心の隙間 2021年05月
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心の隙間

日々感じること・思うこと

◆『スノードロップ』 島田雅彦  ★★★★☆

時の政権と自らの置かれた立場に憤懣やるかたない皇后が、ダークネットを使って本音を発信し、「令和の改新」を仕掛けるというパラレルワールド小説。

スノードロップというのは皇后のハンドルネーム。

こんなことがホントに起きたら面白いのに。

島田雅彦よ、皇后に生まれ変わって実行してくれ、と思う。

 

 

◆『評伝 ナンシー関』 横田増生  ★★★★★

没後10年を期して、ジャーナリストが関係者からのインタビューや仕事の足跡から、ナンシー関という唯一無二の人物像を分析している。

いまだに何かあると、ナンシーだったらなんと言うだろうと思ったりするのに、バカな私は持っていた彼女の本を処分してしまったらしい。

だから『小耳にはさもう100』っていうベスト本も買った。

これらを読んでますます、ナンシーなんで死んじゃったんだよ!と思う。

ナンシー健在の頃に、わりと仲が良かった友人が「ナンシー関って性格悪いよね。」と言ったので、友だちやめようと思ったことがある。後になって、「Kiyoryが好きだって言ってたの何となく分かった。」と言ったので許したのだった。


◆『子どもたちの階級闘争』 ブレイディみかこ ★★★★★

話題の本『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んでみたくて図書館にリクエストしたら、予約15人待ちだったので、同じ著者のこっちを先に読んだ。そしたらこれが大当たりで、私としては、たぶん今年読んで良かった本ベスト10に入る予感がする面白さだった。

無料託児所で保育士として働く著者は、貧しいけれど混沌としたエネルギーに溢れた、社会の底辺層にいる子どもたちやその親たちを 愛のある目でリアルに描いている。

イギリスは階級社会といわれているのは知っていても、どういうことなのかいまひとつピンと来ていなかった私だが、格差が固定されていく背景や、分断の本当の意味など、現場から捉える社会構造への分析の視点が鋭くてハッとさせられた。エスニック・レイシズムとは別のソーシャル・レイシズムのこと。
もっとじっくり読みたいので購入も考えている。

 

 

◆『盤上の敵』 北村 薫  ★★★★☆

猟銃を持った殺人犯が妻のいる家に押し入り立て籠もる。夫は警察を出し抜いて犯人と交渉を始め、犯人を逃がそうとする。驚愕の顛末。

めったに人を死なせない優しいミステリー作家のイメージが強かった北村薫だが、ここではちゃんと殺人が起こる。その過程があまりにも哀しく、後味が重い作品だった。「悪い」のではなく「重い」のだ。愛が存在し、希望もかすかにあるかもしれないと思わせる最後。そこが北村薫らしい。でも怖い。

他人を傷つけようとする悪意のある人間がいることを私も経験上知っている。

けれど、人を壊そうとするほどの大きな悪意に、不可避的に付きまとわれたとしたら、と思うと戦慄するばかりだ。

 

◆『ずっとあなたが好きでした』 歌野晶午 ★★★★★

様々な恋愛をめぐる短編ミステリー集。

まさか、まさかの大逆転で、してやられたの爽快感。

 

 

◆『ハッピーエンドにさよならを』 歌野晶午 ★★★★☆

11の物語が収まった短編集。タイトルからしてどういう類の話か分かっているのだが、あっと言わせるもの、茫然とするもの、ゾクッとするものなど、そうくるかと思う話が続いて、ある意味面白い。やっぱ上手いなあと思う。

 

 

◆『女王様と私』 歌野晶午 ★★★☆☆

フィギアを持ち歩く「オタク」の主人公が、ある一人のギャルに翻弄されていく有様が興味深く、そんな主人公に感情移入して読んでいたが、終盤思わぬ展開に。そんな~~! これは私にとってのイヤミスかも。

 

 

◆『幼さという戦略』 阿部公彦 ★★★★★

「かわいい」が溢れる現代の日本。成熟して大人になるという、かつてのライフスタイルは影を潜め、もはや幼いまま歳を取り、大人になることなく死んでいくという人生が定着化しつつある。この本ではそれが悪いと言っているのではなく、むしろそれがひとつの美学として成立し、人々は幼さを演じることで自らの声で語ることができるという戦略を知ったのではないのかという問いかけに留まっている。

