心の隙間 2010年09月
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心の隙間

日々感じること・思うこと

ついこの間まで、暑い、暑い!と言って、ぐったりしていたのに、いきなり寒くなって
今度は寒い、寒い!と言っている私です。

なんなのよ~!!! って感じですね。
職場の人なんか、耐えられなくて炬燵出した、なんて言っているんですよ。
それはあまりに大袈裟すぎると思いましたけどね。
でも私も、車にヒーター入れちゃいましたから同じでした^^;

着るものもいきなり変わりました。
タンスに入っている夏服を見たらシラケてしまって、見えないところに仕舞いました。
10日前にはこんなの着ていたのか・・・と思うと、なんとも不思議な感じです。

食べ物も・・・
温まるものが恋しくて、一昨日と昨日は、二日続けて鍋でした。

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博多風もつ鍋

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おでん


この調子でいったら、冬が来る前に、鍋ものに飽きてしまいそうです。

お風呂で髪をシャンプーしている時、たまに思うことがあります。
今、地震がきたら嫌だな、と・・・

単にお風呂に浸かっているだけとか、身体を洗っている最中だったら、すばやく服を着て対処できる自信があるけど、シャンプーしている最中だったら、アウトです。
私は髪がロングなので、けっこう大変なことになると思うのです。
バカバカしいのですが、それを想像すると絶望的な気分になってきます。


以前、シンガポールに転勤になった友人に、現地でかなり大きな地震に遭った時のことを聞いたことがあって、その中で印象に残っている話があります。
市内の高層マンションに独りでいたから、もの凄く怖かったと。
それで、揺れている最中、ます最初に何をしたかということなんですけどね。眉を描いたんですって。
自分の顔の眉をですよ。
彼女、眉を抜き過ぎて薄くなり、すっぴんだと、ほとんどない状態なんですって。
大揺れに揺れている最中に、建物が崩壊するかもしれない、死ぬかもしれない時に、よりにもよって何故?と思うかもしれないけれど、自分としては必死だったと。
逃げるにしても、救助されるにしても、眉がないことには始まらない!と思ったし、死ぬにしても、異国の地で自分の顔に眉がないまま死ぬのは絶対に嫌だったと言っていました。
頭の中では、災害救助隊に救助されている自分の姿が、日本の報道で流れる映像を思い浮かべたと。
で、大笑いしちゃったんですけど、いちおう私も女だし、先のシャンプーの件もあるから、そういう気持ちはわかります。

まあ、本当に大変な事態になったら、そんなことしている暇もないと思いますし、大事に至らなかったのは幸いでした。
でも人って、未経験の事態が起こった時や咄嗟の時にどんな判断をするか、どんな行動を取るか、本人でも予測できないところがありますから、わかりませんね。
無意識に自分の責任や「役割」を遂行しようとするかもしれないし、親だったら自分よりも子供を守ろうとするとか、逆にもの凄く利己的になるとか、いろいろあるでしょう。
私は、咄嗟の時に取った行動から、自分の人間性がどういうものかを知って、ふーん・・と思ったり、後で落ち込んだりしたことがありました。

それに人間は非常に危険な状態に置かれても、ギリギリまでそれを認識できず、甘い判断を下す傾向があるらしいので、意外と兆候があったとしてもやりすごし、本当に何かが起こった時には何も判断できず茫然となるか、パニックになるなんてことにもなりかねません。これは天災や事故の時に限らず、社会現象に対しても同じかもね。
だから、いろいろシュミレーションしておくのが良いかもしれません。

