三瓶山を降りてきたところでシャア専用を東へ走らせます。が、クラッチを踏む左足がプルプル。やばい、痙攣しそう・・・。
お松:クラッチってなんでしたっけ?・・・いったいいつの時代の車に乗ってんだか?
やや:好きで乗ってんだ、やかましい。
さて、
三瓶山の外輪山の東側には神戸川(かんどがわ)が流れています。その神戸川の上流側、南に向かってしばらく走ると飯南町八神の集落。この辺りは1957年まで志々村だったあたりです。目的地は八神集落の南端近く。
『出雲国風土記』では、ここは飯石郡波多郷の南端近く、来島郷との境に近い場所のはずです。でもこの辺りのことは・・・『出雲国風土記』には波多郷・来島郷のことはあまり詳しくは記されていません。
波多郷は、波多都美命(ハタツミノミコト)が降りたとところなので波多と記されていますが、実は、波多都美命を祀ったとみられる神社が記載されていないんです。で、波多郷中に記されるおそらく唯一の神社が志志乃村社(シシノムラノヤシロ)です。
お松:シシノムラ・・・なんだからしくないっていうか、不思議なお名前の神社ですね
やや:でも、志々村の地名そのものですね。
古代の波多郷の中心地はおそらく現在の波多地区。八神は、冒頭でも言ったとおり波多郷の端っこにあたります。それもなんだか不思議な気がしますが、実はこの辺りの最も有力な古墳は波多地区ではなく八神(志々村)にあるんです。
お松:どう言うことでしょう?
やや:この辺りの古墳時代以来の伝統的な中心は八神(志々村)周辺だったのでしょう。それが、6~7世紀の再開発に伴って多くの人が(強制的に?)移住してきて新たな村ができた。なので、新しくできた村には古い神社がなく、伝統的な集落に古い神社が残ったということなのだろうと思いますが。
お松:思いますが?
やや:証拠はない。・・・って言うか、遺跡からはそんな感じに見えるけど、確証はない・・・。
お松:久しぶりにディープな古代史ネタでした
- 2024/03/17(日) 08:41:50|
- 神話の足跡探し
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