心の隙間 2005年11月
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心の隙間

日々感じること・思うこと

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子供は、教わり、吸収し、学ぶことが生きることだ。
でも人は歳を取るに従って、純粋に何かを「教わる」ということが出来なっているのではないだろうか。

学習、稽古というのは確かに過去の積み重ねである。

けれども、自分が知らない、あるいはまったく経験のないことについて初めて教わる場合でも、大人は数少ない関連性のある分野の事例やにわか知識で性急に自己の土台を築き上げ、それを絶対に壊そうとしない。

もし壊してしまったら、あたかも自分というものが無くなってしまうかのように。

でも、その後生大事に抱えている自分の知識など、実は何の役にも立たないばかりか、
弊害にすらなるのかもしれないということは考えない。


無知である自分を自覚することを大人は恐れる。
経験がないということを大人は恥じる。

プライドというやつだ。


しかも一番やっかいで、しかも本人すらなかなか気がつかないのは、教わっていることに対して

「そんなことは知っている」
「経験があるからわかっている」

と思いこむことである。
具体的な例として挙げると、「私は○○拳法を○年やっていました」みたいな人は、少し違う武術を習う際、なかなか「教わる」体制に入れない。

逆に今ある自分をひけらかすことに一生懸命になる。

「自分はこう教わってこうやってきた。」「私のやり方は崩したくない。」
とばかりに、頑なに自分を守る体制に入ってしまう。

しかしそうなると、外からの情報の肝心要のことを見落としてしまうこともある。
先入観、固定観念を持つというのはこういう点で損なのだ。

プライドを捨てきれない人は上達が遅い。
私が空手を教えていて何度も感じるのはこのことだ。


素直になる。
自分をクリアにしてみる。

簡単そうで実は一番難しいのも このことである。


私は稽古を続けて一番よかったと思うのは、
自分という器を空っぽにしても、器自体は絶対に無くならないという確信を持てたことだ。

自分というものは、なくそうとして努力しても、無になろう、ゼロになろうとしたってなかなかなれるものではない。
だったら器の中身はこぼしたっていい。
また新鮮なものを入れる余裕をつくるほうが気持ちいい思う。
後は漉していけばいいのだ。


そして個性というものは身に付けるものではなく、
「そんなものいらない。捨てちゃえ!」と振り払っても振り払っても、
それでもなお残るもののような気がしている。



自分が積んできたものは、本物だけは必ず残る。
それは自分の芯になる。
芯は成長し、大きくなる。
腐った偽者は剥がれ落ちてきれいになるよ。
自分が変化するのはいいことだ。

だから安心して、自分を捨ててみよう。
勇気を出して。


私はいつも心の中で自分にこう呼びかけている。

私は踊ることが好きだ。
音楽やリズムに身体を乗せるのも、無音の状態で踊るのも、
空間の中で身体を使って動くことが大好きだ。
どんなに仕事が忙しくても疲れていても、週4回のバレエレッスンは欠かしたくないと思う。
実際はそんなことは無理だとしても。

先回の発表会で、私は群舞を踊った。
今回はそのことで学んだことを少し書いてみる。


群舞は踊りの中で個人個人として認識されることはないが、皆が呼吸と動きを合わせることによって大きなエネルギーを創り出し、その広がりと華やかさで観る者に感動を提供する重要な踊りである。
その他大勢の中のひとりなので安易なようでいて、これが揃っていないと舞台全体の質も低下してしまうという、実は最も難しい踊りでもある。

ところが私、この群舞が大の苦手だった。

訓練ができていないというのもあるが、
根本的に人と合わせるということがどういうことなのか分かっていなかったのだ。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「ちゃんとみんなに合わせて!」
「違う、違う! 合ってない!」
「コール・ド(群舞)になると どうして途端に下手になるの?」

私はいつも怒られていた。
人に合わせよう合わせようとすればするほど合っていないと指摘される。
ひとりで踊ったほうがよっぽど楽と思い、群舞という役に不満だった。

しろうとバレエ団である。
年齢や体型、背の高さ、踊りの癖、バレエ歴はそれぞれ差がある。
でも私はこの中でいえば「ベテラン」のほうなのだ。
なのに何故こんなにも下手なのか。