ただ、あまり最悪なことばかり考えているのも、精神衛生上良くない気もするので、その辺は適当にね。

皆さんは、よく見る夢、あるいは夢のパターンというのがありますが?
夢というのは、将来の夢とかそういう類のものではなくて、もちろん眠っている間に見る夢のことです。


私には、よく見る夢のパターンが2つあります。
ひとつは、「水に苦しめられる夢」
たとえば津波が来るとか、湖や海で溺れるとか、舟で沖へ出て戻れなくなるとかね。

もう一つは、「何かしなければならないのに、それをするための何かが足らなくなる夢」です。
たとえば、出かけなきゃならないのに靴下が片方ないとか、プレゼンするのに資料が消えてしまったとか、
舞台の袖にいてもうすぐ出番なのに振付がまったく頭に入っていないとか、気がついたら自分だけ着替えていないとかの、もう間に合わない!絶体絶命!みたいな状況になるやつ。

この二つのパターンは、子どもの頃から頻繁に見ています。
目が覚めると冷や汗びっしょりとまでいかなくても、ああ夢でよかった・・と心から思えるパターン。
現実的だし、あんまり良い夢ではないですね。
たぶん、それが自分の中の最大の恐怖なんでしょうね。
水と準備不足。

でもねぇ、準備不足に怯えるのはその通りだから仕方ないとしても、水に対しての怯えは、どうしてなのか理由が解らないのです。
別にカナヅチでもないし、たくさん引っ越したけど一度も水辺に住んでいたことはないし、ひどい水害を経験しているわけでもないのに、どうしてこんなに水に苦しめられる夢ばかりを見るのか。
小学校6年の時に台風の海に入って波にさらわれそうになった経験がトラウマになっているのかしら、とも考えたけど、その前から津波の夢なんか見ていたから、理由はそれだけじゃないみたい。
謎です。

あ、子どもの頃はよく「追いかけられる夢」というのを見ていたわ。
強盗とか、モンスターのような得体の知れないものから追いかけられて殺されそうになるパターン。
最近はほとんど見ないですね。
実際に「死ぬ夢」というのは何度か見たけれど。


一方、良い夢のパターンは、そんなに思い出せないなあ。
もしかしたら、良い夢というのはパターン化されていないのかもしれません。
あえて言うなら、「空を飛ぶ夢」でしょうか。
これは子どもの頃はいろんなバージョンで頻繁に見たけれど、一時まったく見なくなって、最近また見始めました。高いところを飛びながら、自然や町並みの景色を眺めるのが、最近の私の趣味です。
夢の中でのね♪


それにしても、夢の中での自分というのは現在の自分であることもあるのだけど、子どもだったり他のもの(たとえば男)になっていても何の違和感もないのが不思議ですね。

今まで見た中で傑作だったのは、自分が大昔のモンゴル相撲の力士になっていた夢です。
来る日も来る日も一人で黙々と稽古する、寂しい田舎に暮らす、貧しくて寡黙な青年でした。
人より少し身体が小さくて、でも相撲に勝って賞金を手に入れ家族を食べさせたい思いで、すごく一生懸命頑張っているんです。
背負っているものの重さとか、単調な生活の中でのわずかな希望と予測できる絶望、孤独感、そういうものが全部わかってしまって、自分で泣けたわ(笑)

タロちゃんて誰かと申しますと、うちのオカメインコのことなんですが^^;

太郎という名前なんです。メスですけど。
いえ、最初はメスと分からなかったわけです。
それで太郎なんて名前付けちゃったんですけど、そのうち行動や特徴見ているうちに、どうもこの子はメスらしいと気が付いて、女の子なのに太郎じゃあんまりだという事になって、まあ本人はぜんぜん気にしてないと思うんですけど、今はタロちゃんとかタロ子って呼んでいます。

それでこのタロちゃん、性格がひ弱というか繊細というか、ものすごくビビリーなんです。
大きな音や、予期せぬ突然の変化に、からきし弱い。
地震なんか来た日にゃ、鳥かごの中でパニックを起こし、ギャーッと鳴きながら自分の羽根を骨折するくらいの勢いでバタバタ暴れます。
これはオカメインコ全般の特徴でもあるらしく、通称「オカメパニック」と呼ばれる行動です。

これでよく野生の鳥(オーストラリア生息)として生き残ってきたもんだ・・と関心するんですが、もしかしたらそれだけ敏感だからこそ、危険を回避することが出来てきたのかなとも思います。

