こどもの頃、月に何回か本屋さんから本が届いた。
あの頃は町の本屋さんに定期購読を申し込んでおくと、お取り置きではなくて本屋さんが直接家に配達してくれるサービスがあったのだ。
父には「SFマガジン」などの月刊誌数冊、母には「暮らしの手帳」や「婦人公論」、弟のものは覚えていないけど、ずいぶん経ってから弟に、中学生の頃に漫画雑誌「ガロ」を届けてもらっていたという話を聞いたことがある。それを聞いて、私には漫画禁止だったのに弟にはOKだったのは何故なんだ、ずるい!と思ったのだった。
話を元に戻して私にはというと、「小学○年生」と一緒に、子ども向けの文学全集が月に一巻ずつ届いていた。 たぶん親の意向だろう。
本当は付録がついた月刊「りぼん」か「なかよし」のほうが嬉しかったと思うが、そんな望みは叶うわけがない。
しかしこの月一巻ずつの配本システムは素敵で、おそらく全巻いっぺんに揃えて貰ったら読みもせずただの飾りになっていた可能性大のところを、一冊ずつ与えられることで隅から隅まで読むことになる。気に入った話は何度も読む。
読んでいる間じゅう違う世界に行ける本は大好きだ。
ガサツでだらしないと叱られてばかりの私だったが、ハードカバーでケースに入っていて、装丁も中身も「ちゃんとした本」という認識があったためか、これだけは大切に扱ってもいた記憶がある。毎月届くのが楽しみだった。
ところが小学校5年か6年の頃だったと思うが、友人の家にあった大学生のお姉ちゃんが揃えていた「本物」の文学全集を見て、自分のこども向けの全集が急に幼稚に思えた。
イギリス編、アメリカ編、フランス編とシリーズが続き、確かドイツ編あたりで、こんな子どもっぽいのもういらない、と親に言ったのだった。
だから全50巻のうち30巻くらいしか読んでいないで終わった。
当然その30巻は一冊も残っていない。引越の折にでも処分してしまったのだろう。
我が家に本の届けてくれていた町の小さな本屋さんが大型書店進出の影で廃業したという噂を聞いたのはそれからだいぶ後、1980年前後だろうか。寂しかった。
そして・・・
書店の児童書コーナーに文学全集系のものが消えたのに気づいたのはいつだっただろう。
岩波でも講談社でも偕成社でも、最近では古典的なお話もコミック本のような装丁になっている。挿絵もマンガチックで、低価格で気軽に手に取れて読みやすくなっていると思うのだが、私としては何とも物足りない感じがする。
それでしみじみと思い出したのだ。あのこども向けの文学全集のことを。
私が読んでいたのはどこの出版社のどんな全集だったのだろうとネットで調べた。
最初はなかなか見つからなかったが、記憶からいくつかのキーワードで検索してやっと分かった。
当時いろんな出版社からこども向けの文学全集が出ていたことも分かったが、私が読んでいたのは1964年に刊行された小学館の「少年少女世界の名作文学」という全集だった。
まちがいない。
分かった途端、むらむらと懐かしさが込み上げてきて、中古品を探してネットオークションで落として手に入れてしまった。
全50巻で15,000円。 一冊も欠けていないのが嬉しい。
出品者から大きなダンボール箱2つ分が届いた。
箱を開けるのがもどかしくなるくらい嬉しくて、開けたら開けたで手に取った本の重みやパラパラめくった時に稀に現れる挿絵にも確かな見覚えを感じて興奮した。
手に入れる前は読んでいなかった巻を読みたいという思いが強かったのだが、実際は読んだことがある話から読み始め、そうそう、これこれ!と、こども時代の空間にタイムスリップした。
デュマのモンテ・クリストフ伯が「岩窟王」、ユーゴーのレ・ミゼラブルが「ああ無常」になっているのも懐かしい。
最近は家に帰ってこの全集を手に取ることが楽しみになっている。
寝る前のひと時の至福。少しずつ読み返しているので当分楽しめそうだ。
