意外と複雑な校舎です。
そんな中、ちゃんと覚えていたのが数カ所。
みんな一斉に懐かし〜と声が出たのが暗室。
写真の授業があって自分で現像したし、写植打ってたし。
真っ暗な暗室で他の人もいると思って話しかけたら誰もいなくて返事が返ってこなくて怖くなった夜のこととか。
いろいろ思い出しました。
講義室はドラマやなんかで見るようにもっと段差がある部屋のように間違って記憶されてたけど割とふつーの部屋でした。
デッサンはこんな明るいガラス張りの天井の高い部屋でやったよね。うん。
そして、おお!と声が出たのがスタジオ。
わたしは大きな作品、立体や空間の作品を作っていたのでこのスタジオに籠りきりだったよなぁ。クラスのみんなは絵が上手くて才能に溢れ、自分は描きたいもの作りたいものがあってもそれを表現しきれずこの場所でどうしたものかと途方にくれたものでした。
校舎が最後ということでそこらじゅうで子供たちが絵の具まみれで好きに絵を描いていてスタジオもなんかすごいことになってましたが確かにこの場所でした。
ホールはちょうど卒業する頃に完成してわたしたちの卒業式がこけら落としだったはず。ってことは築40年未満。
老朽化のための移転、取り壊しですがなんだかもったいないような気もする。
一番古いところで昭和47年建設らしいので52年の使用だそう。
おそらく美術に関する言葉が刻まれているのだと思うが読めないので記念に撮影。
金沢美大は県立歴史博物館となっている1代目、わたしたちの学んだ2代目、そして3代目の新校舎があります。その3つが揃っているのがこの2023年限り。
3つの校舎は1代目から2代目は1.7キロ、2代目から3代目までは1.3キロとのことを帰ってきてから知り、なんで3つを巡らなかったのか・・と後悔しております。
ちなみに今回は実家から大学までの距離を調べたらなんと2.6キロしかないことが判明。
当時は原チャリか路線バスで通学していて「歩く」という発想がなかったため一度も歩いたことなどなかった。
なので原チャリで通った道を歩いてみました。(猿丸神社が懐かしい)
大学と実家は犀川を挟んで、小立野台、寺町台にあり、坂を下って川に出たらまた坂を登ります。これが今のわたしには本当にあっけないほど近かったw
乗り物に乗る距離ではないと思ったw
犀川からは不老坂を登ります。
いくつもの坂の話は過去に何度かこびとく日誌に書いてますね。
東京〜金沢間は『かがやき』で2時間半。
乗り継ぎがうまくいけば自宅から3時間半ちょいで着くので奥多摩駅に行くより近い感じがします。
ならば日帰りでも十分じゃん、というのが今回の一番の発見。
実家は処分してしまったのでもう「帰省」とは呼べないのかもしれないけれど、今後もわたしの金沢帰省は続くと思います。
今後もよろしくです〜
追記
校舎を見て回っても記憶にないことが多かったから今昔マップで調べてみたら、やはり増築されていました。うちらの在学中はあんなに迷宮ではなかったものね。
上が1981~85年のもので下が現在。
隣の金沢大学も校舎が増えてますね。