ちょいと野暮用がありまして、久しぶりに温泉津(ゆのつ)の続きでございます。
温泉津は温泉の町、港町、そんでもって石の町と言う話をしてきたところですが、町を歩けば、昭和の香りぷんぷんの町です。
戦国時代から大きく変わっていないはずの町の通りは、とっても狭く、昭和な感じの建物を撮ろうにも、引きが取れないあたりもまた昭和。
狭い路地の向こうには、昭和ノスタルジックなカフェ。キューポラのある白壁、石州瓦葺き、飾り窓のステキな建物ですが、引きを取ろうと思えば、路地に入るしかない・・・。
で、この町で、とにかく目立つのが電柱。そして、見上げれば、空を覆う電線。温泉津は、電柱と電線の町でもあります。
石見銀山大森地区では、10年ほど前に電線の地中化工事が行われ、電線と電話線の電柱が町並みから消えました。しかし、実は電柱に寄生したものって意外に多く、消火栓を示す看板や外灯など、電柱に似た柱がいくつも残されています。残されたそれは、景観を阻害しないように焦げ茶色に塗られているのですが、これがまたくせ者で、目立たないと通行する車が危ないので、反射テープを巻いて目立つようになっています。目立たせたいのか、目立たなくしたいのか・・・かえっておかしくない?
温泉津でも電柱は焦げ茶色に塗られ、しっかりと反射材が巻かれていますが・・・昭和ノスタルジックな町に電柱は電柱でよくない?電柱らしい電柱でいいじゃん!
おまけ
ずいぶん前から営業をしていないことは知っていたので、まだあるかな、あるかなぁって・・・。行ってみたら、以前とまったく変わらず、それはありました。
お松:ぼんぼりもすごいけど、店の名前も「丹頂」?!
やや:ちょんまげはもちろん、ナウな髪型にもしてもらえる気がしませんが・・・。
お松:ナ、ナウって・・・。日本髪とかが得意そう!
- 2020/12/29(火) 07:12:37|
- 石見銀山で散歩
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ちょいと野暮用がありまして、久しぶりに温泉津(ゆのつ)に来ています。
お松:温泉津は、その筋では有名な難読地名。「おんせんつ」としか読めませ~ん。
やや:このブログでは、基本的に直接ルビを振ることは(めんどうくさいので)せず、括弧書きで読み仮名を入れていますが、もし入れるとしたら、温泉津のルビは難しいぞ~。
お松:温(ゆ)泉(の)津(つ)でしょ、簡単じゃないですか?
やや:泉という字を「の」と読むことはあり得ませんね。「の」は助詞なので平たく書くと「温泉の津」ということになります。ちなみに「津」は港の事ですね。
お松:そうすると、「温泉」と言う漢字二文字に「ゆ」一文字しか無いじゃないですか?
やや:です。温泉と書いて「ゆ」と読みます。漢字二文字で「ゆ」と読みます!
お松:え?
やや:戦国時代、石見銀山にはそれを指す固有名詞が固まっていなかったようです。毛利氏が石見銀山を治めていたときには温泉津が銀の積み出し港になっていたので、石見銀山のことを「温泉銀山(ゆのぎんざん)」と呼んでいましたし、その直前に温泉津周辺を治めていた武将は温泉氏(ゆし)でした。
お松:漢字二文字に読みが一文字って、それはなんだか反則っぽいような。
やや:日本語って、めんどくさいですね。
温泉津はもちろん温泉の町、それに戦国時代には銀の積み出し港でもあるのですが、それ以上に石の町です。現在の町並みは、基本的には戦国時代と大差ないことが絵図などで判っているのですが、変わったところは町の背後。背後の岩山を切り崩して、間口はそのままに、敷地を後ろに広げているんですね。もちろん、切り出した石は石垣や溝を渡る橋に、様々に利用されています。
上の画像は、西念寺と上町にあった「西国三十三所観音巡礼」の「写し霊場」。写し霊場は、関西一円を巡る本物の西国三十三所観音巡礼に行くことのできない人たちのために、観音像を置き、巡ったことにすると言うもの。各地で作られていますが、石の町温泉津にも当然のように石像が置かれ、すっかり町になじんでいます。
- 2020/12/24(木) 19:30:27|
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また、コロナが再び猛威を振るい始めて、引きこもり気味生活に逆戻り。それでも季節は廻って神在月ももう終り。すっかり冬の山陰地方です。
画像は、松江市朝酌町の多賀神社。天平五(733)年の年記を帯びる『出雲国風土記』記載の「朝酌下社」と考えられている神社です。『出雲国風土記』によれば、朝酌は、熊野大神に朝夕に捧げるお供えを用意した集団を定めたので「朝酌」なのだとか(←お松:って、ことは、「夕酌」もあったんですかねぇ?←やや:知らん!)。熊野大神は、大橋川を渡って、遙か南の山間に分け入った松江市八雲町の熊野大社の神様。古代で言えば、島根郡朝酌の集団が、郡境を超えて、意宇郡の熊野大社を奉祭していたことになります。
松江市鹿島町の佐太神社で行われる神在祭は、旧暦の10月11日に伊弉冉(イザナミ)命の供養のために全国から参集した八百万の神々は、25日に多賀神社(朝酌下社)に遷り、神々に捧げる魚を捕る漁を見物され、翌朝に全国に戻られると伝えられています。
神々の集まるこの夜は、氏子さんは誰も境内に近づかず、大橋川の漁師さん達も、神様の魚捕りをじゃましないよう漁を休むとされていました。
出雲大社を始め、盛大に神在祭を執り行う神社では、多くの観光客が訪れていますが、今年も静かな朝酌でした。
おまけ
コロナで再び自粛中。なので、
飲みたくなる、なる!
お松:悪趣味~・・・。
- 2020/12/19(土) 09:08:27|
- お庭でひとりごと
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