著者は文学者なので、太宰治、萩原朔太郎、村上春樹、武田百合子らの作品から、様々なかたちの「幼さ」を分析し、そこが人々に愛される理由でもあることを提示する一方、成熟を追求した作家として小島信夫と古井由吉を挙げ、「老い語り」についても言及する。また、かつて「成熟と喪失―“母”の崩壊」を書いた日本を代表する保守系文芸評論家、江藤淳のサブカルチャーへの歩み寄りと、それを喜ぶ大塚英志のことも書かれていて面白かった。

あと、読書について、古井由吉の言葉を引用している。

「自分が理解できないものは価値がないという風潮が定着してしまいました。たいがい文学など落とし穴だらけでしょう。うっかり理解したら大変だという作品が多いです。読んでいて感銘は受けるけど、読み終わると忘れるというのは、自然な自己防衛でした。忘れてもまた本を読むんですよ。読んでもちっとも頭に入らないけれど、なんとなく嫌な感じがするという心地が、読書の醍醐味なんです。」

著者はこれを大人の読書法として賞賛している。要するに、嫌な感じも引き受ける用意があるのが大人だってことらしい。
やっぱり、分かり易さだけしか見ようとしない「幼さ」は嫌いなんだろうな。

 

◆ドラマ  『ナビレラ』 2021 韓 ★★★☆☆

なんでまた男がバレエなど?世間様に笑われる。白タイツもっこり。恥ずかしい。などという偏見は古今東西健在のようだ。

しかも始めようとするのは70歳の老人である。子どもの頃にバレエダンサーに憧れて、自分もやってみたかったが叶わなかった過去を持つ。
苦労しながら家族を養ってきたが、死ぬ前にひとつだけでも自分の好きなことをやりたいと決意し、天才と言われながらも伸び悩んでいる23歳のダンサーに教えを乞う。

今さら無理、無謀だと断られ続け、家族からも恥ずかしいからやめてくれと哀願されるが、男の決意は揺るがず、熱心に根気強く取り組む姿にいつしか周りも動かされていく。

タイトルの「ナビレラ」とは、蝶のように羽ばたくという意味らしい。はたして男は羽ばたくことができるのか。
ドラマとしては凄く良かったのだが、私としてはバレエシーンが気になってしょうがない。天才ダンサーの役者は半年の特訓と、引きは代役で撮影しているからどうにかなっているが(それでも顔が映るキメポーズは素人っぽい)、老人ダンサーのほうは悲しいくらいダンスの上達がない。いや、頑張っているのは分かるのだけど・・・これが現実なのね。

ただし私は「60の手習い」には大賛成だ。何かを始めるには遅すぎるということはないという意味もそうだけど、これくらいになると人から叱られたり怒られることが少なくなるから、「だめ、もう一度やり直し!」なんて言われることは、習いの何たるかを学び直すにはもってこいだと思うのだ。

その道の「お師匠さん」から教わるのが良いと思う。カルチャーセンターなんかだと、いつまで経っても「お客さま」扱いされてしまうから。

 


 ◆映画『わたしはダニエル・ブレイク』 監督ケン・リーチ 2016 英・仏

★★★★★

主人公ダニエルは59歳の大工。心臓の病でドクターストップが掛かったので国の援助を受けようとするが、ネットに疎く、複雑な制度や杓子定規な役所の対応に時間ばかりが浪費され、必要な援助を受けることが出来ない。
実話らしい。
イギリスの話だが、今の日本にも当てはまると思い、とても他人事とは思えなかった。

困っているシングルマザーの家族を助けたり、人としての尊厳を失わない生き方を貫いたダニエル。もっとどうにかならなかったのかと思うと悔しい。
 

 

◆映画 『ファッションが教えてくれること』 2009 米 ★★★★★ 

 『プラダを着た悪魔』のモデルといわれるアナ・ウィンター(米版ヴォーグ誌編集長)のドキュメンタリー。2007年のVOGUE・秋のファッション特大号の編集期間の彼女やスタッフをカメラが追う。

