前回は櫻井家庭園に見られる延段の設置に松江藩の関与が疑われる、というお話をしましたが、今回はもう一つの鉄山師のお庭のお話を・・・。
御本陣も勤めた絲原家庭園には、巨大短冊石や石臼形の飛石、『出雲流庭園[歴史と造形]』にT字形石組みの祖型と記された石組みなど、いわゆる出雲流庭園の要素がふんだんに見られます。それに、巨大短冊石の横には、ちゃんと「出雲流庭園」と説明版が置かれています・・・あれ?おめ~、話が違うじゃねぇか?と、突っ込まれそうですが、そうじゃありません。
お庭は生き物。ちゃんと管理されているからこそ改造が加えられるのは当然のことです。と言う訳で、このお庭、よ~く見ると3つのパートからなっている事に気づきます。
お庭の中心は、背後の山から滝を落とし、大きな池を配した池泉庭園。T字形石組みの祖型が置かれたり、灯籠が置かれたり、滝の位置が変えられるなど、後の改造は加えられているかもしれませんが、櫻井家庭園などと同様に水を自在に操る鉄山師らしい立派な池泉庭園です。ただ、この池泉庭園の部分は書院や新座敷から全体を見ることができません。おそらく元々は、この庭に面した書院があったのでしょうが、後に建物の方が変わってしまったのでしょう。
二つ目のパートは、前回も紹介した長い延段の周辺。このすぐ横には御成門があり、御成書院へと続いています。書院へ上がる沓脱石の横には巨大で変な形(失礼)の手水。いかにも松江藩が関与した御成庭園らしい部分が続いています。
で、もう一つの部分が大正時代に建てられたという新座敷の前の部分。白砂が敷かれ、巨大短冊石と石臼形の飛石があり、手水鉢が景石として置かれている部分・・・つまり、いわゆる出雲流庭園の部分があります。この出雲流庭園の部分と御成庭園の部分は向かい合ってはいるのですが、その間の低い築山と植栽によって視覚的には遮られています。
なぁ~んだ?そう言うことなんだ・・・つまり、もともと鉄山師の池泉庭園があって、江戸後期にお殿様の御成に備えて松江藩が関与した部分が追加され、さらに後の大正時代になって「いわゆる出雲流庭園」な部分が造られたんだなぁって・・・てなことが一目で見て取れるのです。・・・このお庭、すげーや!
- 2012/04/07(土) 08:02:37|
- いわゆる出雲流庭園
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