心の隙間 2007年01月
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心の隙間

日々感じること・思うこと

緊急事態発生。

親戚の葬儀で今から九州に行かなければならない。

明日の午後に着けば間に合うからと考えて、対策を練った。


本当は明日の午前11時に、ここから福岡まで飛行機の直行便があるから、それに乗れば早い。

博多から列車に乗れば、特急で1時間で目的地に着く。

飛行場までの時間と乗り継ぎを含めて計4時間。

でも、この案は飛行機の割引がないのでお金がかかる。


そこで次の案。

夜中の3時半発の名古屋行きの深夜バスに乗り、名古屋セントレア空港から福岡行きの飛行機に乗る。

そうすると博多からは同じルートを辿るにしても、飛行機代が安いので第1案よりお金がかからない。

ただ時間がかかる。乗り継ぎを含めて10時間 ド━━━(゚ロ゚;)━━ン!!



実は・・・お金の差は片道5千円程度。 往復で1万円。

この程度でものすごく悩む私って・・・^^;



3年までの私だったら迷わず最初のルートで行っただろう。

だけど今の私は金銭的に余裕がない。

貧乏人は身体と時間を使わなければならない。



というわけで、第2案で今から行ってきます!

知り合いのA子が、長年勤めている会社をやめるらしい。

それで彼女、

失業のエキスパート のkiyoryさんに相談したらいいと言われたから、いろいろ話を聞きたい。」

と言ってきた。


ええっ! 誰だぁ~!そんなこと言ったのは。

それを言うなら、せめて 「転職のエキスパート」 と言ってほしかったわ、まったくもう!





でも「失業の・・・」・・・考えてみれば確かに当たっている。

失業して転職する度に、スキルアップするのではなくて、スキルダウンしているように思うし。



はい、話してあげましたよ、私の愚かな体験談。

たくさん脅しました。



とても参考になったと思います(爆)

先週末に東京にいる友人が我が家に泊まりに来た。

この友人は、3年前に彼女が種々の事情で東京の実家に帰ってしまった以前の何年間かを、この土地で何かと一緒につるんで遊んでいた悪友である。

8歳も年下なので生きてきた時代感覚は微妙に違うし、性格もまったく違うが、思想遍歴から根本的な発想スタンスや趣味、生活感覚が共有できる点が多かったことで非常に気が合った。
彼女はクリエイティブな天才肌で、私は地味な穏健派ではあったのだが、そこがまたバランスが取れていたのだ。

東京人気質というのもあるのだろうか。
地方に来ていろいろな人との出会いがあったし、知人も増え、友人と呼べる人も何人か出来た。
しかし、あらゆる意味で地元の人との目に見えないズレを感じていた私たちにとって、言い回しを考えずに頭に浮かんだことを包み隠さずズバズバ言い合えて、性格の悪さを暴露しても平気で、毒舌とも取れるそれを共有でき、笑い飛ばせる相手というのは、周りを見ても彼女しかいなかった。

たぶん彼女もそう思っていたのだろう。

実際に連日のように会って食事をしたりお茶を飲んだり、珍道中のような旅行もした。
バカっ話しからマジメな話まで、よく語り、よく笑った。

自分の生活圏内で、一緒にいて下手な気を遣わずに話せる相手として貴重な存在だったわけだ。


ところが、彼女が東京へ帰ってからは、二人ともほとんど連絡も取らず今日まで来てしまった。
彼女は私が引っ越したことも知らなかったし、私は彼女が現在会社務めをしていることも知らなかった。

二人とも「マメじゃない」ということが共通していたのだ。



今回彼女は別の用事があってこちらに来たのだが、久しぶりに会って彼女と話しをしていると、改めて今の生活圏で気の抜けたサイダーみたいな(←古くさい例えだな^^;)会話しかしていない自分に気がついた。