『プラダを着た悪魔』は小説も好きだが、映画は悪魔の編集長役メリル・ストリープが最高だった。でも本物のアナ・ウィンターはもっとやり手っぽく、容姿もカッコよくてびっくりした。次々に難問を課して、有名なデザイナーにも歯に衣着せぬ意見を言い、用意された企画や、撮影済みの写真にすら有無を言わさず却下。途方に暮れる社員たち。まさに氷の女。
インタビューに答えるアナ。「他に質問は?」 なんかしびれる。

アナに振り回されて右往左往する編集部の様子が面白かったが、それは他人事だからだ。いやあ、厳しい世界、自分にはとても務まらないだろう。


 

 

◆映画『ペンタゴン・ペーパーズ』 監督スピルバーグ 2017  米 ★★★★★

ニクソン政権下の1971年、ベトナム戦争を分析・記録した国家最高機密文書=通称ペンタゴン・ペーパーズの存在をニューヨークタイムスがスクープする。これにより「正義の戦争」の内幕が暴かれるのだが、ライバル会社でもあるワシントンポストも、その文書の入手に奔走し、政府の欺瞞を明らかにしようとする。

しかし政府は圧力をかけてくる。機密漏洩の罪で裁判にかけ、会社を潰すとまで言ってくる。経営か、報道の自由か、決断を迫られる。

このワシントンポストの社主で発行責任者がキャサリン・グラハムという女性であり、この役をメリル・ストリープが演じている。

実は、先のヴォーグ編集長のアナ・ウィンターとメリル・ストリープの対談動画をネットで見つけて、アナとキャサリンは友人関係にあったこと、氷の女アナにして、「キャサリンははっきり物を言う人。怖くて震え上がったこともある。」と言っていたのを聞いて、この映画を観ようと思った。メリルも、これまでの役者人生でこの役が一番難しかったと言っていた。

キャサリン・グラハムは、元々は経営者の妻で、主婦であり、夫が亡くなって経営を引き継いだ人であるから、経営者としては素人同然。基本的には大人しくて控えめな人である。そんな彼女が真のマスメディア精神を持った、権力に屈しない人物に変貌していく様子に惹きつけられた。

また、のちにウォーターゲート事件でも手腕を発揮するポストの記者ベン・ブラッドリーをトム・ハンクスが演じている。「報道の自由は報道によって守る」をモットーにした、いわゆるイケイケの報道マンだ。けれども最終段階で少しだけビビったことで、キャサリンの決断の重さに敬意を払うことになる。

それにしてもスピルバーグ監督、トランプ政権になってすぐにこの映画を撮ることにしたそうだ。報道規制を感じた危機感から、権力を監視する報道の自由を脅かされてはならない。こういう前例があるじゃないかと訴えたかったと。やるよなあ。




◆『ソーイング・ビー』 NHK Eテレ ★★★★★

イギリスBBCの、裁縫自慢のアマチュアを集めてのコンテスト番組。
お正月にたまたま見た特集番組が面白かったので毎週観るようになった。毎回「子ども服」とか「木綿のワンピース」とか「シャツのリフォーム」とかの課題があり、挑戦者は決められた時間内に課題を仕上げ、ちょっと意地悪で厳しい審査員の審査を受ける。最初
8人いる挑戦者は3つの課題の作品が上がった時点で一人落とされ、残った人たちでまた争い一人落とされを繰り返し、最終的に残った人が優勝者となる。

イギリスはソーイングが盛んな国なのか、挑戦者は主婦や女性だけでなく、元軍人や店主、大学生などの男性が多いことが特徴だ。

1シーズンで3か月くらいかかるので、挑戦者の人柄や個性がよくわかり、思い入れる人も出て来て楽しい。特に裁縫に興味がなくても、観ていて飽きないのはそういうところにあるのだろう。

 

◆『11/22/63』 スティーヴン・キング 白石朗訳  ★★★★★

タイムトラベルの記事でこの本のことを教えてくれたゲッコーさんでさえ、最近はキングの全力投球を受け止められなくなってきた、と言っていたけれど、私もまったく同じ。大好きな作家なのに、近年になるにつれてやたら長くなる彼の作品は敬遠しがちだった。