踊りができないわけじゃない。
自分だけリズムが違うのか・・・でもそこまで個性は強くないはずだ。
人にできて、私にだけできないのは性格的な問題があるからなのか。
私はそこまで自分勝手な人間だったのだろうか。
いや、絶対に自分勝手になんか動いていない・・・。

人一倍努力しているという自負があるだけに、
自問自答しても、どうしていいのかまったくわからなくなっていった。

それでも何ヶ月か同じメンバーで同じ踊りを稽古していれば、だんだんと呼吸も合ってくる。
ただ自分では何かがしっくりしないと心の底で落ち込んでいた。

どんどん踊りが下手になっている気がしていた。

Kiyoryさんは最近元気ないねという噂も耳に入ってきた。

みんなとお茶を飲みにいく回数も減った。



そんなある日、稽古も中盤に差しかかった頃だったが、
演出補助も引き受けて下さっているある有名なダンサーがみえた。
そして、全ての踊りをひと通り確認した後、私を呼んでこう言われた。

「あなたさ、 なんでそんなふうに踊ってんの?
リードしてかなきゃいけない位置にいて一番自信なげに見えるよ。
あのさ、合わそうとするんじゃなくて、普通に自分を表現する気持ちで踊ってごらん。
役になりきって堂々と。 心から楽しく、自分が舞台を盛り上げる気持ちで。
そしたらみんなだってそうなる。合わせるんじゃなくて自然に合ってくるはずだから。
コール・ド(群舞)というのはね、そういうひとりひとりのエネルギーが一丸になるから素晴らしいんだよ。
目立たないように踊るのが目的じゃないんだから。そうでしょう?」


そうか・・・そうだったよなあ。
目から鱗、急に視界が開けたとはこういうことを言うのかと思ったほどの忠告の言葉だった。
今までどうしてこんな簡単なことを忘れていたのだろう。


確かに自信がなかった。

私は大勢の人に合わせるということに最初から苦手意識があったのだ。
そのことが精神的な引け目になり、
人に頼り、人の動きに合わせることばかりが気になって、自分というものを見失っていたのだった。

そして私は、
人に合わせるというのは自分を殺すことだと、いつの間にか思い込んでいた。
だから踊っていてちっとも楽しくなかったのだ。

群舞は目立っちゃいけないからと控えめに踊ろうとばかりしていた。
手を抜いているつもりはなかったが、結果的にそうなっていた。
謙虚も過ぎれば傲慢になるという典型になるところだった。

バレエを始めた頃は、もっと夢中で踊りそのものと人のエネルギーを全身で味わっていたはずだ。
かつてはムードメーカーとしても存在していた私。
なのに・・・・
大切なことを忘れるところだった。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


それから数ヶ月・・・
幕は閉じた。

この8月間、それぞれの悩みを抱え、
忙しい時間を裂いてレッスンに励み 創り上げてきたものの総決算、それが今終ったのだ。

幕が閉まった瞬間、舞台では主役も脇役も先生もスタッフも皆抱き合って泣いていた。
特に泣いたのはこの群舞のメンバーだった。

みな仕事や家庭を抱え、自分が一番稽古不足なのではないかと思い、
人に迷惑をかけたくない一心で陰ながら自主レッスンをしてきたメンバーだ。
このためにどれだけの犠牲を払ったのだろうか。

