立ち入り禁止看板も鮮やかに、大山だす!
お松:ま、また行ってる?なんかおかしい。せっかく買ったヘッドライトをはいてみたいとか、アノラックで薄暗がりにいたいとか(←やや:それは不審者です)訳のわからん事を言っているけど、本当は、何か別の目的があって?さぁ、白状をし。
やや:いて・・・。
お松:白状せんか~い!
やや:は・はいはい・・・。え~っと、行きたい場所(←お松:登りたい山?)があるんですけど、そこは「中上級者向け」って書いてあるんで。そこへ行くためのトレーニングというか、テストというか?ま、要するに俺、大丈夫か?ってことで。
お松:それはどこですか?
やや:まだ発表の段階ではない(←お松:なんで?)。だって、断念したらかっこ悪いじゃん。
お松:で、行けそうですか?
やや:ムリかも・・・。
お松:・・・。ま、ムチャしないように。
やや:で、
今回も靄ってる大山で~す。下界は霞の下。見えているのは大山まきばみるくの里あたり。米子市街すら見えない・・・。
で、今回の目的は、9合目のちょい西側にあるこれ。

地蔵ヶ池です。
毎年、7月14日の夜から、「もひとり神事」と言う、大神山神社奥宮の神事が行われます。14日の夜にお祓いを行い、日付が変わった午前2時頃から山に登り始めるのだそうです。山頂での神事は夜明け近い午前5時頃。この池の畔にある石室で執り行われます。

石室は、大正時代に登山道整備に伴って、避難小屋として建てられたものです。大正年間の作品なので、庇が崩れてますが、内部は・・・

内部もこんな感じ。神棚の周囲は、どこが水平なのか判らない感じで・・・。
石室での神事を終えると、先ほどの地蔵ヶ池の霊水を汲み、薬草を摘みます。もひとり神事の「もひ」とは、水の古語だそうで、つまり、大山の霊水を汲み、神社に持ち帰る神事です。夜間登山がさみしいので、もひとり・・・と言うことではありません(←お松:余計なおやじギャグ)。

薬草はダイセンヨモギ?ヒトツバヨモギ?だそうで、たぶんこれ(←お松:自然系はまったく詳しくない。って言うか、たぶん、興味が無い)。
お松:この神事に行きたいんですか?
やや:これも参加したい気がするんですが、やはり、夜間登山は不安だし、それに・・・
お松:それに?
やや:夜は寝ることにしている。
お松:・・・。
おまけ

5合目の山ノ神様のお供え。ファンタオレンジ・・・って、いったいいつの?
- 2019/05/26(日) 09:21:06|
- 神話の足跡探し
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見慣れた照葉樹の林ではなく、明るいブナの森の中を続く一本道を登る、登る、登る。・・・木漏れ日の差す、一見さわやかな風景にも見えますが、撮ってる本人は、すでに息は上がってるし、噴き出す汗も半端ない!それでも登る、登る、登る・・・。
お松:ちょ、ちょ、ちょっと待った~ぁ!先週とまったく同じじゃないですか?コピペ?も、もしかしてまた行ったの?
やや:え~、今回は三瓶山へ・・・。
お松:ど、ど、どう言うこと?
やや:大田市の三瓶山です。
ま、いろいろ理由はありますが、国引きの東の杭に登ったので、西の杭にも登ってみたくなった、とか。大山がなんとかなったので、体力に自信がついた、とかありますが、最大の理由は・・・。
お松:最大の理由は?
やや:大山に備えて、いろいろ、・・・特に安全装備をそろえたので、使わないのももったいないな~って思って・・・。
お松:・・・。
で、何、そろえたんですか?
やや:悪天候時に備えてアノラックと、最悪、日没までに降りれなかった時に備えてヘッドライトと・・・。もちろん、天候も時間も十分に確認してるんで、役に立つことはなかったんですが。
お松:・・・。
やや:で、三瓶山です。今回も長いです。
標高1,126m。大山に比べるとずいぶん低いですが、それでも目立つのは、周囲に高い山がないから。
島根県唯一で、中国地方全体でも二つしかない活火山の一つです。でも、もちろんすぐに噴火しそうな気はしません。判っている最後の噴火は縄文中期で、それ以後は一応おとなしくしています。が、南斜面には三瓶温泉があるし、昨年は大きな地震もありました。

