お松:いきなりタイトルから意味不明だす?
やや:だはは・・・。
ようやく雪も溶けた出雲地方ではありますが、気がつけば、2月の更新は雪景色ばかり。多少天気も回復したので、カメラを提げて町歩きです。
で、タイトルの「ルビづい」・・・ではなく、出雲ビルです。白潟本町の気になるビル。昔の建物なので右から左に読みますが、しっかり「いづビル」と省略するのもおしゃれ。
近年の調査で、大正14(1925)年4月竣工と言うことが判明した、松江市最古の鉄筋コンクリート造り。地上4階、地下1階。昔の建物なので、狭い間口のわりの奥行きはそこそこあったりします。
このビルを建てた方は出雲益良さんとおっしゃるのだそうで、つまりビルの名前は、地名ではなく個人名のようです。その出雲さん、イギリスに遊学した際に見たデパートを松江にも作ろうと思い、このビルを建てられたのだそうで、当初は「出雲ストア」。ビールやキッコーマン醤油、カルピスなどが並び、レストランやダンスホールもあったのだとか。なんだかおしゃれ、と言うよりも大正なのでハイカラ!松江のダンスホールでどんな人が踊っていたのでしょう?
1925年ですので、この4月で築93年。もうすぐ100歳ですな。今は、おしゃれなテナントとかが入ってます。
お次は東本町のトラヤ紳士服店です。
山陰道産業という貿易商の建物として昭和7(1932)年に建てられたと言われています。この辺りは、子どもの頃から見慣れた風景で、当時は何とも思わなかったのですが、今、あらためてみるとすごいね。
木造鉄骨2階建てですが、タイル張りでレンガ造り風に見せています。筋が入ったように見えるおしゃれなタイルはスクラッチタイル。
窓枠の上下は厚い鉄板を折り曲げたもの。これは補強ではなく当初からのもののようですね。
建物の隅の部分はおしゃれな枠で固定された磨りガラスが縦に続き、その間にはナゾのレリーフ。このレリーフは、出雲の狛犬さんや灯籠と同じ来待石製です。
お松:近代建築ですね。このブログでは、例外的に新しい感じ?
やや:う~ん。実は、それがそうでもなくって・・・。多くの神社さんは幾度も御遷宮を経ていますので、非常に新しい建物が大半だったりします。でぇ、新しいからつまんないと言うつもりもなく、ただ、単に古い建物の「形だけ」を残したものもつまんない気がしていて、古い何かを残しつつ、それとして機能しているものには、なんだか魅力があるんだろうなぁって・・・。出雲ビルのある白潟本町なんかも、今ではあまり人通りもありませんが、かつては、賑やかだったんだろうなって思うわけです。デパートですよ、デパート!
お松:はいはい。他にも、この手の面白建築ってあるんでしょうか?
やや:新しすぎて専門外なので、見つけたらそのうちに・・・。
お松:やっぱり新しいんじゃない。
- 2018/02/18(日) 18:29:14|
- 屋根フェチの小部屋
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大雪も一段落の出雲地方です。
大雪直後の晴天に放射冷却の出雲地方は極寒。宍道湖にも薄氷が張るほど。打ち寄せる波で護岸に打たれた杭もご覧のありさまでした。
さて、
『続日本紀』によれば、和銅六(713)年、国毎にその土地の様子を報告するよう命令が出されています。後に『風土記』と呼ばれるその報告書は、日本全国の国が提出しているはずで、つまり、当時の国の数と、国に残された控え、下書きなどのプラスアルファがあったはずですが、1,300もの年月を経て、そのほとんどが散逸してしまいした。
なので、奈良時代の原本はまったく残されていませんが、写本という形でかろうじて残されているのが常陸・播磨・肥前・豊後、そして出雲の5風土記です。しかしいずれも脱落した部分があり、ほぼ完全な形で残されているのは『出雲国風土記』だけだと言われています。
「ほぼ完全な」・・・。「完本に近い」・・・。そうした形容詞で呼ばれる『出雲国風土記』ではありますが、「ほぼ」とか「近い」と付いている以上、完全ではありません。中でも、「島根郡条」には脱落や誤写が多く、そのために様々な問題を残しているのですが、「島根郡」の隣の「秋鹿郡」も、いろいろ微妙な問題を残していることで知られています。
前にも一度紹介しましたが、『出雲国風土記』には、4つの神名火山=神の降る山が記されているのですが、この内の一つ、秋鹿郡の神名火山は、その山がどれなのか確定していません。
