私の場合、このことをブログに書きたいなあと思いつつ、書けないことがたくさんあります。
書くことがないとか、最初から書くつもりがないと思っているものはいいとしても、
書きたいのに書けないってどういうことでしょう。
文章力がないとか、時間がないというのもありますが、考えてみると、私は文章(形)で残すことに対して、
それを人に見られることに対して、必要以上に構えてしまっているような気がします。
少し前から、新しい稽古事を始めています。
このことも書きたい気持ちがあるのですが、これをやり続けるには、相当気合を入れないとマズイだろうなというもので、これ以上やること増やしてまでもほんとに続けられるのか?という迷いもあって、まだ書けません。
「始めました。」 「止めました。」では、あまりにも自分が情けないからです。
別にそんなこと、他人にとってはどうでもいいことなのにね。
ブログでどうでもいいことを書いたって、書かなくたって、本当にどうでもいいことです。
特に私のブログは、情報提供や「主張」をアピールすることを目的にしていないし、人が元気になるようなことも書いていないし、専門的な特徴もない、ただただ個人的な心情を書いているだけの日記ブログです。
それなのに変ですよね。
時々私は、何のためにブログをやっているのだろうという思いにかられます。
人との交流も、時々すごくめんどくさくなります。
いっそ、自分しか見ることができない専用の日記コーナーでも作って書いてりゃいいじゃん、と、自身に向かって突っ込みを入れたくなることもあります。
それでもブログの魅力は捨てがたいので、放置したとしても止める気はないのですが・・・
人に見られたい、自慢したい、でも醜いところは見られたくないってことでしょうか。
そうだ! たぶん、自分が、自分が・・・・っていうのが醜く感じてしまい、書くことを躊躇するのかもしれない。
書けることはそれしかないのに・・・・。
結局、自意識過剰なんでしょうね。
自意識過剰な自分が恥ずかしいのでしょう。
あ~やだやだ!
人から信用を失いやすい行動はいろいろあると思うけど、その中でも上位にくるのがこれではないでしょうか。
ドタキャン=土壇場でキャンセル
同じ約束を破るにしろ、事前に断りを入れるのと違って、これは最もよくないと思う。
1回目は許されても、2回目にあれ?っと思われ、3回目には完全に信用を失う行為になり得ます。
人間誰しも漠然とした約束事を反故にしていることや、約束していても守れないこともあるでしょう。
だから大概の人は、段取りさえきちんとしてくれれば、人が約束を守れない行為に対して大目に見る忍耐を身につけていると思います。
だけど、ドタキャンだけはだめなんじゃないかな。
ギリギリまで期待を持たせられて、イザ出陣となった時に断られる・・・がっくりきますね。
腹立ちますね。
腹を立てているあいだはまだいいけど、何度もやられたらそのうち信用しなくなること間違いありません。
回を重ねるごとに、言い訳を聞いてもでっち上げとしか思えなくなります。
まあ、私も偉そうなことは言えないですけどね。
若い頃はやったことありますよ、ドタキャン。
それも何度も・・・・気分屋でしたからね。
よく見捨てられなかったなあと思いますが、考えたら私の友人たちも少なからずそうだったんですね。
同類相憐れむってやつでしょうか。
いい加減な人間ばかりが集まっていたのでしょう。
でも気心知れた仲間内はともかく、大人社会でこれをやっちゃダメですね。
ましてや仕事で何回もやったら最悪です。
信用問題というより、死活問題でしょう。
でもやる人がいるんですね。
はい、昨日もやられました。
3回目。
とは言っても、別に自分に実害があったわけじゃないのです。
こちらで用意したお弁当の数が合わなくなっただけですから。
むしろその余ったお弁当を頂けるので、私としてはラッキー♪ ってなもんかもしれません。
でももう、その人は私の中で「信用できない人」となっています。
勝手な言い分でしょうか。
私は贅沢が大好き。
贅沢は生きるための妙薬である。
とは言っても、私の贅沢なんてタカが知れている。
ほんのささやかな喜びであったり、ときめきであったり、ああ贅沢だなあと思うことが贅沢である。
要するに、もうこれ以上何も望まないというくらい気持ちが満ち足りて、ありがたいなあ、すまないなあ、
こんな私にもったいないことだと感じるそれが贅沢になるのである。
休みの日の贅沢は、なんてったって時間を気にせずに朝風呂に入れることだ。
朝っていうのは私の場合、午前中ってことだけど。
身体を清めて今日の休みのことを思う。
一番心が嬉しいひととき。
朝寝も贅沢だけど、昼まで寝ていて午後になってからお風呂に入ると贅沢とは思えなくなる。
スタートが遅れたことで、時間を無駄に使っているような気になる。
お風呂に入っていてもちっとも嬉しくない。
特に今の季節は日が暮れるまでが早いし、暗くなると一日が終わった気になってしまうから。
やっぱり人間、お天道様と一緒に生きるべきだな、なんてことをつくづく思う。