西側を見ています。石見銀山の山々ですね。石見銀山仙ノ山やその背後の大江高山火山群は、三瓶山の次に新しい火山です。こいつらの噴火が、地球の奥底から銀鉱脈を引っ張り出した訳です。

さて、『出雲国風土記』には、「石見国との境なる佐毘売山」と記され、さっき言ったとおり、国引き神話の西側の杭です。三瓶山本体は石見国ですが、東側の外輪山は出雲国。
島根半島の西の端、日御碕や出雲大社のあるかたまりを、新羅の辺りから切り分けて引っ張ってきた事になってます。大山からは弓ヶ浜半島はほとんど見えませんでしたが、今回は、引っ張った綱である園の長浜が何とか見えていますね。

男三瓶と呼ばれる1,129mの最高所周辺はとってもなだらか。今回は、三瓶自然館サヒメルの隣、姫逃池(ヒメノガイケ)から登ったのですが、この道は傾斜も緩く、浮き石も無いので、大山に比べれば10倍は楽!
↑個人の感想です!実際の効果を保証するものではありません! ただ、山頂近くまでブナの森なので、ビュースポットが無く、休みにくい。
↑個人の感想です! と、ここまでは、すっかりなめていた(←お松:あやしい!)。

山頂の南側には、火山らしい火口がのぞいています。火口の周囲には、五つのピーク。男三瓶から反時計回りに、子三瓶、孫三瓶、太平山(←お松:この方だけ、ご家族じゃないんですね?←やや:近所のおじさんのようですね)、女三瓶と呼ばれるピークが続いており、道が繋がっています。そういう訳で、楽勝気分で向かったら・・・。
お松:向かったら?
やや:男三瓶から子三瓶への道は大変な急斜面に、浮き石だらけ!でしょっちゅうこけるムチャクチャな道。体力も気力も消耗しましたが、今さら引き返すこともできず。・・・大変な後半戦でした。
お松:あぁ・・・。
おまけ

子三瓶に登るアリンコの行列・・・じゃなくて、高校生の群れ。
当然、この後、彼らとすれ違います。で、よい子の彼らは、すれ違いざま「こんにちは!」と、挨拶をしてくれるのですが、向こうは1回。でも、彼らの群れとすれ違うこっちは、コンニチハ20連発!
お松:まぁ、そうなりますよね。
やや:余分に体力が奪われる・・・。
お松:そ、そう言えば、安全装備の方は?
やや:もちろん、今回もバックパックから出す事もなく。
お松:と、言う事は・・・。
やや:1度使ってみたい気はするんですよねぇ。
お松:あぁ・・・。
- 2019/05/17(金) 19:03:24|
- 神話の足跡探し
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中型連休(←お松:世間の大型連休後のひとり中型連休だそうです。)ももうおしまい。で、中型連休中に何をやってたかと言うお話です。今回は、ちょっと長め。
見慣れた照葉樹の林ではなく、明るいブナの森の中を続く一本道を登る、登る、登る・・・。

木漏れ日の差す、一見さわやかな風景にも見えますが、撮ってる本人は、すでに息は上がってるし、噴き出す汗も半端ない!それでも登る、登る、登る・・・。

いつの間にか、背の高い森はなくなり、容赦なくお日様が照りつける。灰になりそうだ。ゴツゴツとした岩の坂道を進んで・・・いるつもりだけど、どれほど進んでいるんだか・・・。
必死に重力に逆らって、自らの体重をわずかづつ地球の反対方向へ押し上げていく。
「くっそ~、ニュートンめ、つまらんものを発見しやがって(←お松:意味不明。発見されていなかったら感じないとでも言うのでしょうか?)。」
古代の山林修行者が、どれほど山に登ったかは判りませんが、少なくとも当時は整備された登山道があるはずはなく、「なんちゃって」とは言えトレッキングシューズもなく。・・・なんてことを思いながら、ただ足下だけを見て歩みを進めます・・・が、やがてたまらず荷物を置いて座り込むと、風が冷たい・・・

登っている間ってとにかく苦しいし、足下しか見えていないけど、立ち止まって顔を上げると、いろいろすごいものが見えます・・・。そして鳥のさえずり、カラカラと沢を落ちていく落石の音・・・。古代の山林修行者たちも、これを見たのか?これを聞いたのか?
一息ついて、ペットボトルのスポーツドリンクをゴクリ、ゴクリ。そして、またニュートンと戦いながら(←お松:ニュートンは戦ってないと思いま~す)、一歩づつ宇宙の方向へ体重を持ち上げます。

