木を見て庭を見ず 2017年05月
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木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

肥の河上の鳥髪の峯に行ってきた

 『古事記』などによれば、高天原で暴れに暴れたスサノオは、とうとう天照大神の天岩戸引きこもり事件を起こしてしまい、その責任を取らされ、高天原から追放されてしまいます。
 『日本書紀』では、「一書に曰く」として、様々な異説を列記していますが、それによれば、スサノオは、御子神の五十猛(イソタケル)命と共に、新羅(シルラ:朝鮮半島北部にあった国?)の国に天下ったのですが、「こんな国にはいたくない!」っと、粘土で船を作り、その船で漕ぎ出して、出雲国の肥河上鳥髪峯(ひのかわかみのとりかみのみね)に降り立ちます。斐伊川の上流の鳥髪にある峯の意味ですので、一節には、出雲と伯耆の境、奥出雲町鳥髪にそびえる船通山(1124m)の事と言われています。さすがスサノオ、新羅から船で中国山地まで漕ぎ着いちゃいます。
横田から見た船通山

この後のスサノオは、高天原での暴れまくりはすっかり忘れて、ひたすら良い人になっちゃって、泣き悲しんでいる老夫婦とクシイナタヒメを助けるため、ヤマタノオロチと戦うことになるのですが・・・。

で、いつだったか、行こうとして、積雪で断念した船通山に登っちゃいました。
船通山の登山道

 整備された登山道を小川に沿ってしばし登ります。登山道の横を流れる小川は、実は『出雲国風土記』に「出雲大川」と記される斐伊川そのものです。
 そして
斐伊川の源流?鳥髪の滝

 鳥髪の滝です。もちろん滝より上にも川は続いてはいますが、この鳥髪の滝が斐伊川の源流とされています。
船通山の山頂

 そして、やっとこさ山頂。
 山頂には、ヤマタノオロチのしっぽから出てきた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)にちなんだ碑が建っています。
お松:『古事記』や『日本書紀』にスサノオがたどり着いた場所が肥の河上の鳥髪の峯と記されているのは判りましたが、『出雲国風土記』には、どう書かれているんですか?
やや:「鳥上山。郡家の東南三十五里。伯耆の出雲の境。塩味葛(えびかずら)がある。」って書かれてます。
お松:そんだけ?(←やや:そんだけ!)・・・スサノオは?ヤマタノオロチは?
やや:スサノオは、『出雲国風土記』には、「飯石郡」条に須佐郷の地名の由来として登場する他、あまり多くは登場しませんね。須佐郷では、各地を巡行して、最後に須佐にたどり着くと言う様な話です。なんか、けっこうのんびりした感じの神様です。ちなみに、ヤマタノオロチは『出雲国風土記』には見えません。
お松:荒ぶる神スサノオ?・・・なんかイメージが違いますね。
  1. 2017/05/21(日) 18:32:49|
  2. 神話の足跡探し
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「あっだ~ん。美談は、みだみださなぁ」 byお松

やや:だ・は・は・・・。こりゃ、いったいどこの言葉?かと思われるでしょうな。お松さん、やるなぁ。

美談神社参道

 出雲市美談町の美談神社です。美談と書いて「みだみ」と読みます。一畑電鉄の駅名表示もしっかり「みだみ」と書かれています。・・・が!地元のおじいちゃん、おばあちゃん達の言い方を聞くと「みだぁん(む)」・・・日本語での表記困難ですが、「む」に近い「み」と「ん」の中間ぐらい(←お松:さっぱりわからん!)の言い方をされています。
お松:だったら、漢字どうりで「みだん」と読めば済みそうな気がしますが?
やや:ふ・ふ・ふ・・・出雲には『出雲国風土記』があるのだよ。
お松:なぜか不敵な笑い・・・。まぁ、どうぞ進めてください。
やや:この場所は、『出雲国風土記』「出雲郡」条には、「美談郷」と記されているのですが・・・。
お松:「みだん」でいいじゃん!
やや:出雲郡の神社の列記の中には「彌太彌社」や「彌陀彌社」と言う神社名が出てきます。「みたみしゃ」か「みだみしゃ」としか読めませんよね。
お松:なるほど、確かに「みだみ」ですねぇ。でも、なんで郷の名前と神社の名前が違うのでしょう?
美談神社の御本殿

やや:元々、日本の地名の多くは、漢字3文字で表記されることが多かったようです。そもそも日本に文字が無かったので、地名を表記するのに、中国の漢字の音をそのまま載せていたからですよね。それが、神亀三(726)年に「地名を好字に改めなさい」と言う国からの命令があり、漢字二文字に・・・つまり、「彌太(陀)彌」から「美談」に改められたんです。実は『出雲国風土記』「出雲郡」条にもそう書かれており、地名の方は「三太三」を「美談」に改めたようですね。だから「みだみ」よりは「みたみ」が正解なのでしょうね。
お松:ふ~ん。判りましたけど、なんか、びっくりですね。ここの地名が確定したのが、西暦726年だって事が判るって言うのが・・・。
やや:ですよねぇ。でも、判らないこともいろいろ。
お松:例えば?
やや:「彌太彌社」「彌陀彌社」は、同名社が13社もあると書かれています。今は美談神社一つに合祀されているようですが、あとの12社はどこにあったでしょうね?
お松:犬のおまわりさんにでも聞いてください。

おまけ
美談神社の狛ワンコ

「そんなん、知らんがな?」
  1. 2017/05/19(金) 15:31:16|
  2. 神話の足跡探し
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天橋立図を探して