この本も、2段組で文字ぎっしり、上下巻合わせて1000ページを超えるので、取り組むのに勇気がいったが、コロナ禍でどこにも出かけられないGWがちょうどいい機会だと思って、家に籠って丸日かけて読んだ。

物語は1970年生まれの主人公が、自分が生まれる前の1958年にタイムトラベルし、1963年のジョン・F・ケネディ暗殺をくいとめようとする話。

そういう使命感を持つに至るきっかけや、時空の裂け目のことが細かく描写されているので、フィクションと思っても、リアルに感じても引き込まれる。

史実を変えようとするときに起きる物理的な圧力やタイムパラドックスも興味深いが、それよりも主人公が、この19631122日までの52ヶ月をどのような思いで、試行錯誤しながら生きるのかが気になって止まらなくなる。ハラハラドキドキが途切れずに続く。

後半つらい場面の連続で、悲劇で終わるのかと絶望的になりそうな末の、美しいエンディングは、エンタメ小説の醍醐味十分だ。

やはりたまには、長編を読んでカタルシスに浸るのもいいと思った。

っていうか、この本、最後の最後で自分が過去に読んでいたことを思い出し、今回それがいちばん衝撃だった。

 

 

◆『蒲生邸事件』 宮部みゆき  ★★★★☆

浪人生の男の子が、二・二六事件が起こった昭和11年のその日にタイムトラベルしてしまうという話。かといって二・二六事件そのものに介入する話ではなく、あくまでもこれと同時に起こった個人宅(蒲生邸)の事件に関わっていく話。歴史に無知で甘ちゃんの主人公が、この時代の人たちの暮らしぶりや考え方を理解しようとしたり、戦争を含む日本の行く末について考えていくのは、大人への成長物語でもある。現代に戻った主人公が、過去の時代で接触した人と何十年ぶりかで再会するあたりは、直前に読んだキングの『11/22/63』 に似ている。読後感はとてもいい。

 

 

◆『リセット』 北村 薫  ★★★★★

スキップ』と『ターン』と並ぶ「時と人の三部作」のうちのひとつだったが、これだけ読んでいなかったので今回読んだ。戦前から戦中に神戸の芦屋に住んでいた女学生と、昭和30年に小学生だった男の子がリンクし合い、現代に繋がっていく。悲惨で哀しい場面もあるのだが、宇宙的な時間空間を感じさせる物語は、何故か清涼感がある。
ついでに『ターン』 も読み直す。やはり素敵な話だ。
北村薫が描く主人公たちは、はがゆいほど真面目で、丁寧に日常を生き、真摯な気持ちを失わない美しい心の持ち主だ。彼女らの爪の垢を煎じて自分に飲ませたいくらいだが、飲めないので相変わらずガサツなままでいる。



◆『7回死んだ男』 西澤保彦 ★★★★★
いつそれが起こるかわからないが、一度ループに嵌ると、同じ日を
9日間繰り返してしまうという体質を持つ高校生の「僕」。ループの最終日9日目が本決定の日となるらしい。
親戚一同が集まった家で、正月2日にループが始まり、2回目のループで祖父が殺される。「僕」はループの度にそれを阻止しようと奮闘するのだが、上手くいかない。殺人者は毎回違うのだが、やはり祖父は殺されてしまうのだ。
最後になるほど、そういうことだったのか!と、全ての謎が解ける。
面白かった。


◆『くっすん大黒』 町田 康 ★★★★☆

すでに馴染みのある文体。慣れてきたので心地よく読める。

でもこの人、これで芥川賞とったのか、と改めて驚く。

他に『河原のアパラ』が収録されていて、どちらも愛すべきダメ人間が描かれている。なぜ愛してしまうのか。ハチャメチャなのに、ギリギリ美意識を保っているところ。その美意識に、謙虚さが見え隠れするところ。

でも、この本の目次の前一頁目全部を使っての、膝から上の本人の若かりし頃の美形(?)の写真、これは一体なんなのかと思う。

なぜこのような写真の載せたのか。ナルシスト全開写真に見える。笑いを取るためだったら笑ってあげるけど、「僕ちゃん、こんな文章書いているけど、ほんとはこんなにカッコいいのよ」という意味で載せたなら幻滅だ。