いつしか道はなだらかな木道に。山頂周辺の崩落防止と自然環境を保護するために、人間どもの歩ける場所は制限されています。狭いのはしょうが無いけれど、疲れ切った足には快適!快適!
そして、やっと、やっと目的地です。

ここは標高1709m。空気が薄い(気がする)。
『出雲国風土記』冒頭の、あの壮大な「国引き神話」の、クニコ、クニコと引き寄せた国の、その国引きの綱をつなぎ止めた杭。「火神岳」と記される中国地方の最高峰、鳥取県の大山です。

残念ながら、この時期は視界が・・・ちょっと靄ってる。右端にわずかに、「引き寄せた国をつなぎ止めた綱」の夜見島(現在の弓ヶ浜半島)が見えますが、出雲の方向は・・・ほぼ判らないか・・・。
大山の麓、標高800~900mあたりに展開する山陰最大級の山岳寺院だった大山寺は、近年に発掘調査などが行われ、少なくとも12世紀には活発に活動し始めていたことが判明しています。しかし、寺伝では養老年間(718年)に開かれたとされていて、昨年が開山1300年?8世紀初めに大山がどのように信仰されていたかを示す資料はありませんが、少なくとも天平五(733)年の『出雲国風土記』は、「火神岳」と記しているので、火の神と言う認識のようですし、鳥取県伯耆町の大寺廃寺のように、明らかに大山を意識した古代寺院の遺跡も知られています。
大山の最後の噴火は17,000年前と考えられており、氷河期まっただ中の旧石器時代!最新の研究では3,000年前の火砕流の痕跡があるのでは?と言う説もあるそうですが、それでも縄文時代。奈良時代の人々に大山が噴火した記憶や伝承が残っているはずはありません。それでも(おそらくはその山容から)火山だった事が解っていたようですし、ひときわ高くそびえる荒々しくも美しい山が信仰の対象にならないはずはなかったと思います。
密教が盛んになる平安時代。大山にも天台宗のお寺が整備され、大山寺はやがて山陰有数の巨大山岳寺院に成長します。
しかし、近代始めの廃仏毀釈などを経て衰退し、多くの建物や寺宝が失われてしまいました。大山寺の周囲には、たくさんの僧坊跡が石垣に囲まれた平坦面として残されていますが、今も建っている僧坊は、残り少なくなってきています。

大山寺に残された数少ない堂舎の一つで、最古の建物でもある阿弥陀堂は、今も静かに山岳寺院の記憶を伝えています。
おまけ
やや:氷河です!
お松:違うと思います。
- 2019/05/10(金) 16:35:32|
- 山寺で修行中
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お松:いつになく、更新が早い。
で、いつも思うんですが、「続く!」とか、「前編」とかやってるのに、タイトルが違う・・・?
やや:ま、その時々の勢いとでも言いましょうか。ちゃんと続いているだけでもたいしたもの(←お松:まったくだ!)。
と、言うわけで、大船山を降りてきました。
南西の麓に鎮座しているのは多久神社。『出雲国風土記』には「多久社」と見えます。

ご覧のように、大船山をしっかり背負っておりますが、・・・これが、しかし、で・電柱が、電柱でござる・・・(←お松:いいから、先に進んでください)。
もちろん、多伎都比古(タキツヒコ)命とその母神である天御梶日女(アメノミカジヒメ)命を御祭神として祀っています。前回から言っているとおり、多伎都比古命は、滝の神様ですので、滝そのものをお祀りしていても不思議ではないのですが、御魂とされるのは巨石だし、神社も山を祀っているように見えます。
お松:それは、滝がないからじゃないですか?
やや:それが、すぐ近くに
虹が滝と呼ばれる滝があって、ずいぶん前に紹介した事があります。また、大船山の山中にも小さな滝があることが知られているんです。
つまり、滝を含む山全体を多伎都比古命として祀っているようです。虹が滝の近くにある宿努(すくぬ)神社も同じ多伎都比古命と天御梶日女命を祀っていますし、その天御梶日女命は、島根半島西部の広い範囲で信仰された神様だったようです。
おまけ

参道はピッカピカの狛ワンコが護っていますが、境内奥には引退した先代狛ワンコ。
それでも睨みをきかせています。
やや:けっして怪しいものではございません。
お松:い~え、だいぶ怪しいです。何をするか判りませんからお気を付けください。
- 2019/05/08(水) 16:57:19|
- プチ巨石ブーム
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世間の大型連休も終わったところで、振り替えの中型連休を過ごしております。で、天気も良いので早速山へ!