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前話しが長くなりました。
本題ですが、このタロちゃん、1ヵ月くらい前から右羽根の部分にチョコッと「おでき」が出来まして、それでも大したことないだろうと放っておいたんですが、少しずつ大きくなっている様子なので、思い切って病院に連れて行ったんです。
結果としては大したことなく、ウイルスによるものとか悪性の癌じゃない、良性のおできという診断で、簡単に切除してもらったんですけどね。

でもまあなんというかその、病院に連れて行くという行為自体が大変でした。
車に乗せるまでと、車で運ぶあいだ中、何度もパニック起こしていましたから。

なだめると言っても、こちらのいうことが分かるわけじゃないし、最初は小さめのカゴに入れて、上から布の覆いを掛けて運んだんですけど、かえって怖がるし、今日は二度目の術後診察の日だったんで、いつものカゴに入れて運んだけど、やっぱり「何するんだ~!またあそこへ連れて行く気だな~!」「やだぁ~!やだよ~!」
って感じでした。

まあ、動物ってそうですよね。病院に行くまではすごく嫌がる。
でも不思議に、診察台に上がると覚悟を決めるのか、恐怖で動けないのか、非常に大人しく従順になるんです。
前に飼っていた犬は、診察台に乗せた途端、おしっこ漏らしてましたが・・((((* ̄3 ̄)
タロちゃんもそうでした。
いや、おしっこを漏らしたんじゃなくて、お医者さんの前に行ったら、さぞかし大パニックを起こすかと心配したのに、じっと大人しくしてたんです。

じゃあ何がタロちゃん「大」パニックだったかというと・・・
病院から家に戻った時にですね・・・私、他の荷物もたくさん抱えてて身体の自由が利かなくて、タロちゃんの鳥かごをエレベーターのドアに挟んでしまったのね。
ガッと音がした時には、タロちゃんはもうパニックだったんですが、私ったら慌てて引っ張って、手荷物を落とし、鳥カゴもひっくり返してしまったんです。

ガタンガランガラガラガラ~~!!! 

凄い音と共にカゴが床を転がり、極めつけは、なんと私、それを足で蹴飛ばしてしまったの。
それで、タロちゃんは、もう究極の大・大・大パニックに・・・
大いに暴れまくったものだから、せっかく治りかけていた傷口がまた開いちゃって血だらけに・・・

せっかく病院に行ったのに、ごめんよ、タロちゃん(泣)


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ふてくされて、しばらくそっぽを向いていたタロちゃんでした。

なんだか、いろんなものが見えなくなっている。

他人のこと。
周りのこと。
この国のこと。
世界のこと。

全てが、ただ自分の周りをぐるぐる回っている。
そして何より、自分自身がよく見えない。

ここにいること。
今やりたいこと。
これから先のこと。

何をどう考えていいのかもわからない。
どうしちゃったんだろうな、私。


今の私は、薄汚れているような気がする。
以前は汚れてなかったと言うわけじゃないけど、一生懸命な分だけ少しは純粋だった。
なるべくきれいな気持ちで人や世界と接しようとしてきた。

今は自分が感じることすら信じられない。
だから何を基準に考えていいのかわからない。

いつのまにか、いろんなものがひっついて、自分のからだを重くしている。
目の前には常に曇りガラスがあり、からだの中は人工的な不純物でいっぱいだ。
気のせいか、周囲の空気も淀んでしまった気がする。

あー、きれいになりたいな。
きれいな身体になって、ほんとうのことが聴こえる耳と、まともなものが見える目を持ちたい。
愛に溢れた心も欲しい。



***

2か月くらい前から、薄暗くなると細かな字が見えにくくなり、すぐに眼が疲れるようになりました。
それ老眼でしょうと人に言われ、とりあえず一番度が低い既製品の眼鏡を買ってみました。
おおっ、よく見える♪

それかよ! 〓■●_バタッ

たとえば私は
「この宇宙には何千億という星があり・・・」という文章を読む時、この 「億」 という数が理解できない。
頭の中でその数の量を想像ができないという意味で。