謙虚さなんてポーズじゃないか。その可能性を考慮して、★ひとつ減らす。

 

 

◆『オリンピック・マネー』 後藤逸郎 ★★★☆☆

東京招致の時点で言われた「コンパクトでお金がかからないオリンピック」に、史上最大の膨大な費用がかかることが分かっても、85%の国民が東京オリンピック開催を支持していた3年前。

それが今では、新型コロナのパンデミックで逆転した。

この本を読むと、コロナ禍であろうとなかろうと、やはりオリンピックなど招致すべきでなかったと改めて思う。いや、そもそもオリンピックというもの自体が相当胡散臭い。

スイスのNPO(民間団体)に過ぎないIOCは、もはや利潤追求のオリンピック独占企業になっていることや、それに追従する企業やメディアによって、「理念」もなにもあったものじゃない、お金第一主義のイベントに成り下がっている。IOCにとっては無観客でもなんでもよくて、とにかくテレビ中継さえあればいいみたいだ。

残念なのは、この本に書かれている肝心のお金の部分、何億円とか何兆円とかの実感が自分には理解できないことだった。

  

◆『献灯使』 多和田葉子  ★★★★★

専門家や著名人のコロナに関しての提言を拾い読みしている中で好印象を持った一人だったので、この人の作品を読んでみようという気になった。

この本は、大災害をきっかけに何かとんでもないことが起こり、鎖国状態になった近未来の日本が描かれているディストピア中編小説である。
ここでは老人は長寿なのだが、子どもたちの身体はひどく弱体化している。

主な登場人物は百歳をこえても元気な義郎と、曾孫の無名(むめい)の二人で、「東京の西域」の仮設住宅で暮らしている。日本の政治体制や産業がどうなっているのかは一切描かれていないが、様々なエピソードから、東京23区には人が住めなくなっており、自動車も電車も消え、インターネットも廃止され、外来語も禁止されていることがわかる。
義郎は無名を不憫に思って気遣いながら、こんな状態でこの子を残しては死ぬに死ねないと思っている。しかし、まともに立つことも出来ない無名のほうは、過去を知らないゆえにあっけらかんとしていて明るい。

老人の持つ常識では測れない新たな価値観を持つ子どもたちの様子から、人間にとって進化とは、文明とは何かを考えさせられる。
聡明な少年の無名は秘密裏に献灯使に選ばれる。しかし献灯使の目的が何なのかは伏せられたままだ。

ラストまで読んで、言葉にならない情感の世界にしばらく支配された。




何年も前から、夢を見てもほとんど忘れてしまっていたのだが、珍しく二日続けてはっきり覚えているリアルな夢を見たので、書き留めておくことにする。

夢を記録することに意味があるかどうかわからないが、どうせだからやってみる。

  

夢 その1

私はまだ中学生か高校生。

バレエのレッスンに行ったら新しい先生が来ていて、「今から三点倒立をやってください。」と言われる。
何故に三点倒立?と思っていると、体幹を養うためだという。

みんな各自でヨガマットを用意しているみたいなのだが、私だけマットが無い。それで置いてあるマットを使ったら、それが新しい先生のマットだったらしく、「なに勝手に使ってんの、この子は!」と怒られる。
すみませんと謝るが、先生の顔は冷たい。

他の生徒たちは壁に向かって倒立を試みている。
私は空いている壁を探しても無いのと、三点倒立は得意だからいいかという思いで、一人だけ壁のない教室の真ん中で逆立ちする。
マットがないので頭のてっぺんが少し痛いが、どうにかまっすぐに立つ。
すると先生が、「アナタ、自分ができることがそんなに得意なの?」と意地の悪いことを言う。

ああ嫌われた、また目を付けられちゃったなあ、と絶望する。

気がつくと自分だけ白い空手の道着の下とTシャツ姿だ。タオルも持って来ていなかったので、「なんてだらしのない子・・・」と言われ、バーレッスンでは足が後ろの人にぶつかってしまい、「少しは他人のことを考えなさい。自分勝手な人ね。」などと、ずっと罵倒され続け、私の心はどんどん萎縮していく。 5.9.2021

