心の隙間 2007年09月
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心の隙間

日々感じること・思うこと

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行方不明になっている「るるべ」に似た犬を見たという情報で、その場所付近を捜して歩いた。

ソーセージ屋さんに貼らせてもらった張り紙を見た人が電話をくれたのだ。

数日前の夜中、お城の東側の外堀を歩いていたのがそうじゃないかと言う。

詳しい話を聞くとるるべとは少し特徴が違うが、どんな可能性にもすがりつきたい気持ちである私は
いても立ってもいられずに外に飛び出した。


わずかに残っている外堀と内堀の周りをぐるっと回ってみるが、日も経っている上に、その辺りは商店も少なく、聞き込みができない。

路地裏から聴こえてくる犬の鳴き声がるるべに似ているとドキッとして、見にいくがやっぱり違う。

犬の散歩に来ている人達にも声をかけたが、放し飼いにされているような犬は最近見かけないなあと口を揃えて言う。

本当に昨今、いわゆる「野良犬」を見なくなったと思う。


一軒だけ、ガラス窓の大きい、まだ準備中の小料理屋さんを訪ねると、よかったらウチにも張り紙していいよ
と言ってくれた。

人の温かみが心に沁みる。




日が暮れて空を見上げると月が出ていた。

秋の月は悲しい。

るるべもどこかで、この同じ月を見ているだろうか。

この間の日曜日に早川義夫+梅津和時のライブに行ってきたので、まだ印象が濃いうちに書いておこうと思う。

早川義夫って知ってる人いるかな。ある程度年配の人じゃないと知らないだろうな。

伝説の(と言われているらしい)カルトバンド、元ジャックスのボーカルで、70年代にヒットした「サルビアの花」を作曲した人と言えば、ふうん・・と思う方がいるかもしれない。

実は私もよく知らなかった。
私はロック少女だったけど、日本のバンドには全く興味がなかったのだ。

でも、音楽(バンド)をやっている友達は、「通」ぶっていたのか、とっくに解散しているこのバンドのことを何故か皆知っているようだった。
それで私も学生時代、「からっぽの世界」なんかを聞かされたりして、何だかわからないけど「スゴイっぽい」と感じて、名前だけは覚えていた。

だからその後「ぼくは本屋のおやじさん」という本を見た時は、あれ?この人!と思って、すぐに買って読んだりした。
面白い本だった。あまりよく覚えていないが、良い本屋は店主で決まるのではなく客が作るのだというようなことが書いてあって、なるほどと思った記憶がある。
私もそのころ川崎に住んでいたから行ってみればよかったのだけど、結局行かなかった。

そう、彼は20年くらい川崎で本屋さんを営んでいたらしい。

その早川義夫が数年前に音楽世界に復帰していたことは全然知らなかった。
そういうことにまったく疎い生活をしていたから。

今回のライブも友人のジャズマンから教えられた。
その友人が梅津和時氏(サックス奏者)と話をしているうちに、やりたいね、から急速に実現した話らしい。
興奮気味に話す彼を見て、そんなに貴重な企画なら行くしかないではないか!と思って行ったのだ。



ライブの感想は・・・

うん・・・・・やっぱり凄かった。

何が凄いかって一言では言えないけれど、まず彼の声に洗礼を受けるというか、雷に打たれたように全身やられてしまうのだ。

http://www.youtube.com/watch?v=dU796I4ltgw

私は最初からシラフじゃ聴けないと思って、焼酎がぶ飲みして構えていたけど、たとえシラフだったとしても、一種の「酔い」の状態に持って行かれてしまっただろう。まあ、ライブというのはそういうものだけどね。

それと、団塊の世代という人達が前列に構えていて、彼のピアノと歌声に身悶えして、全員とうとうと涙しているのが印象的だった。(私はステージ前の真横の席から見ていたのだ。)
きっと思い入れが強いのだろうな。狂気と悲しみを含んだ自分の青春の闇が蘇ってきちゃうのね。
少しズレるけど、私もそうだったもの。

若い子もショック状態だったと言っていたから、青春の闇と狂気の世界観は人間にとって普遍なものかもしれない。
しかし、今の「おじさん」の心境を綴った歌もなかなか泣ける。


早川義夫さん、あなたは凄いよ。
今60歳。心は20歳。でもこの歳の貴方でしか表現できないものが「今表現されている」と言った感じ。


梅津和時のサックスとクラリネットもよかった。生で聴けて本当によかった。

今回初めて行ったけど、「ヴィオ・パーク劇場」という土壁で造られたライブ会場の雰囲気もよかった。


もうどっぷり、この世界に毒されてきた私であった。

今も飲んで書いてるから、何か変だけどお許しください。


おしまい\(*^▽^*)/

このひと月は、仕事関連のイベントや出張、空手の合宿等で休む暇もなく、

だけど遠方から友人が泊りがけで訪ねて来たり、パーティーやライブに行ったりして楽しいこともあり、

なおかつ友人の入院、Bちゃんの自殺未遂事件、親戚のお葬式やらが続き、

刺激に対して慌しく時を過ごしていたら、なんだかネットの世界から少し遠ざかってしまった。



現実が強烈過ぎると、リアルタイムでそれを受け止めることで精一杯になる。

この間私はよく動き、よく喋り、よく寝て、よく飲み、よく食べた。

よく笑い、よく泣き、よく怒り、よく感動した。

それだけで充分過ぎるほどで、それをいちいち考えたり、改めて表現してる暇がなくなる。

それはそれで悪いことじゃない気もしたし、この状態が「充実している」ということかなとも思った。



ブログ、やめちゃおうかな・・・・・

放置していることが気になって、ネットに繋ぐ時間も取れなくなった時、そんなことも考えた。




それでも今日、ふと時間が空いた瞬間、私はこの場所に来たくてたまらなくなった。

何故だろう。

時間の隙間は心の隙間なのだろうか。


心の隙間には哀しみが伴う。

自己完結しているかに思えた心に、生きていることへの哀しみが襲ってきてしまった。



何から書いたらいいかわからない。

でも何かを書かずにはいられない。




ここは不思議な場所。

リアルでは決して表現しないであろう私の心の隙間を、リアルでは会ったこともない他人に向かって解放する。


私は大事なことより、どうでもいいことしか書けない。

それでもここは、私にとって心の隙間を埋めるための場所、必要な場所なのかもしれないと改めて思った。