休みの日は早起きしよう。
今まで何百回もそう思ってきたが、そのためには前の晩早めに寝ることが必須だ。
でも、これが出来ることってほとんどない。
何故なら、休みの前の晩に時間を気にせず思いっきり夜更かしするのも贅沢だと思っているからだ。
シンと鎮まりかえった真夜中に本を読んだり、映画を見たり、音楽を聴きながら何かを作ったり・・・
自分にとってこれも至福の時。
どうしていいことやら。
なんてことを考えていられるのは、やっぱり贅沢だな。
昔NHKでやっていたこのドラマ、当時はすごく人気がありましたね。
私も一時期、楽しみで見ていたと記憶しています。
私はわりとミステリーが好きなんです。
謎解きが好きというより、人が犯罪を犯す時の心理とか、追い詰められた時に取る行動とかが面白くてたまらないのです。
時々思いついたようにミステリーに嵌りたくなり、しばらくの期間、小説や映画に没頭します。
それで今回は何故か突然に刑事コロンボが見たくなり、第1話からDVDを借りて見始めてしまいました。
ブログもそっちのけで寝不足になりながら毎夜毎夜見続けて、現在22話まで進みました。
私何してるんだろう。他にやることないの? と思いますね^^;
知っての通りこのドラマは、まず周到な計画を立てて完全犯罪(殺人)を目指し実効する殺人犯とその手口を初めから見せてしまいます。
視聴者はあらかじめ真犯人を知っているから、あとはコロンボがどのように事件を推理し、いかに犯人と対決していくのかというところが見ものになっています。
自分を野暮で愚鈍と思わせ油断させながら、こいつだと思った犯人にストーカーまがいのねちっこさで纏わりつき、受け答えのちょっとした矛盾を見逃さずじわじわと相手を追い詰めていく手法は、いつ見てもお見事です。
まあ、ドラマですからね。(笑)
初期の頃は、いわゆる社会的な名声を得ている人物が野心の権化となって、醜い動機で人を殺す事件なので、コロンボの追い詰めに爽快感を覚えます。
ところが中期以降の作品には、犯人の人格が魅力的で、動機も納得できるというか共感を覚えてしまうような犯人像が登場したりして、あ~あ、コロンボがこの捜査の担当にさえならなかったら、完全犯罪でめでたしめでたしだったのに~!と悔しくなることもあり、完全にこのシリーズの魅力に踊らされている自分に呆れてしまいます。
それにしても、コロンボって、やなヤツですね(笑)
しつこくて、ずうずうしくて、のらりくらりと確信をぼかしながら人を追い詰めるあの性格。
人生の中で最も出会いたくない人間のひとりかもしれません。
今まで見た中では『別れのワイン』という話が気に入っています。
ワインを愛し、ワイン製造に真摯に生涯をかけてきた犯人に、さすがのコロンボも敬意を表しながら逮捕に踏み切ります。
犯人が落ちた直後に自分が選んだワインを用意してその一杯を薦め、犯人に「よく勉強なさいましたね。」と言われ、「ありがとうございます。」と答えたコロンボは、最後に犯人が大切にしてきたワイン工場を見納める時間を与えるという、「ちょっといい話」に仕上がっています。
この作品集は1970年代から80年代のもの。
当時はところかまわず葉巻をスパスパしても、車を運転する人がお酒飲んでも、別に何のとがめもなかったんですね。
携帯電話のない時代でもあり、「電話」はトリックの小道具として重要なものでした。
女優のファッションや調度品などから時代の変貌もうかがえて、なかなか楽しいひと時を過ごしています。
今からまた一本見る予定です(^^ゞ
職場のボスが一年ごとに替わることは前に書いたが、おかげで私は様々なタイプの人間と深く関わる機会に恵まれている。
「深く」というのは、秘書という立場上ボスとは密着した関係になるので、たった一年であるけれど、その性格、嗜好、戦略、立ち回り、人の使い方などから、その人物の価値観や人間性にトコトン触れることになるからだ。
表の顔を立てるための仕事だから、私が見てしまう裏の顔や本質的な側面は、もしかしたら家族も知らないんじゃないかと思うこともある。
だから毎年それぞれに思うことがあり、人というものを勉強させてもらっている。
さて、今年のボスのことである。
困ったことにこの人、人望がないんだなあ。
信念も行動力もあり、頭が切れて「出来る」人だとは思うけれども、人が付いて来ない。
今のところ表立って問題ないけど、参謀はじめ組織内の部下の気持ちが、この人からどんどん離れていっているのを傍目から感じる。
何故か。
その原因として、半年付き合って私が思ったこと・・・
それは、このボスは他人をまったく信用していないということだ。
部下をも信用しない。というか、部下こそ信用していないのだと思う。
人に任せたはずの仕事にチェック以上の介入しようとするし、人が結果を出したことを勝手に自分の思い通りに修正する。
そのことによって結果的によりよい結果になったとしても、それじゃあ任せられた人間が面白くない思いをするのは当然なのに、それを止められない。