1万ぐらいはまでは「絵的に」想像できる。
でも十万と百万の違いは、見てもわからないだろう。
百万と一千万の違いや、一千万と一億の違いは、お金で考えればわかるけど、
たとえば、「150万人の子供たちが・・・」といわれた場合、咄嗟にどのくらいの数なのか想像できない。
とにかく、五十万も、百万も、一千万も 「すごくたくさん」 という概念でひとくくりになるだけだ。

これはとんでもないことなのではなかろうか。

たとえば私は
「車に乗っていて交通事故に逢う確立は1万分の1ですが、飛行機に乗っていて事故にあう確立は800万分の1です。だから車より飛行機の方が断然安全な乗り物なのです。」(※このデータ例は嘘です)
といわれても、
「でも、いくら安全だと言われている飛行機に乗っても、自分がその800万分の1の「その1」になるかもしれないじゃないですか。」 なんて言ってしまう人間だ。

これは、数学をよくわかっている人からすれば、バカとしか言いようがないらしい。


この本の筆者ジョン・アレン・パウロス氏によると、ここでいう「数字オンチ」とは、算数ができない人のことではなく、こと数字のこととなると、いい加減な想像しかできなかったり、あるいはいい加減なことを受け入てしまう、数字に対しての感受性が鈍い人のことを言うのだそうだ。

まさに私。

数字オンチだと、想像力にかかわる人生の楽しみを半減させている結果になるという。

この本は、こんな人間が、いかに馬鹿げた発想をしているか、とか、
いかに想像力が欠如しているかとか、
いかに数字に騙されやすいかをトコトン指摘してくれる。

そして著者は、そんな人に限ってそれを直そうともせず、居直ってヘラヘラしていることにすごく怒っている。
本当にそのとおりなので、ごめんなさいである。
読んでよかったと思う本だ。

かといって、数字オンチが治ったわけではないのだが・・・


***

これは私が7年くらい前に、あるサイトに書いた文章だが、その後反省して数字に対しての感受性を高める訓練をしてきたかと言ったら、全然していなかった。

パウロス先生のいうとおり、いまだに居直ってヘラヘラしている。
バカは死ななきゃ治らないという典型を 地でいっている私である。

ほんとは、もうとっくに嬉しくなくなっている誕生日。
とうとう今年も来ちゃったんです。 あたりまえですけど。
 
進歩も成長もなく、老いていってるだけなんですけどねぇ。。
ありがたい話ですが、数日前の日曜日に誕生パーティーと称して友人が来てくれたのと、
昨日は外で飲み会とカラオケで午前2時まで遊んでいました。
12時を過ぎた時点で、「あ、もうきよりさんのお祝いはお終いよ。」 なんて言われてましたが、
それでも祝ってくれる人がいた私は、充分幸せでした。
 
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  歌をたくさん歌いました。 よく覚えてないけど(笑)
 
 
プレゼントもたくさん頂きました。
 
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                               梅 佳代の写真集            メッセージが嬉しい
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アラベスクしているバレリーナは   ボディタトゥ・・・貼れってか!       Bちゃんが送ってくれました♪
手描きです。
 
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「手のひらにぎにぎ」だって      スモーカーの私のための携帯灰皿       髪留め・・・おリボン型は ちょとキツイ^^;
 
 
みんな、なんて優しいのでしょう。
すぐに人の誕生日とか忘れちゃう薄情な私に、ああもったいない!と思います。
感謝・感謝です。
 
しかし今年は、夫さんからは何の連絡もありませんでした。((((((* ̄3 ̄) ぷんぷん
う~ん、こっちからも連絡しなかったし、基本的にそういう二人だから、別に気にすることないんだけど、
去年は花束だったからな~。
一度そういうの貰っちゃうと、貰わない年はがっくりして逆ギレしたりして・・・
勝手だなあ。
 
そんなこと言ってる私は、ほんと幸せ者です。