悩んでいたのは私だけではない。



「ありがとう」という言葉が幾重にも交差する。

お互いを思いやり、称え合い、やり終えた安緒感と充足感で気持ちがひとつなった。

「明日からまた頑張ろうね。」
「うん、みんなで頑張ろう。」




人って素晴らしいと思う瞬間だ。

「おい、田中がいないぞ。」


「桜井は?」


「おかしいな、さっきまでいたのに・・・。ションベンじゃないか?」


「やだねえ、自分勝手な奴らは。なあkiyoryちゃん、ビール買ってきて。」


「アホかおまえは。飲むことしか考えてねえな。 あ、ついでに俺の分も頼むわ。」


「お、田中帰ってきた!」


「桜井は?」


「ワシもションベン行きたくなった・・・」


「おい、そろそろ行かないと時間ないぞ。」


「切符買っといたほうがよかないか? kiyoryちゃん先に行って買っといてよ、俺の分。」


「なんだ小林、まだ買ってなかったのか?」


「おまえら何いってんだ、kiyory君が帰りの分はまとめて買っとくって行く前に言ってただろ。
 ちゃんと人の話聞いとけよ。」


「おいおい、俺買っちまったぞ、来るときに。 kiyoryちゃん、駅に着いたら払い戻ししてきてくれ!」


「kiyory君、こいつらの言うことなんか聞かなくていいからな。ふざけやがって。
ワタシがいいって言ってんだから いいんだ!」


「これ切符。」


「ワシ、やっぱりションベンしてくる。」


「時間ないって言ってるだろ。電車に乗ってからにしろよ。」


「いや、漏っちまうよ。」


「しょうがねえなあ山田は。 あ、でもオレも行っとくか・・・ 駅どっちだ? 待ってろよ、ぜったい先に行くなよ。」


「おい、小林のあの歩き方見てみろよ、ははは、まるっきりじいさんだぜ。」


「おまえ人のこと言えるか? ガマがえるみたいな図体しやがってよ。」


「ほら見ろよ、この櫛いいいだろ。20年使ってるツゲだからが渋いね~。ああ、おまえには必要ないけどな。」


「ワシ八丁味噌買うの忘れた。かあちゃんに怒られちまう。 Kiyory君、土産屋どこ?」


「ったく! 先に行っちまおうぜ。あいつら長いぞ。 あれ?おれのカバンは? 知らないか?
 あ~~!さっきの会場に置いてきたか! Kiyoryちゃん、取って来てくれ!
茶色の、ここんとこに紐がついたの。 知ってるよな?」





「桜井は?」






はいはい、はいはい。

これ、みんな70過ぎのおじいさん達の会話です。

社会的には「立派な」人たちです。

歳を取ると子供に返るっていうけど、本当ですね。



さあ、みなさん、出発しますよ。

もう忘れ物はないですか?

トイレはいいですか?

勝手な行動をして迷子にならないように、ちゃんと私の後についてきてくださいね。

切符は改札口のところでお渡しします。

私はそこで別行動になりますが、切符は失くさないようにしてくださいね。

では出発します。




ちなみに私はツアー・コンダクターではなく、出張会議に同行しただけの ただの事務員です。

「方向音痴」というのは何故起こるのだろう。

前回の私の記事の内容もさることながら、
その中の「方向」に関する記述の表現が未熟で、本来言いたかったことが伝わらなかったことから考えた。
先天的なものなのだろうかと。


最近脳の研究から「男性脳」「女性脳」というものがあると科学的に証明されたらしく、
私もそれに関する本を読んだことがあるし、ブログの記事やコメントにもよく引用されている。

それによると、男性は右半球の脳がより早く発達するので空間的認知能力が高く、
幾何ベクトル的な空間把握で自分の位置を確認するという。

一方女性は左半球の脳がより早く発達するので、言語や感情能力に長けるが、
空間把握に関しては「目印」に頼るところが大きく、距離の把握などは苦手というものだ。

根拠は、過去に人類が集団栄巣していた頃の役割分担の名残だという。
男は狩りに出かけるために、女は子育てのために果実や根菜類を採取して陣営を守ってきたため、
必然的に脳の発達に差が出たというものだ。


私はこれを男女の差異の歴史として認識する上では納得できるが、
「これが本能」とか「これが本来の正しい姿」とまで言うのには躊躇する。
それはさておき、方向感覚というのは、生まれてきてからの生活環境も大きく作用するように思う。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