自信家だから、よっぽど他人が馬鹿に見えるのかもしれないが、これじゃあ人は付いて来ないだろうと思う。
だったら全部自分ひとりでやれば?ってことになるからだ。
みなのやる気を失わせる点において、人の使い方、育て方がものすごく下手だとしか言いようがない。
それはお金の使い方にも表れる。
合理的で規律に則るのは結構だけど、どんなに小額でも決して自腹を切らない。
要するに人に投資する気なんてさらさらないということだ。
己の自信を裏付けるようなよい結果を出すから誰も文句を言えない。だけど人望がない。
そんな感じ。
人の人格のことをとやかく言うのは醜いかもしれないけれど、結局人望って、能力があるとか正論を通すとか、道を外さないとかじゃなくて、人徳がなければ得られないものなんだと思う。
まあ、人徳と人望の違いとか、本当のところ私もどういうものかよくわかっていないけど、少なくとも自分が一番で人を見くびっているような人に人望がないことは確かだ。
別に本人が気にしているわけでなし、自信満々で幸せならそれでいいじゃないかとも思うが、他人の無能さに腹を立ててばかりいるボスを見ていると、私などは可哀想な人だなあという感想を持ってしまう。
あんまり可哀想なので、仕事中に書いちゃったよ^^;
そのうち部下にこっぴどく裏切られるなんてことにならなきゃいいけどね。
世の中不況というけれど、最近本当にその影響をあちこちで目にします。
昨日も職場の新年会で市内の温泉地の「ある旅館」に行ったのですが、そこも悲惨なことになっていました。
その旅館、元々繁栄している様子はありませんでしたが、義理があって毎年利用させて頂いているのです。
けれど今回は、最初に行った4年前に比べても、ますます寂れたなあという印象でした。
「寂れた温泉宿」というと聞こえがいいように思うかもしれませんが、そこは山の中の一件宿ではなく、娯楽的な要素が強い温泉街にある宿です。だから寂れたと言うのは、「今にも潰れそう」感のことなのです。
それは非常によくないことです。
しかも、その温泉地自体がもう終わっている雰囲気というか、人が少なくて活気が無く、閑古鳥が鳴いている状態です。
人が来ないからお金が落ちない。
お金が落ちないから、宿の経営者は節約をする。
節電で宿の明かりを最小限に抑え、廊下や洗面所の電気を消してあるから、全体的に暗い雰囲気。
人件費を削るために従業員を減らすから、掃除も行き届いていないし、お出迎えの人もいない。
腕のいい板前を雇うお金がなくなると食事の質が落ち、しまいには温泉組合の配送センターから取り寄せた料理をそのまま並べるだけのものになる。
サービスも行き届かず、特徴もなく味気ない食事を出されたお客は二度と来なくなる。
そしてますます寂れていくのです。
悪循環・・・
どうしようもありません。
そして今回とても気になったことは、宿の女将の顔がかなり険しくなっていたことです。
笑顔がないのです。
変な言い方ですが、ちょっと鬱病っぽくなっているようでした。
気持ちはわかるんだけど、これは最悪だったなあ。
せめて女将の笑顔が慰めになることだってあるのに・・・
悪循環で鬱に・・・・・そうならないように自分も気をつけようと思いました。
気持ちが元気なうちは、まだ打開策を考えられるのだから。
私は昔から年上の女性が苦手でした。
甘え下手というか生意気というか、可愛がられるのが苦手という性格も加えて、自身も年上の女性に好かれるほうではなかったように思います。
逆に自分より年下の女性と接するのは得意で、好きでした。
楽だと感じるんです。
今もずうーっと年下の、若くて美しくて品のいい女性が大好き。
見ているだけでついニカニカしてしまうほどで、一緒にいると嬉しくてしかたがありません。
だからかもしれませんが、今でも割りと若い子に慕われるほうです。
今日はバレエスタジオで一緒のCちゃん(20代)から 『これからお茶しませんか?』 というメールが届き、
市内の有名な神社で待ち合わせして、一緒に初詣に行ってきました。
拍手を打って手を合わせている時ちらっと横を見ると、隣に並んだ清楚で美しい彼女も手を合わせていて、
ちょっとドキドキしてしまいました。
かわいいなぁ・・・・♪
って、私、おやじか? 〓■●_バタッ
朝からそりゃあはりきって、ウキウキ気分でゲレンデに着いたものの、いざ滑ってみたら、
なんか足がいうことをきかないのです。
まったく踏ん張りが利かないので、初っ端から5秒で転倒。
その後もヘロヘロしちゃって、ボードに乗っかっているのがやっとという状態でした。
滑ってみるまで、その実感さえわからなくなっていることに呆然としました。
2本目、3本目と滑れば滑るほど下手になっていきます。
正月そうそう、もうもうほんとにガックリです。
私は欲が深いのか、諦めが悪いのか、落ち込んだりして、まだまだ精神的にひよっこだわ。
お正月からこうとは思いませんでした。スキー人口って本当に減っているのね・・・・
貧乏性ゆえの再挑戦です。
それで上手だったらかっこいいと思うのですが、残念ながら非常にヘタクソ!
なんか、年寄りの冷や水って感じです^^;