心の隙間 2006年08月
FC2ブログ

心の隙間

日々感じること・思うこと

私の住む地域の行政で実施しているゴミ収集は、分別に関してかなり厳しい。

可燃、埋立、破砕、容器包装プラスチック、資源、廃油など、それらもさらに細かく種類別に分類し、各指定ゴミ袋に名前を書いて出さないと回収してもらえない。
ゴミを出す時間帯も朝7時から8時半の1時間半の間だけ。
中には一月に一回しか回収しないものもあるので、その日をうっかり忘れたり、どうしてもその時間帯に都合が悪くて出せないと本当にがっくりくる。

めんどくさいけれどそれも住民の義務であり、また環境問題を考えると厳しいのは仕方がないことなのだろう。
リサイクルという考え方によってゴミが単なる「ゴミ」ではなくなったのだ。



ところで今朝のことだ。
出勤のため家を出て、何気なく近くのゴミ収集所に目をやると、昨日出したはずの私のゴミ袋(しっかり名前が書いてある)だけが、端にぽつんと置かれてあるのが目に入った。
今日は可燃ゴミの日で、他のゴミ袋とは色が違うので非常に目立つ。
そこには黄色い紙が貼られていた。
よく見ると『不適切なゴミが混ざっていたので回収できません。』と書かれ、まるでさらし者のようになっているではないか。

うわっ、やば!

私はセコイ犯罪者があわてて証拠品を隠すように、コソコソとそのゴミ袋を家に持ち帰った。
しかしその時、ちょっと変だとは思ったのだ。
プラスチック容器ゴミなのに、自分が出した時より膨らんで少し重いような気がしたから。


あんなに気をつけていたのに何がいけなかったのだろう。
そう思って改めて半透明の袋を外側から見た。
明らかに自分が入れたのではない物が入っている。
嫌な予感がしたが、確かめるために袋を開けるしかない。

するとまさに予感は的中。
開けた途端、小バエのような細かい黒い虫がいっせいにぷーんと飛び出してきたのだ。

ぎゃあぁぁ~~~!

私は悲鳴を上げながらゴミ袋を閉じ、外のベランダに引きずり出し、
放っぽり投げ、窓を閉めた。

気持ちを落ち着かせて考えている暇はない。
なんせ私は出勤途中に家に戻ってきているのだから。

ぎゃ~、遅刻するぅ~!

今度は時計を見て悲鳴を上げ、大慌てで職場に向かうこととなった。
おかげで朝からぐったり疲れてしまった。




今、仕事中に改めて考えている。

誰かが私の出したプラスチック用ゴミ袋に、勝手に「生ゴミ」を入れたのは間違いない。
腹立たしい。

でもそれは何故なのだろう。
嫌がらせでない限り、心無い人が行なった行為がたまたま偶然私のゴミ袋に当ったということなのだろうか。

あの黄色い紙に書かれていた内容が、「生ゴミ」が入っているから回収できなかったのか、それとも本当に私のゴミの分別が間違っていて回収してもらえず放置してあったから、不届き者に隙を与え、異物が入り込むことになったのか。
だとしたら私にも半分責任があるのかなぁなんてね。


でも実は、今私が悶悶と思い悩んでいるのは、ゴミ問題とかマナーの問題ではない。

今朝ベランダに放置してきたあのゴミをどう処理しようかということだ。
今ごろあの虫たちは、ゴミ袋の中の蒸し蒸し状態で 「繁殖」 しているのではなかろうか。


うう・・・ 想像したくない!



とりあえず今考えつくのは、今日殺虫剤を買って帰ろう ということだけだ(泣)

人の出会いと関係は、実にスリリングでミステリアスだ。

ほんの一時期すれ違っただけなのに、自分の中に大きな影響を残す人もいれば、毎日会っているのに別段何も感じない人もいる。
同じクラス、同じ職場にいながらそれほど親しくもならず、かといって対立するわけでもなく、そこでの関わりが終ると関係が自然消滅し、記憶からも遠退いてしまう人。

また一方で、出会った瞬間からピンと来る人がいる。
初めて会ったのに、出会うことが運命付けられていたように感じる人。
男女に関係なく、良い意味でも悪い意味でも、その人が自分の人生に大きくかかわってくるであろうと予感できる人のことである。

このような人との出会いは、大概は相手も同じように感じているものだ。
よい意味の場合は、お互いが感性を確認し合うかのように急速に接近し合う。
その逆で、出会った途端に嫌な予感に襲われる人は、まるで前世からの天敵であったかのように思う。
その証拠に、こういう人とはすぐに縁が無くなるということがない。
できれば関わり合いたくないと思いつつ、後々まで関係が切れず、トラブルや苦しみの元になったりする。

ところがこの、ピンとくる人こない人、良い意味と悪い意味というのが逆転することがたまにあることも事実だから、人間関係は侮れず、人生面白くてやめられない。


過去には関わりが薄かった人と、何年か経ってある日突然別の場所で出会い、それから真に親しくなることがある。
親友と思っていたのに、段々と何か違うと感じ、つまらなくなって離れてしまうこともある。
運命の出会いと感じた恋人と上手くいかなくなるのも然り。
天敵と思うくらい嫌いだったのに、あることがきっかけでその人を見直し、偏見が解けて良い友達になることも。

