生活
GW
大掃除と映画を観に行った以外は家で過ごす。ここ数年、大掃除はGWにやることにしている。冬の寒い中やるよりずっと効率がいい。
メロン部
メロンのデザート、メロンのフレーバーを求めて彷徨っていた。メロン大好き。庶民の食べ物だったら食い尽くしていた。
実績解除 メルヘンとみはし
みはしのあんみつはシーズン毎に通いたい。
コンテンツ
寅の子すて~しょん(Podcast)
寅年生まれのこなものさんと窓辺さんによるおしゃべりポッドキャスト。楽しいオタク語りから真面目な話まで、取り上げるトピックの幅広さ。お二人のタイプの違う言語化能力の高さ。何よりトピックやお互いの意見への向き合い方が真摯なところがいい。ストレスなく聞ける。
『異人たち』(映画)
言葉にするのが難しい。「手当て」という言葉が浮かぶ映画。人の手によって傷を癒すイメージが浮かんだ。主人公のアダムは亡くなった両親にそれを求め、アダム自身も隣人のハリーにそれを施す。あたたかいけど、幻影であることを考えると切ない。生きている間に与えられたらよかったのにと、胸が締め付けられた。
『パスト ライブス / 再会』(映画)
珍しく嫌いな映画だと思った。「not for me」じゃなくて「嫌い」。主人公に対して、なんで人生を共にする人に敬意を払わないんですか?と思っちゃった。昔の男が自分に気があることにも、昔の男と会うことに対して夫が複雑な気持ちでいることにも気付いているのに、夫ほったらかしで昔の男と二人の世界に入ってるノラは普通に不誠実だと思う。
『冷静と情熱のあいだ』江國香織(本)
『パスト ライブス』があまりにも合わなくて引っ張り出してきた。何度目かの再読。昔の男と今の男の間で揺れる主人公という設定が似てるが、こっちの方がずっと好き。主人公を好きになれるかどうかの差だなあと思う。あおいの「忘れようとも忘れられない」という自分ではどうすることも出来ない気持ちを抱える切実さが切ない。フェデリカがあおいにかける「人の居場所なんてね、誰かの胸の中にしかないのよ」という言葉が刺さる。タイトルが秀逸だなとしみじみ思う。
『いつかたこぶねになる日』小津夜景(本)
漢詩のある暮らしエッセイ。国語の授業以外で漢詩に触れることほとんどなかったけど、解説と共にじっくり読むと味わい深い。詩そのものの楽しさ。詠まれた当時の情景や作者の背景。それらを通して見つめ直す現代の我々の暮らし。漢詩を通して今と昔を行き来しているような感覚になった。作者が暮らす南フランス・ニースへの憧れも募る。好きエッセイ入り。
『違国日記』ヤマシタトモコ(本)
映画化されるというので満を持して読んだ。世間の絶賛の波には乗れなかったけど考えることがたくさんあった。
「あなたはあなた、私は私」が大きなテーマかなと思うけど、35歳の大人・槙生(発達障害のケがある)と15歳の子供・朝(交通事故で両親を亡くした)でやろうとするとどうしてもフェアに見られない。「大人は子供を守るべき」という思いがあるせいか、大人の槙生に対してどうして子供の朝に歩み寄らないんだろう(槙生が出来ないキャラというのも理解した上で)と思ってしまう。でもそれが出来ない槙生にうーんと思ってしまうのは自分が所謂「定型発達」と呼ばれる側の人間だからかもな……とも思ったり。
朝の年齢が上がるにつれて、槙生と朝の対話にモヤることは減るのもその辺りが関係してる気がする。「中高生の時の自分を振り返る大人になった朝」のモノローグを読んで、大人になった朝と話がしてみたいと思った。
『今夜すきやきだよ』『今夜すきやきじゃないけど』谷口菜津子(本)
すごくよかった。わかる……わかる……って言いながら読んだ。『だよ』の恋愛や結婚に懐疑的なともこの気持ちも、『けど』の就活が嫌でグズグズ先送りにしてしまうとらおの気持ちもわかる。世間の人たちが当たり前に乗れるレールに乗れなかった心許ない気持ち、めっっっちゃわかる………………
『だよ』の自分と違うタイプの他者を尊重すること。『けど』の自分で自分をケアしてあげること。忘れずにいたいと思う。優しい空気感と美味しそうなごはんもよかった。
国立西洋美術館『真理は蘇るだろうか ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面』(展覧会)
パレスチナ・ガザの酷いニュースが毎日流れ、日本もじりじりと戦争に向かっている今、絶対観に行かなければと思って行った。
「戦争が起こると何が起こるのか」ということを改めて思い知らされる。殺す。殺される。瓦礫のように積み上げられた死体。見世物にされた死体。強姦され売春するしか生きる術のない女。飢餓。親に死なれた子供。そういうものが淡々と描かれている。飢餓で亡くなった母親の死体が運ばれるのを後ろから追いかける小さな女の子の絵を見て本当に辛い気持ちになった。
二度と戦争をしないために、今自分は何をするべきか。考え、行動し続けたい。