あの頃は町の本屋さんに定期購読を申し込んでおくと、お取り置きではなくて本屋さんが直接家に配達してくれるサービスがあったのだ。
父には「SFマガジン」などの月刊誌数冊、母には「暮らしの手帳」や「婦人公論」、弟のものは覚えていないけど、ずいぶん経ってから弟に、中学生の頃に漫画雑誌「ガロ」を届けてもらっていたという話を聞いたことがある。それを聞いて、私には漫画禁止だったのに弟にはOKだったのは何故なんだ、ずるい!と思ったのだった。
話を元に戻して私にはというと、「小学○年生」と一緒に、子ども向けの文学全集が月に一巻ずつ届いていた。 たぶん親の意向だろう。
本当は付録がついた月刊「りぼん」か「なかよし」のほうが嬉しかったと思うが、そんな望みは叶うわけがない。
しかしこの月一巻ずつの配本システムは素敵で、おそらく全巻いっぺんに揃えて貰ったら読みもせずただの飾りになっていた可能性大のところを、一冊ずつ与えられることで隅から隅まで読むことになる。気に入った話は何度も読む。
読んでいる間じゅう違う世界に行ける本は大好きだ。
ガサツでだらしないと叱られてばかりの私だったが、ハードカバーでケースに入っていて、装丁も中身も「ちゃんとした本」という認識があったためか、これだけは大切に扱ってもいた記憶がある。毎月届くのが楽しみだった。
ところが小学校5年か6年の頃だったと思うが、友人の家にあった大学生のお姉ちゃんが揃えていた「本物」の文学全集を見て、自分のこども向けの全集が急に幼稚に思えた。
イギリス編、アメリカ編、フランス編とシリーズが続き、確かドイツ編あたりで、こんな子どもっぽいのもういらない、と親に言ったのだった。
だから全50巻のうち30巻くらいしか読んでいないで終わった。
当然その30巻は一冊も残っていない。引越の折にでも処分してしまったのだろう。
我が家に本の届けてくれていた町の小さな本屋さんが大型書店進出の影で廃業したという噂を聞いたのはそれからだいぶ後、1980年前後だろうか。寂しかった。
そして・・・
書店の児童書コーナーに文学全集系のものが消えたのに気づいたのはいつだっただろう。
岩波でも講談社でも偕成社でも、最近では古典的なお話もコミック本のような装丁になっている。挿絵もマンガチックで、低価格で気軽に手に取れて読みやすくなっていると思うのだが、私としては何とも物足りない感じがする。
それでしみじみと思い出したのだ。あのこども向けの文学全集のことを。
私が読んでいたのはどこの出版社のどんな全集だったのだろうとネットで調べた。
最初はなかなか見つからなかったが、記憶からいくつかのキーワードで検索してやっと分かった。
当時いろんな出版社からこども向けの文学全集が出ていたことも分かったが、私が読んでいたのは1964年に刊行された小学館の「少年少女世界の名作文学」という全集だった。
まちがいない。
分かった途端、むらむらと懐かしさが込み上げてきて、中古品を探してネットオークションで落として手に入れてしまった。
全50巻で15,000円。 一冊も欠けていないのが嬉しい。
出品者から大きなダンボール箱2つ分が届いた。
箱を開けるのがもどかしくなるくらい嬉しくて、開けたら開けたで手に取った本の重みやパラパラめくった時に稀に現れる挿絵にも確かな見覚えを感じて興奮した。
手に入れる前は読んでいなかった巻を読みたいという思いが強かったのだが、実際は読んだことがある話から読み始め、そうそう、これこれ!と、こども時代の空間にタイムスリップした。
デュマのモンテ・クリストフ伯が「岩窟王」、ユーゴーのレ・ミゼラブルが「ああ無常」になっているのも懐かしい。
最近は家に帰ってこの全集を手に取ることが楽しみになっている。
寝る前のひと時の至福。少しずつ読み返しているので当分楽しめそうだ。