私が今住んでいる地域は山に囲まれた盆地である。
地元の人たちは男女を問わず「東西南北」の感覚を太陽の位置関係と山の方角を基準に、
子供の頃から身体で体得しているようだ。
しかし地元生まれでない私にはいささか困惑することが多い。

全国の地名で「○○南」とか「北○○」というのがよくある。
しかしここではもっと複雑で、「北○○東」とか「南○○北」なんていうのも多くあって、最初は「はあ?」と思った。

場所の説明にしても
「この建物の北側の道に出て東に1キロくらい行ったら○○に出るから、
そこから南に向かってちょっと走れば西に看板見えるよ。」

という具合で、その度に
「すいません、そこを左ですね?えっと、右側にということですね?」
と聞き直していた。


同じように、
隣接市にある某大手企業の巨大工場の敷地内は、私にとって最初は迷路のようなものだった。

本陣や研究室などは公道を挟んで「北構内」の敷地にある。
南構内には「1号館」「2号館」というというごく普通の名称の建物もあるが、
そのロの字型の建物にはそれぞれ「棟」という名称も付いていて、それが東西南北の表示なのである。

現場事務所で
「北構内1号館南棟東側」とか、
「2号館3階北棟西の○○課にすぐ行ってくれ。エレベーターを降りて西側ね。」
という言い方をされると、一瞬頭がデットヒートする。

地元の人は何の躊躇もなく極自然にこういう名称を受け入れていて、
何故わかんないの?という顔をするが、私はここにひと月通い詰めてぐるぐる歩き回った末、
やっと言語と体感を一致させることができた。

この場所からすれば東は山側、西は湖側なのだ。
たまによそから来た出張者などが、これで目を白黒させているのを見ると、ふふふ、仲間だ・・・と喜んでしまう。


私は最初、ここの人たちは何て方向感覚が鋭いのだろう。
自然と共に生きている人は凄い!と感嘆した。
ところがこの人たちも
「東京や大阪に行くと西も東もわからない。」
「すぐ迷子になる。」と言う。

これは単に頭の中に地図が入っていないからだと思うのだが・・・。
「だって山がないしさ~。」というのを聞くと新鮮だ。



方向感覚は幼児期が最も育成されやすいらしい。
どうも私は「東西南北」の感覚意識をあまり発達させないまま成長したようだ。
無意識のうちに把握しているということもないと思うし、
頭で認識し体感して受け入れるのに時間がかかる。
その代わり、狭い範囲の3D感覚的な把握は割と得意なほうだ。

それが環境や学習による個人差なのか、
「男性脳」「女性脳」の違いや影響によるものなのか、
考えてみるのも面白い。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

余談になるが、
私はこのブログの住人たちを自分を中心とした地図上に勝手に分散してイメージし、
そこに空間移動しているような感覚で遊びに行く。

○○さんは私の左裏、○○さんは右手側上方の少し離れたところにいるというように。
不思議なことにこの地図は、対象の人を認識した初期の頃から出来上がり、
その後変化することがほとんどない。

この場合の左右のどこに誰を配置するかの判断も右脳左脳が関係しているのだろうか。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

これは私だけの感覚なのだろうか。
聞いてみたい。

皆さんにもこういう感覚ありますか?

人の行動に全て意味があるとは限らない。

おそらく誰でもひとつやふたつ、
自分がまったく無意味な行動を取っていると感じた出来事があるのではないだろうか。

私の場合
今回も運転の話ですが・・・


☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆


夕方近く、ちょっと遠出をする用事があり車で出かけた。

高速道を使った方が断然早いのはわかっていたが、
まだ時間もあるし高速代ももったいないと考えて下道を走っていくことにした。

ところがしばらく走ると帰宅渋滞に巻き込まれてしまい、そのトロトロ感にだんだん疲れてきた。
そして
とうとう我慢できなくなって、途中から高速道に乗り入れた。


あーやっぱりこっちのほうが空いてて気分がいいなあと、
ふんふん鼻歌まじりで運転していたのもつかの間、おかしなことに気がついた。

あれ?・・・標識が・・・なんか変・・・


がーーーん!! 逆方向に向かって走っている!