そして思ったのは、毒を吐ける友人というのは、自分の身近に絶対必要なのだということだ。
何故なら、ずうっと落ち込みモードだった私が彼女と話すことで元気になったのだから。

ここで言っておかなければならないのは、毒を吐くことと本音を吐くことは同じようでいて少し違う。
本音が結果的に毒舌になる場合もあるが、発想の切り口としての手段である場合もあるからだ。
毒は本音の一部であり、本音に毒を入れることで自己を広げられるとも言える。

要するにそれを面白がり、遊びとして受け入れらる相手というのはそうそういないということなのだ。
だから彼女と話している時は、毒を吐いても何の悪気も感じず、自己嫌悪にも陥らずに済む。



今頃になって気付く自分に呆れるが、彼女がすぐそばにいないという状況がつくづく惜しまれる。

休み明けから、仕事も私生活もイキナリ忙しくなった。

予定外のことが次々起こるのは元気な時は楽しいものだが、今の自分には少々きつい。

わかっていたことに対して準備を怠ったことも悪い。

冷え切った状態の車を エンジンかけた途端にぶっ飛ばしたようなものだ。

案の定、酸欠立ちくらみでレッスンリタイヤしたりして、何度かエンストを起こした。

早くガソリンを行き渡らせて、スムースに動くようにしたいわ、このアタマとからだ。


でも、もう本体が中古品だからなぁ・・・

だましだましやっていくしか道はないようだ。


とりあえず、自分を 「美人で元気いっぱいのおねーさん」 と思うことにしようか。


そういえば、2年前に私は、あるサイトにこんな記事を書いたことがある。


* * * * * * * * *



題名:おばちゃんと呼ばせない


私は小さな子どもに、自分を「おばちゃん」と呼ばせません。

もし小さな子どもがおばちゃんと声をかけてきたら、「おねえちゃんでしょ?」と言ってあげます。
「私は 『おねえちゃん』 という名前なのよ」 という手もよく使います。

すると子どもは、少し考えるふうの沈黙の後「おねえちゃん」と言ってきます。

この沈黙の間の思考を想像すると面白くてやめられないのです。


理屈っぽい子供は「どうして?」なんて聞いてきますが、

「どうしてもなの!おねえちゃんだからおねえちゃんなのよ!」と強く言ってきかせます。

すると恐怖に怯えた顔で、おねえちゃんと呼んできます。


5歳くらいになると、子供がいるかいないかで判断するみたいで、必ずそのことを聞いてきます。

「子どもはいないよ。」というと、子どもなりの配慮で、気の毒そうに「じゃあ、おねえちゃんだね。」と言ってきますが、子供に気を使われるのはしゃくなので、

「じゃあってなあに? おばちゃんとおねえちゃんの違いは何だと思う?」
と難題をふっかけていじめます。

捻くれている子どもは、「やーい、おばちゃんだぁ~!」と言ってきますが、「なにおー!」と追いかけていくと喜ぶので付き合ってあげます。



これは数年来続けている私の意地、というより今は完全にネタです。

でもそろそろこのネタも通用しなくなることでしょう。シクシク



それに、これは子供が単独でいる時に限っての話です。
冗談の通じない若い母親の前でこれを言うと、大変なヒンシュクを買うことになるのは経験済み。

ある時、いつもおねえちゃんと呼ばせている子供の、明らかに自分よりずっと年下の若い母親の前で、その子に「おねえちゃーん!」と呼ばれた時の、私の顔を想像してください。



あら・・・子供って正直だから・・・おほほほ^^・・という顔です(爆)


なんて冗談はさておき、やっぱりきまりが悪いのです。

気遣いのある母親から「おねえさんって呼びなさいよ。」と言われている子供には、 そっと「おばちゃんでいいよ。」なんて言ってしまう、気の弱い私でもありますから。

それに、ほんとのこと言って、小さな子どもにおばちゃんと呼ばれても然したる抵抗がないですしね。


抵抗があるのは10代20代の若モノに「おばさん」と呼ばれることです。

ても仕方ないですね。

何故なら私も若い頃は、30過ぎた女の人を 全員「おばさん」だと思っていたからです。



* * * * * * * * *




これを読み返すと、私も2年前は若かったなと思います 〓■●_バタッ

激鬱のお正月をどうにか乗り切り、ブログ復帰おめでとう自分!(笑)