 

 

 

 夢 その2

元の色がわからないほど灰色に変色した車両で、クッションのバネが効かなくなって所々凹んでいるようなシートのままの、もの凄く老朽化した電車に乗っている。実家に帰るためだ。何年ぶりだろう。懐かしい道のり。
だけどこの電鉄線の廃退ぶりはどうしたことだろう。

帰ることを知らせようと、家に何度も電話したりメールしたりしているのだが通じない。

途中駅に停まると、ホームの向かいに赤と紺のマーブル模様の新しくて綺麗な列車が入ってきた。みなぞろぞろとそちらに乗り換えていく。
自分も勘が働いて、慌てて乗り換える。

乗り換えた車両に、少し酔っぱらったような陽気な三人組がいる。

私が、これ、〇〇方面に行く電車だよね?と話かけると、そのうちの一人の男が、ああそうだよ。と答えてくれる。私はこの男の顔に見覚えがあるような気がする。ついでに、さっきのあの電車はどこに向かうものだったのかと訊くと、その男は、あの電車はこれから単線に入って、あんたが知らないような辺鄙な場所に行くんだよ、という。

よかった。どうも変だと思ったのよね。と私。

すると男が、ん?俺、あんたのこと知ってるぞ。中学のとき〇〇と仲良かっただろ。バレー部にいたよな、と言われるが、その事実には覚えがない。
どうも知った顔だというのは、お互いの勘違いだったようだ。

それより、向かい側に座っている男はK君じゃないだろうか。
でも確信が持てないのでしばらく観察する。
高校生だった頃の面影があるようだが、ぜんぜん違う気もする。

そのうちK君の家の最寄り駅で降りていったので、やっぱりそうだったのかなとぼんやり思う。

 

自分が降りるべき駅に着く。
新しい駅が出来たと聞いてから来るのは初めてだ。

ホームに降りてから、小学生の時に仲が良かったMちゃんに会う。

どうやら今まで同じ電車に乗っていたらしい。懐かしいねと少し立ち話しをして、Ⅿがいま大阪に住んでいることを知る。
彼女も久しぶりに実家に帰るのだという。

夜に私の家でもう一度会う約束をする。

改札で駅員に止められる。切符が違うと言われて少し揉める。
感じの悪い駅員。

駅前はあまり発展していない。店もまばらで閑散としている。

Mは、新しい駅から自分の家までの道のりをスマホの地図で調べている。

私は、たぶんこっちだと思うから適当に行ってみると言って別れる。

相変わらず実家と連絡が取れない。でも突然帰っても咎められないはず、実家なのだから。と思うのだが、歩いている途中で、父も母も死んでしまい、もう居ないような気がしてきた。そうだ、家も取り壊されたんじゃ・・・

でもあった。私の家が見える・・・。5.10.2021

 

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夢の時系列はでたらめだ。

自分が中学生や高校生であっても変に思わないし、それを受け入れている。

最初の夢、私は中学、高校時代にバレエ教室に通っていない。

この頃は空手の道着も持っていない。

 

実家に帰る夢の中の私は、20代後半くらいだろうか。

でもスマホを持っていたりするので、現在でもある。

この「実家」は、自分たち家族が一番長く住んでいた家で、私が家を出た後、両親は別の場所に引っ越した。

この家にいる頃は、家族みんな元気だったのだから、20代の私が、両親が死んだ気がすると思うのは間違いである。今の私と20代の私がリンクしているのだろう。
最後に家が見えたとき、私は20代に戻り、父も母も弟も生きていることを当たり前のように確信していた。


ここ数週間はあんまり本を読めなかった。

というか、あちこち手を付けるのだが、「読みかけ」が溜まるばかりで完読できずにいる。

 

せっかちな性格なのか、癖なのか、私の本の読み方は、一冊ずつ丁寧に読むというより、数冊を同時並行で読み進めるということが多い。

こういう読み方は、集中できる時はいいが、できないときは気持ちが散漫なまま、どれひとつ読み通せずに終わってしまう。

歳を取るにつれ、切り替え能力も理解力も弱くなっているので、いいかげん並行で読む癖は直したほうがいいかもしれない。
かといって持久力もないしなあ。

 