あわてて次のインターで降りて、(この間の距離の長く感じることといったら!) 
そのままUターンして、また高速道に乗った。

今度は目的地まで渋滞だった。



結局、時間も料金も倍かかった。
時々私は自分が何をしているのかわからなくなることがある。


☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆


意味のない行動の話でした。

お粗末さまです<m(__)m>

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私はよく、車の運転をしながら考えごとをする。
運転中音楽を聴きながら頭の中で踊っていることもある。

車の運転が好きで好きでたまらないわけでもなく、
運転技術に自信があるわけでもない代わりに、
ハンドルを持つと人が変わるということもない。

感情はいたって淡々と、
安全第一で流れに任せて運転していることが多い。

以前、想像とも現実ともつかない考えごとをしながら運転していて、
はっと気づくと自分がどこを走っているのかが分からなくなったことがあった。
三月ほど前から通い始めた片道40キロの通勤路の帰り道だった。

しばらく前から私の前を走っていた車を 
無意識のうちに同じ方向に行くとばかり思って付いていってしまったのだろう。



そこは知らない田舎町だった。

あたりはもう暗く、見知らぬ風景といっても道路際の家の灯りが見えるばかり。
方角も分からず、ただただ車を走らせる。

標識はローカルすぎて何の判断基準にもならない。
見たことも、聞いたこともない地名。

ここはどこだろう。

私はどこに向かって走っているのだろうか。


引き返そう、何度もそう思う。
でも、道は続いているのだ。

止まりたくはなかった。

ガソリンメーターを見る。
大丈夫、あと200キロは走れる。



どこかに出るだろう。
私が帰ることのできる、手がかりが見つかるどこかへ。


・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・


結局私は手がかりを見つけ、当然ながら帰ってきました。

でもこの時の不思議な感覚は今も忘れることができません。

迷子になったというよりは、空間移動の旅をした気分でした。

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私の父は神田の生まれ。いわゆる江戸っ子である。
日本橋と京橋に店も構えた職人の長男坊だ。
東京大空襲で一家全滅。
ただひとりの生き残りであり4代目の父は家業を継がずにサラリーマンになったが、
坊ちゃん育ちで内弁慶のまま大人になった。

野暮なことが大嫌い。
見栄っ張りで、新しいもの好き。
熱しやすく、冷めやすい。
小心者のくせに口が悪い。

全ての江戸っ子がこうではないと思うが、
典型的な江戸っ子気質を持っていたことは確かである。

父がサラリーマン生活をどのように送ったか、私はほとんど知らない。
のちに人から聞くところによると、人格者だったという。
信じられない。

何故なら家の中ではひどかったからだ。

だいたい、いつ家に戻るかもわからない。
子供と食べ物のことに関心を持つのは男じゃないと思っている。
人に優しくするなんて、死んでもできるかという態度をとる。

「おい、あの馬鹿がこんな物持ってきやがったぞ。くだらねえ!」
「あーあ、やだねえ、田舎もんは。」
「女なんてもんはなあ、元々頭悪いんだ。人間だなんて思っちゃいねえ。女族だ。」
「バカヤロウ!何いってやがる、この小娘が!」
「女にも人格がある?へぇ、そいつぁ驚いたね。初耳だ。」
「俺が稼いだ金で食わせてやってるんだ。文句は言わせねえ。」


私は父を軽蔑し、憎んでいた。
こんな人間の血を引いていると考えただけで、いたたまれなかった。

私が20才で家を出ると言い出した時、烈火の如く怒った父は、
ならば勘当する!と宣言した。

「二度と家の敷居は跨がせねえ。学費も出さねえ!
それでもいいんなら、野垂れ死にでもなんでも勝手にしろ!」

私は家を出た。
しかし実際、親子の関係がそう簡単に切れるはずもなく、
何年かのち、私は家の敷居を跨いだ。
野たれ死にもしなかった。

それからの親子関係が案外上手くいっていたのは、
距離を置いて、つかず離れずの生活を送っていたからかも知れない。
けれども、若い頃のひっかかりはずっと頭の片隅にあった。