秋鹿郡の神名火山は、一般的には朝日山(標高341m)だと言われることが多いのですが、『出雲国風土記』を素直に読めば、「その山の麓」に佐太神社があるようにも、「高さ四十丈(約120m)」しか無いように思えないのです。このため、近年の研究では、佐太神社の背後にある小さな山が神名火山では?と言う説が説得力を持ち始めています。
しかし、ぱっと見、それがどの山かわからないような山を、神名火山として『出雲国風土記』に載せるのでしょうか?それ以前に、神の降る山は、もっと神々しく、存在感のある山であるべきではないのか・・・。古代の人の感覚を無視した、個人的な願望に過ぎないかもしれませんが・・・。
大雪が止んで、一気に晴れて、で、すんごく冷え込んだ朝。朝日山を見に行ってみました。
霧に浮かぶ朝日山は、神の降る山にふさわしい神々しさと存在感を持って、そこにあったのですが・・・。
- 2018/02/11(日) 21:19:33|
- 神話の足跡探し
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今週の出雲地方は冬一番の大寒波。特に、境港から松江、出雲と言った平野部では異常な積雪。場所によっては山間部以上に積もってます。宍道湖にもうっすら氷が張った他、お堀はご覧のとおり。
氷をかき分け堀川遊覧船が行く・・・。
お松:で、雪が積もるとカメラを持って、庭駆け回るややさんです。
やや:犬か!
小泉八雲旧居もご覧のとおり。
明治23年8月。旧制松江中学の英語教師として招かれた小泉八雲(当時はまだ、Lafcadio Hearn)は、最初は大橋川沿いの富田旅館(現大橋館付近)、次に宍道湖に面した折原家の隠居部屋(現皆美館付近)、そして、根岸家(現小泉八雲旧居)に住みます。この間わずか 1年3ヶ月。
松江の町は大好きだったようですが、それでも松江に住めない理由は冬の寒さだったと伝えられています。
お松:犬みたいなややさんと違って、寒いのはきらいだった?
やや:明治の日本家屋です。しかも主な暖房は火鉢だったそうですから、そりゃ寒いわ。
で、小泉八雲は、旧制松江中学(現島根県民会館の南側あたり?)の英語教師ですので、授業が終わると、城山周辺など散歩していたようです。小泉八雲の『知られぬ日本の面影』にも登場するお稲荷さん・・・城山稲荷神社は、八雲にとって、お気に入りの場所だったそうです。
お松:・・・人跡未踏。八雲じゃなくてもムリ。
やや:隣に人が通れるよう雪を避けてあります。
・・・が、境内にはしっかり積雪。
八雲が愛した狛狐さんたちも雪に埋もれています。
境内には、来待石製の狛狐さんや磁器製の小さな狐さんがそこら中に置かれています。この中のいくつかは、小泉八雲に出会った狐さんたちかも知れません。
おまけ
だから、ホントーに雪に埋もれているんだってばぁ。
- 2018/02/09(金) 18:29:03|
- 小泉さんの散歩道
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お松:こにゃにゃちは~!
この冬、偏西風が大蛇行しているのだそうで、全国的に寒波襲来。この秋に大蛇行していたのは黒潮でしたっけ。そう言えば夏には台風も迷走してたし、なんだかいろいろ大蛇行している今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
やや:出雲地方はさほでもないですが、それでもやっぱり寒いですね。で、平地の雪はすっかり無くなりましたが、上の方はまだあるかなぁ?
と言う訳で、行ってみたのはおなじみ枕木山華蔵寺です。
道路は、除雪されており、通行に支障はありませんが、参道や境内は、道一本残して足跡もない・・・。
華蔵寺は456mの枕木山山頂近くにある古刹。現在は臨済宗のお寺ですが、中世以前は天台宗の山寺で、その始まりは平安時代に遡ると考えられています。なので、平安時代に遡る秘仏薬師如来座像を始め、多くの文化財を伝えています。
中でも、参道の途中にある不動明王像は、県内最大の磨崖仏です。
お松:華蔵寺は時々行っているようですね。以前は、眼下に見える大根島や弓ヶ浜、大山など、国引き神話の世界を見に行ってるのだろうなと思ってましたが、もしかして・・・?
やや:なに?
お松:本当は、この不動明王様がお気に入りなんですね。
やや:はい。このお顔がたまらん!
- 2018/02/03(土) 18:07:36|
- お松との会話
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