鳥取県米子市の淀江です。古代の壁画が出土したことで知られる上淀廃寺のある所なのですが、この周辺は大古墳群。古墳群のある丘陵の前面は水田地帯が広がっていますが、古代には海が湾入していたそうなので、港を見下ろす台地上にたくさんの古墳があったと言うことでしょうか。

で、その一角にある天神垣(あめのかみがき)神社です。米子市近隣ではよくある少名彦名(スクナヒコナ)命を始め、4柱の神様を祀っている神社です。
お松:オオクニヌシとともに国造りに励んだ小さな、小さな神様・・・でしたっけ?スクナヒコナ、大好きですものねぇ。
やや:ええ、まぁ、でも今日はそれは置いておいて(←お松:なぬ?)、興味があったのは、こちらの主。
お松:なにが入っているのでしょう。
やや:「淀江」「石馬」とかで検索すれば、いくらでもヒットすると思いますが、でっかい石馬です(←お松:例によって、その画像は無いんですね)。
6世紀、・・・古墳時代の後期ですが。九州、特に有明海の北岸地域では、朝鮮半島との地理的な関係もあって、大変栄えていたようです。で、当時大流行したのが、そこで取れる阿蘇山の溶結凝灰岩製による石造物。福岡県八女市にある石人山古墳やなんだか古墳が有名ですが、この阿蘇溶結凝灰岩製製の石棺が、遠く近畿地方まで運ばれたことが判っています。
福岡県八女市には、石人や石馬の他、鶏や盾など様々な機種があり、これらをまとめて石製表飾品と呼ばれています。石棺は、近畿地方辺りまで運ばれているんですが、石製表飾品は、あまり九州を出たことがないようで、本州ではほぼ知られていません。で、その中で唯一、米子市淀江町に石馬がいるんです(←お松:いる?・・・ある?・・・)。
九州のものと同様に、細かい馬具まで再現された石造物で、現代の馬に比べると小柄ですが、ほぼ原寸大かと言われる石馬です。
お松:と言うことは、九州から運ばれてきた?
やや:それが・・・九州のものは阿蘇溶結凝灰岩。淀江の石馬は大山の角閃石安山岩製です。地元の石ですね。大山山麓では五輪塔などたくさんの石造物に使われています。
お松:では、他人のそら似?
やや:それはあり得ないので、6世紀に九州からやってきた人がいたのではないかと。なにせ、当時は良港だったと思うので。
おまけ
お松:い、いつものワンコ。これは角閃石安山岩?
お松:いつものワンコはもちろん松江の来待石製です。石材名で言えば凝灰質砂岩。

・・・だからどうだっていうんだよぉ!
- 2018/08/22(水) 08:05:03|
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き・気がつけば8月も後半!そう言えば、以前はブログをやってたっけ?ってぐらいご無沙汰いたしております。
どわ~っと大混乱していたウチの仕事場も、どわっと混乱してる程度には落ち着いてきて、ようやくどっか行こうかな?と言う気になってきました。
で、とりあえず手近なところで、いつもの枕木山華蔵寺に向かったのですが・・・。

こんなはずじゃない・・・何かが違う・・・
い・石段が・・・つ・ら・い・・・。

運動不足、夏ばて、ストレス?・・・びっくりするくらい目に見えて体力が落ちてます。

まもなく秋の山寺放浪シーズンだと言うのに(←お松:どんなシーズンだ!)、しばらく、リハビリが必要なようです。
- 2018/08/17(金) 16:14:13|
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