どちらかというと初めの印象が薄い、あるいは悪いと感じる人のほうが、後になって良い関係になると嬉しかったりするものだ。



若い頃、私は自分の直感や感性に絶対の自信を持っていた。
しかしこれは、実は安易な自信だったのではないかと最近思うようになった。
第一印象というものを信じて、一生その人と親しい関係になるだろう、あるいは一生好きにはなれないだろうと感じるのは、生存本能による危機感と安心感の直感を単に自分の感性と履き違えているに過ぎないし、人生経験の少なさからくる傲慢さによるものだったと今は思う。
だからこういう感性は半分本当だが、半分嘘でもあると言える。

何故なら人は成長し、変化する。
恐らく生まれ持った身体的波長というのはあるだろうし、その基本的波長が黙っていても融合し合う人というのは確かにいると実感する。
けれども後天的な波長やオーラというものは、自身が生き方の中で造っていくものだと思う。

縁という言葉を使えば、自分の人生の中で出会う人というのは、全て何がしかの縁を持った人ということになる。一番深い縁は肉親なのだろう。
しかし、縁というのは決して受動的なもの、運命で決まっていたり神から与えられたものばかりではないと思うのだ。自分次第で造っていくものだ。

だから、人との出会いや関係性は、その時々で響きあう時に響きあい、出会う時には導き合う。
たとえ離れたところにいても、人は出会うべくして、出会うべき時に、出会うべき人に出会う。
これは必然であり、決して偶然ではないはずなのだ。


そう考えると、今は特別何も感じない人でも、やがてその存在が自分にとって大きくなることがあるかもしれないと思えるし、
苦手な人、嫌いな人というのは、自分の成長を助ける上で欠かせない人であり、これから新たに出会う人というのも、自分が造ってきた道筋によって導かれた人と思うことができる。


止まっていては出会いはない。
頑なな心を持っていては未来は変わらない。

これから先どんな人との出会いがあるか、それがどのように変化するのか、敵との関係の修復は可能か不可能か、
今大切な人との関係はこれから先も発展するのかしないのか。

結果なんてない。


私は密やかに自分を磨くことで、未来に対して常にわくわくしていたいと思う。

引越しです。

職場の事務所が移転することに決まりました。
あさってが引越し日。


私には『引越しの神様』でも憑いているのかしら。
生まれてから今まで、公私共に、いったい何回の引越しがあったことでしょう。
数えるのが恐いくらいです。

個人的には半年前に住むところを変えました。
それは私の都合によるものですが、以前務めていた会社でも二度引越しがあったりして、
どうも私は自分の意思とは関係なく、ひとつのところに落ち着かない運命にあると感じざるを得ません。

生きてく環境コロコロ変わります。



ああ、楽しい人生だ^^;

山に篭もる

耳に入るのは
虫や鳥の声
草木のざわめき
風の音
遠くで吠える狐の鳴き声
深夜になると しーんと静まった音



雨に日に街の雑踏を歩く

耳に入るのは
傘に打ち付けられる雨の音
アスファルトを弾く車輪の音
消されそうになる足音
遠くに聴こえる救急車の音
篭った信号機の電子音
何もかもが雨音と一緒くたになった雑音

けれども身体で感じるのは無音という音



静寂にも音がある
音にも静寂がある



音楽を聴いても 何かを見ても
踊っていても 話していても

ほんの時折
魂が静寂の中を浮遊する

私が無くなり世界と融け合う

梅雨明けからの急激な気温上昇で、連日30度を越す真夏日が続いている。

先日、真昼の炎天下で3、4時間仕事をしたことをきっかけに、ここ1ヶ月の溜まった疲れが一気に表面化したのか、体力自慢で「短眠」を誇っていた私も最近は眠い。
もうもう、とにかく眠い。

副業のアルバイトの方はだいぶ慣れて、もうあまりダメダメ人間でもなくなったが、今度は頼まれると嫌と言えない性格が災いしてシフトが過密気味に。

その結果、帰って来ると着替える気力もなくそのままベッドへ倒れ込み、数時間爆睡ということが何日も続いてしまった。
はっと気がつくと真夜中の2時とか、下手をすると明け方だったり。
それからとろとろ起き出してお風呂に入って、改めて寝直す。
朝もつらくて、いくら寝ても寝足りない感じ。
冬眠じゃなくて夏眠できそうだ。

と言いながら、ここでこんなことしてるのは悪循環というものだろう。



明日は地元上げての大きなお祭りがあり、バイト先のお店は稼ぎ時で、一年で最も忙しい日ということだ。
私の担当のホールはすでに100人の予約が入っている。
経営者はウハウハ喜んでいるけれど、たった二人でどうやって対応するのだろう。


ああ、だめだ・・・考えないことにしてもう寝よう!