向かったのは、出雲市平田町の大船山。『出雲国風土記』に記される盾縫郡の神名樋山とされる山です。登山口からはいきなりの急斜面。山頂までに1ヵ所、その先にも2ヵ所ほど、眺望がある場所がありますが、基本的には照葉樹林の中。山頂付近にもまったく眺望なし!

と、言いつつ。目的地は山頂のさらに先。尾根筋をしばらく歩き、急斜面を北西に少し下った先にあるこれです。

現在は烏帽子岩(エボシイワ)と呼ばれている巨石です。
天平五(733)年の年記を帯びる『出雲国風土記』には、4ヵ所のカンナビ山が記されています。神名樋山というぐらいなので、神の坐す山であろう事は想像されますが、この内の3ヵ所の神名樋山については神様に関わる説明がありません。
下巻(だったであろう)の冒頭に記される盾縫郡の記事の内、山野記載には、
「神名樋山、郡家の東北六里一百六十歩、高さは一百二十丈五尺、周り二十一里一百八十歩、峰の西に石神がある、高さ一丈、周り一丈、径(みち)の側に小さい石神が百余りある」
とあり、これに続いて、石神が多伎都比古(タキツヒコ)命の御魂であること。雨乞いを行うと必ず雨を降らせることを説明しています。
周囲には、木が密植していて引きがまったく取れず、苦しい写真ですが、多伎都比古命の御魂(と言う説のある岩)です。そう言えば烏帽子(平安貴族とかがかぶっていた帽子)の形に似てるか?タキツヒコと言う御神名は、タキであることから滝の神様と考えられ、それが雨を降らせる事に繋がるのでしょう。

径の側には小さな石神が・・・。
要するに、この山の西側斜面は、花崗岩(?岩石は詳しくない・・・)の岩盤が露出しており、巨大な塊がタキツヒコの石神として、サイコロ状の節理が細かく割れている石が小さな石神たちと言うことなのでしょうが・・・。
お松:まちがいありません。小さな石神様たちに見えます!

不思議な気のする、いい感じの山でした。
・・・続く。
- 2019/05/07(火) 17:19:01|
- プチ巨石ブーム
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松江市玉湯町は良質なメノウや碧玉(へきぎょく:緑色の石)を産出することから、古墳時代には勾玉・管玉を始め大量の玉を生産し、全国に供給していたようです。ところが、古墳時代の終焉と共に、出雲の玉生産は急速に衰退していきます。これは、勾玉・管玉を始めとする古墳時代的な玉の需要がなくなったからと思われます。
しかし、天平五(733)年の年記を帯びる『出雲国風土記』には、忌部神戸(いんべのかんべ:松江市玉湯町付近?)について、出雲国造(クニノミヤツコ)が用いる清浄な玉を作ると書かれています。こうした玉は、古墳時代的な勾玉・管玉ではなく平玉(碁石のような扁平な玉)・丸玉(数珠のような球形の玉)が中心で、それもメノウや碧玉ではなく、水晶などが使用されたようです。
『出雲国風土記』の山野記載には、列記される山々に「社あり」など、一言づつ追記があるのですが、先週ご紹介したお尻っぽい岩がある長江山については、「水晶あり」と追記されています。

鳥取県南部町との境にある長江峠付近の丘陵が、『出雲国風土記』の長江山と考えられていますが、この近隣で奈良時代の玉を生産した遺跡は知られていません。しかし、この近くには、かつて玉を作っていた事を伝えるかのようなお社が鎮座しています。

その名もずばり「玉神社」!
江戸時代の地誌『雲陽誌』にも「玉大明神」と直球で記されています。社伝によれば、何度かの移転を経て現在地に建っているようですが、元々の鎮座地はなんと稚児岩の上・・・つまり、あのお尻に見える岩の上に建っていたのだとか。
お松:連休前半の伯太シリーズでした。
やや:実は、安来市伯太町って、あまり縁がなくてよく知らなかったんですが、おもしろい所ですねぇ。鳥取県側も気になります。
お松:近いうちに?
やや:そのうちに・・・。
おまけ
「さっさと行っとけ!」
- 2019/05/03(金) 10:27:24|
- 神話の足跡探し
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