弟が死に、母も逝った。
ひとり暮らしだった父が脳梗塞に襲われて、すっかり性格が変わったのは3年前のことだ。
おとなしく物分りのいい温和な人物になった。

私は父を引き取り、再び生活を共にしている。

今では何をするにも、私を頼り切っている父。



先日東京から、父の古い友人が、お見舞いがてら遊びに来た。

歳をとって枯れてはいるが、相変わらずのべらんめえ調。
テレ屋なのでお世辞のひとつもいえない。
お見舞いに来たはずなのに自分のことばかり喋っている。
お酒を飲んで言いたいことを言っているが、中身は薄っぺら。

そんな父の友人の姿に、私はかつての父の面影を見る。

胸が熱くなった。
自分勝手で我侭で、腹立たしい暴言を吐く父が急に懐かしくなった。

父を許すことができなかった自分。
かつて権力者としてその存在を誇示していた父。
その父を今は哀れみの目で見なければならない自分。

ふと見ると、
安楽椅子に腰掛けたまま、友人の話そっちのけでうたた寝しはじめている父がいた。


☆-・-☆-・-☆-・-☆―・☆-・-☆-・-☆-・-☆―・☆-・-☆-・-☆-・-☆-・-☆

これは一年前の私が書いたものです。

半年前、父は他界しました。
あっけない死でした。

涙も流さないまま今日に至る自分を時々考えます。

親と子の関係性はそれぞれで、決してひとつの理想論で結ばれているわけじゃない。


父との確執は、
「死」という決定権を持った父のほうから一方的に終止符を打たれてしまいましたが、
残された自分はまだ引きずっているような気がしています。

私に引き継ぐ権利はあるのか。
確執の終焉はいつになるのか。

COOLさんからいただいたきました。
バトンは初兆戦ですが、これはひとこと書けば済むのでよかった~!と思っています。


◆バトンのルール◆
イメージでつながっている言葉(キーワード)の最後に
自分のイメージを1つ新しく付け加えそれを新たに『3名様を指名』した上でお渡しする。

今までのバトン:

「海」→「ブルー」→「サッカー日本代表チーム」→「ドイツ」→「ソーセージ」
→「バーべキュー」→「カニ」→「白砂」→「砂丘」→「海」→「太陽」
→「ひまわり」→「種」→「スイカ」→「うめぼし」→「和歌山」→「みかん」
→「あたしんち」→「猿山」→「赤ちゃん」→「フレンチブルドッグ」
→「おばあちゃん」→「ボーリング」→「ハイタッチ」→「アメリカ」
→「カジノ」→「ドラクエ!!!」→「スライム」→「キング」→「トランプ」
→「マギー審司」→「ジュエリーマキ」→「後藤真希ちゃん」→「モーニング娘。」
→「テレビ東京」→「旅」→「駅弁」→「牛タン」→「カルビ」→「脂肪」
→「カプサイシン」→「ナルリョラ イスンヨプ」→「金本知憲」→「ミラクルホームラン」
→「逆転」→「旗」→「体育祭」→「打ち上げ」→「飲ま飲まイェイ」→「一気飲み」
→「ウコン」→「インド人」→「ガンジー」→「黄色の服」→「阪神タイガース応援団!!」
→「六甲おろし」→「もみじおろし」→「花札」→「パチンコ」→「景品」→「電化製品」
→「冷蔵庫」→「空っぽ」→「私の頭の中」→「音楽活動」→「業界」
→「セレブ」→「おっぱい」→「汗のにおい」→「スポーツ」→「運動会」→「リレー」
→「ハチマキ」→ 「祭り」→「屋台」→「とうもろこし」→「コーンポタージュ」
→「マグカップ」→「スターバックス」→「スコーン」→「生クリーム」→「Dove」→「オフロ」
→「入浴剤」→「バブルバス」→「姫」→「美女と野獣」→「ダンス」→「ヒゲ」
→「OL薮内笹子」→「シティーハンター」→「キャッツ・アイ」→「ルパン三世」
→「つまらぬもの」→「大根おろし」→「上と下で味が違う」→「ウインナコーヒー」


「上と下で味が違う」から、COOLさんは正統派に「ウインナコーヒー」としたそうです。
正統派ではないイメージもあったのかな???