もー精神的に最低でした。
三が日、何も考えずにひたすら映画を見て、ひたすら本を読み、ひたすら寝て過ごしました。

虚しいので一応記録として書いておこうと思います。


★観た映画(タイトルのみ)
・ツィゴイネルワイゼン
・変態村
・ホテル・ルワンダ
・ドア・インザ・フロア
・私は「うつ依存症」の女
・ウイスキー
・リンダ・リンダ・リンダ
・さゆり
・博士の愛した数式
・バトル・ロワイアル
・春の雪
・ダ・ヴィンチコード
・黄色い大地

★読んだ本(タイトルと著者)
・「美食倶楽部」  谷崎潤一郎
・「スペシャルフレンド・ミステリー謎001」 東野圭吾選
・「筆子その愛」  車取ウキヨ
・「東アジア「反日」トライアングル」 古田博司
・「生きちゃってるし、死なないし」 今一生


何の統一性もなく選び、ただ漠然と映像を流し見て、本は文字を目で追って読み続けました。
黄色い大地は再観です。
これから持参のオペラ座の怪人も見る予定。
知っている映画をもう一度観るという行為は心が落ち着くから。

ただでさえ私は「その瞬間」に感情が動かないタイプで、映画などを見ても1ヶ月後くらいにやっと自分の中に反応が来るといった感性の持ち主です。
ちょっと・・・いえ、だいぶ鈍いのです。
特にお正月期間はニブさが極値に達します(爆☆)

ですから今回観たり読んだりした映画や本の感想を書くほどのところまで行っていません。

ただ今回、見ている最中から「これはちょっとひどいんじゃないかな・・・」と思ったものもあります。
映画「春の雪」・・・原作も読んでいないくせに言うのもナンですが、一応三島文学の映画化でしょ。
三島の美意識を映画で表現しようとするとこうなるの?という感じで、がっかりでした。
かえって猛然と原作を読みたくなったくらい。

バトル・ロワイアルもそうで、「・・・・・・」となりました。恐らく原作のほうが面白いのでしょう。

ダ・ヴィンチコードも本を読めば充分。別に映画を見る必要なかったです。

って・・・感想書いてるじゃないか・・・(笑)




まあこんな感じで、ずっと引きこもりっぽいお正月でしたが、ほんの少しだけ外にも出ました。

家から歩いて30秒のところに、小さいけれど地元では有名な稲荷神社があるので、新年明けすぐにお参りに行ってみたのです。
けれどすでに人がごったかえしており、1時間以上並ばないとお参りできない状況だったので、お神酒だけ頂いてさっさと帰って来てしまいました。

でも何となく後ろめたかったので、人が混まなくなった3日のお昼ごろに再度行って、形だけのお参りをしてきました。

よく考えたら、今住んでいるところの裏手にはお寺さんもあって除夜の鐘もきちんと聞こえるし、神社は隣にあるし、年末年始にはとてもよい環境にいたわけです。



あとは書き忘れた年賀状を書いて郵便局に行ったのと、今日は初ゴミ出しをしました。

そうそう、昨日の晩は、うちで友人夫妻と相方4人で新年会もやりました。
あわてて料理つくったり、人と話したりしたことは、リハビリの手始めとしてはよかったかもしれません。



明日から仕事。

こうやって羅列してみると・・・
なんというか・・・自分で言うのも変ですが・・・・・




まあどうにか乗り切ったほうじゃないでしょうか(爆☆)

ストレッチもトレーニングもまったくできなかったので、体がズブズブ状態だけど・・・(泣)