先日、小澤征爾・松本フェスティバルの演目のひとつ、オペラ『エフゲニー・オネーギン』のゲネプロを観に行った。
この音楽フェスの良いところは、本番さながらの最終リハーサルを無料で公開してくれるところ。
もちろんそれを観るためにはそれなりの手順は必要なのだけど、まともにいい席を取ったら2、3万円もするオペラやオーケストラ演奏を気軽に観たり聴けたりするというのは市民の特権だと思う。
この作品はプーシキンの韻文小説をもとにチャイコフスキーが作曲してオペラ化したもので、バレエにもなっているし、けっこう有名な演目らしいのだけど、私は観るまでぜんぜん知らなかった。でも今回は演出も舞台装置も衣装も音楽演奏も歌手も素晴らしくて、おお、これぞオペラ!というくらい見応えがあった。今まで観た中では一番魅力的な舞台だったかもと思ったくらい。
ロシアの片田舎、都落ちしてきたと思われる青年オネーギンは近所に住んでいる地主の娘で内気な文学少女タチアーナに一目ぼれされて熱烈な恋文を受け取るのだが、ニヒルを気取るオネーギンは、結婚するなら君だと思うけど自分は結婚に幸せを求める人間ではない。君ももっと分別を持たなきゃいけないなどと説教まがいのことまで言って振ってしまう。すべての人々を俗人として軽蔑し、退屈していたオネーギンは、親友の婚約者でタチアーナの妹オリガを遊び半分で誘惑し、それに怒った親友はオネーギンに決闘を申し込む。結果、オネーギンは親友を撃ち殺してしまい、傷心を抱えて各地を放浪するはめになる。
虚無感を抱えたまま数年後に帰ってきたオネーギンは、公爵に嫁ぎ社交界の華となった成熟したタチアーナと再会する。実はタチアーナもオネーギンを忘れられないでいたのだが、オネーギンがタチアーナに思いを伝えると、今度はオネーギンのほうが振られてしまう。タチアーナに今も貴方を愛している、でも時間は元に戻らないのよ、永遠にさようなら、と言われて。オネーギンは絶望の底に沈み込む。
といったような話。
まあ上流階級の男女の恋のすれ違い話というか、若気の至りが招いた悲哀というか・・・悲劇なんだろうけどあんまり悲劇的な感じがしないのは、農民や乳母を含む田舎に暮らす人々や親友や妹が人生に前向きで明るく描かれているのに比べて、主人公オネーギンが只一人バカみたいに厭世的で滑稽に見えるからかもしれない。
大概の人は純粋でまっすぐな娘タチアーナの気持ちに沿ってこの歌劇を見ると思う。それだけ出番も多いし、ソロ場面もたくさんあって、タチアーナの魅力満載の演出になっている。一緒に観た知人(このゲネプロ見学のチケットを譲ってくれた人)も、オネーギンはどうしようもなく嫌な男だけど、舞台は美しくて、タチアーナは最高!と言っていた。
でも私は嫌な男オネーギンに思い入れてしまった。そして若気の至りのようなものを次々に思い出して、なんともいえない気持ちになった。いや、昔の恋バナのことだけじゃなくて。
なんかねぇ、この歳になると若かった頃の自分の残酷さとか滑稽さとかにしみじみしちゃうのよね。 つい数年前まではその延長にいたからか、そんなに気に留めることもなかったのだけど、最近特に思い出す。 無用に人を傷つけたり、無知ゆえの怖いもの知らずな行動や、頭でっかちの発言とか。
いえ別に後悔しているとか、時間を元に戻したいと思うことは・・・・・
あるわね(笑)