私が「ウインナコーヒー」で最初思い浮かんだのは「スプーン」でした。
苦いコーヒーの上にふんわり浮かんだ生クリームを
スプーンでつんつんしたり、ちょっぴりすくって舐めてみたりする時の幸せ感・・・・。

というわけで、考えた結果、今回私は「小さな幸せ」とします。


どなたか受け取ってください。

朝仕事に向かう途中、不思議なおじいさんを見た。
自分の身体にいくつもの鈴をつけて、しゃんしゃん言わせながら歩いているおじいさん。
歳の頃は100歳以上に思える。

私の前を一歩一歩ゆっくり歩いていたので早足で抜かし、
何気ない振りをしながら振り返ると、
真っ直ぐ前を向いてそのまま動じずに歩いている。

腰に付いたひと際大きなカウベル型の鈴。
白髪の長い髭と杖を持った姿が、絵に描いた仙人のようだった。


どこか目的があって歩いているのか、
単なる散歩なのか。

あの鈴は自分でつけたものなのか。

歩くたびにきゅっきゅと鳴るピヨピヨサンダルを履いている子供みたいに
自分でも楽しくなったから付けているのか。

生と死の境を
自分が動いていることを
音で確認しながら生きているのか。


少し立ち止まり、またおじいさんの後ろ姿を見る。

そのままずっと後をつけて行きたい衝動を抑え、
しばらく見送った。


職場に向かう角を曲がると、そこからは私の現実が待っていた。

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人は異質な者にレッテルを貼ることで安心し、
また貼られる側もそれによって自分の立ち位置を確認する場合があると思う。


多数の男性の中に混じった、ただひとり女性。
このような状態をよく紅一点という。

私は女性ばかりの集団というのも経験しているが、紅一点という立場にもよくなる。

学生時代の友人はみな男。そしてサークル、自治会、バイト先、武道場、工事現場など、周りが男ばかりの場所に足を踏み入れる機会が多かったからだ。

さぞかし ちやほやされてきたんだろうと想像されるのは心外である。

なぜなら私は「女王」でもなく、
かといって「姐御」や「母」の器もなく、
ましてや「姫」や「妹」のようなアイドルでもなかったからだ。

たぶんこの内のどれかの存在であったなら
「紅一点」としての自分の立場に不安なく居ることができたのだろうが、
人の世話を焼くことは嫌い、甘えるのも苦手、濃厚な人間関係や恋愛もめんどくさい
といった女ができる役回りなど思いつかない私は、
密かに「ただの人間」になりたいと思っていた。

さまざまな失敗を繰り返し、
いつしか私は自分の中の「女性」の部分を極力表現しないよう努めるようになっていた。
そうすることが礼儀だと思い込んだ。
不自然と言われようと、
もはや自然に振舞うというその「自然」の意味そのものが分からなくなったのだ。

ただ、自分がそう思っていても女性として意識されないわけはなく、
よくよく考えてみれば、それなりに気を使われていたし、
大事にもされてきたのだと今は思う。

自分の存在を大事にされるのはやはり嬉しい。
けれども、つきまとうのは、何を大事にしてくれているのかという問いだ。



現在の職場も45人中、女ひとり。
全ての女性の役回りを引き受けてもまだ足りないくらいの要求の多さに途惑う。
どちらかというと今は、
そのニーズに応え、女性であることをより強調し利用しているともいえる。

けれども
そんなことをしてみても居心地は
・・・さほどよくない。


女性であることに居心地の良さを見出せない女は
あまり幸福とはいえないかもしれない。






「紅一点でいいね。」
と言われたことで、ちょっとひっかかったので書いてみた。