読みかけの本は、のちに続きを読むかといったら読まないことのほうが多い。

時間切れでさっさと図書館に返却してしまうか、手元にあっても、“ああ、挫折した本だな。”で終わる。

 

いちど挫折した本は、あとになればなるほど最初から読もうとして失敗する。

あまり覚えていないとはいえ、徐々に思い出したときには新鮮味が半減しているからだ。

 

いや、ほんとうに面白いと感じるなら、なんとしても続きを読もうとするだろうし、集中力は続くはず。 読まないのは、面白くなかったか、理解できなかったか、読んでいて苦痛になったかに違いない。

その証拠に、好きな本は最初から何度読んでも最後まで読み通せるのだから。

 


今度、挫折本リストでも作ってみようかな。

あまりの多さに自分で笑ってしまうかもしれない。

 

◆『わたしの町は戦場になった』 ミリアム・ラウィック ★★★☆☆

副題には“シリア内戦下を生きた少女の4年間”とある。

実際には20116月から20173までのミリアム7歳から13歳まで日記が掲載されている。
美しい街並みで知られていたシリア西側の大都市アレッポは、2011年にアサド独裁政権に対する抗議デモが起きてから1年後には、政府軍と反体制派のあいだで起こる激しい銃弾戦や爆弾によって廃墟と化していくのだが、少女は、その時々の生活や学校や町の様子を日記に綴っていた。
シリアの内情は複雑だ。しかし、いつだって最も理不尽な犠牲を強いられるのは弱い立場の子どもたち。彼女はキリスト教徒だが、ムスリムの親友もいる。
「人によって言うことがまるで違う。何が正しくて、何が間違っているのかわからない。」「わたしにとって戦争とは、恐怖、悲しみ、不安以外のなにものでもありません。」と書きながら、それでも日々に喜びを見つけ、希望を失わない少女の日記を読んで、アンネ・フランクを思い出した。

 

 

◆『ニッポン男性アイドル史』 太田省一  ★☆☆☆☆
1960年から70年代後期までの男性アイドルは「王子様系」か「不良系」しかなかった。
そこへ登場するのがジャニーズ系といわれる「普通の男の子」たちのアイドルだ。代表はSMAPや嵐。彼らがアイドルの歴史を変えたらしい。

そもそもアイドルは未完成の一過性の形態が魅力であったのが、最近では50過ぎてもアイドルでいられるほど、アイドルの定義が広くなり、ファンは「アイドルと共に成長し、共に生きていく」という形が定着したという。
立ち読みの如く20分で完読したのだが、どうしてこの本を読んだかというと、自分がいわゆるジャニーズ系に興味がなく、むしろ嫌いだったというのが何故なのか知りたかったから。でもやっぱり分からなかった。

著者は、女性アイドルの分析本はたくさんあるけど、男性アイドルのは少ないから書いたと言っているが、書いてあることに別段新しさを感じなかった。

 

◆『東京自叙伝』 奥泉光  ★★★★☆

幕末から明治維新、関東大震災、第二次世界大戦、高度成長期からバブル崩壊、福島第一原発事故まで、東京の「時霊」が動物や人間に憑依して、“なるようにしかならぬ”という原理の下、歴史の暗黒部に関わっていく。
ちょっとSFっぽい。

地霊が一番好むのはネズミである。地下や地上を這い回り、自己認識が薄く、生存本能を頼りに集団で行動する。この本では原発事故をネズミとして体験し、原発作業員の「私」と合体する。

地霊の「私」は、時を経るにしたがってどんどん増えていく。

あの事件を起こしたのは私、この事件を導いたのは私。ネットの中の無数の私。ここにいる人々は全部私。あの人も、この人も、まだ「私」を自覚していない私・・・

地霊が憑依するのはいずれも無名の人だが、その場その場の都合に合わせ立ち回り方を変えても、さして自己嫌悪に陥ったりすることもない人たちなので、読んでいて気分が悪くなるほどだ。

でも逆に、これほど身勝手で無責任に振舞われると、痛快に思うところもある。滅びの美学なのか、戒めの書なのか。

一人ひとりのエピソードも面白いし、日本の近代史としても、東京の歴史としても面白く読めた。