室町時代に活躍した画聖、雪舟の代表作の一つと言えば国宝『天橋立図』です。
お松:せ・雪舟?!だ・誰ですかぁ?い・いったい何の事ですかぁ?
やや:リアクション芸人か?・・・とは言っても、「雪舟を探して」カテゴリの最終更新は・・・。
お松:え~っと・・・2015年3月ですね。つまり、2年以上放置してた?
 そう言えばこのブログ、西日本各地にある伝雪舟作のお庭は、はたして雪舟が作庭したのか?みたいなテーマだった事もあったような・・・。
やや:・・・。ま、それは、そういうことで、え~と。
 室町時代に活躍した画聖、雪舟の代表作の一つと言えば国宝『天橋立図』です(←お松:デジャブ?)。日本三景天橋立と阿蘇海、宮津の町を俯瞰した絵ですが、実は、なんと、下絵。完成作品は伝わっておらず、作品直前段階の下絵にもかかわらず国宝!と言う代物です。
 絵そのものは、「雪舟」「天橋立図」とかで検索していただくと京都国立博物館のページで見ることができます。以前からぜひ現地を見たいと思っていましたので、竹生島の帰りに、ちょっくら寄ってきました。
天橋立

お松:お~。天橋立ですな。股覗きとかするところですよね。
やや:皆さんやってらっしゃいましたよ。
お松:興味なさそうですね。
やや:雪舟の『天橋立図』は、天橋立を真正面から見た構図になってます。なので、もっと右手の方から見たいのですが・・・。と言う訳で、車を走らせると、「雪舟観展望所」なる所がありまして、そこに上がってみると。
雪舟観展望所から見た天橋立

お松:よく見えませんねぇ。
やや:夕方だったというのもありますが、雪舟の『天橋立図』にはほど遠い構図ですね。
お松:何が違うんでしょう?
やや:この上空に、ドローンでも飛ばせば、雪舟の構図に近づけるかもしれませんね。
お松:そうか、雪舟は、高~い所から見て書いたんですね。と言うことは、雪舟はドローンを使って?
やや:んなはずねーだろ(←お松:でっかい凧に乗ったとか?←やや:それは名古屋城の柿木金助とか石川五右衛門とか・・・)。
 つまり、雪舟が描いたのは、写生ではなかったと言う事です。
お松:何のことだか、余計にわかりませんが・・・。
やや:雪舟を現代的な感覚で芸術家だと思うと理解できないのですが、筆も絵の具も高価だった室町時代。絵を描くにはスポンサーが必要です。雪舟の場合は、山口の大大名大内氏です。応仁の乱を経て戦国時代に突き進む15世紀です。なので、仏画は臨済宗のお寺のために、肖像画や花鳥画は、大内氏にとって利害関係のある人たちへの贈答品として、そして風景画は、重要な場所の地図の役割も持っていたと考えられます。写真のない時代。詳細な風景画は各地の様子を大内家に伝える、現代で言えば偵察衛星の代わりですね。なので、『天橋立図』も、ただの写生ではなく、地域全体を俯瞰し、お寺などの重要施設が名前付きで描かれています。
某ホテルから見た天橋立

お松:なるほど~。で、この構図は、雪舟に近いんじゃないですか?
やや:ホテルの窓から撮りましたが、もっと高さが欲しいですね。
お松:雪舟は、どうやって描いたのでしょうか?
やや:おそらく、全体の構図は、写生的に、それぞれの建物は、それぞれの建物の近くで描いて、合成したのではないでしょうか?「天橋立図」は、相当研究されていて、かなり高齢になってからの絵なのだそうです。
お松:雪舟は、高齢になってからも、パワフルに活動していたのですね。
やや:働かされていたとも言えますけどね。
  1. 2017/05/14(日) 11:58:13|
  2. 雪舟を探して
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竹生島へ行ってみた

 GWもあ!あ~ぁ!あれ~っと言う間に終わり、けだるい五月のウィークディだす。

 このブログで、しょっちゅう登場している波乗りウサギですが、このブログでは、因幡の白ウサギとは、何の関係もない竹生島文様だよってなことを説明してきた訳です。
お松:竹生島ってなんでしたっけ?
やや:琵琶湖に浮かぶ島です。弁財天を祀っており、古くからの信仰の島ですが、その竹生島を題材にした謡曲があります。謡曲とは、能の台本の様なものですが、そのストーリーは、
 竹生島を参詣しようと琵琶湖畔まで訪れた人たちが、さて、どうやって竹生島へ渡ろうか思案していたところ、老人と女性が乗る船が通りかかり、同乗させてもらうことになった。月の昇り始めた湖面を渡り、竹生島へたどり着くと、実は、老人は竜神で、女性は弁財天だったという・・・。
 この謡曲は長唄などで詠われ親しまれたのだそうで

 ♪竹生島も見えたりや  緑樹影沈んで  魚木に登る気色あり
   月海上に浮かんでは  兎も波を奔るか  面白の島の景色や

 竹生島が見えてきた 樹木の緑が暗がりに沈んで 魚が木に登るような気がする 月が海上(湖上)に浮かんで ウサギが波間を駆けるようだ おもしろい島の景色・・・てな意味か?

お松:水面スレスレに昇った月のウサギを詠ったんでしたね。
やや:で、それが図案化されて、灯籠に彫られたと。夜間は灯明を灯し、昼間は、月の象徴であるウサギを置いたのだと。
 で、竹生島です。
竹生島の宝厳寺

お松:前置きが長かったですねぇ。
やや:やかましい。
 竹生島は、琵琶湖の北部に浮かぶ島で、宝厳寺(ほうげんじ)と都久夫須麻(つくぶすま)神社が置かれています。
 最高所に弁財天を祀る本堂があり、その下に各種のお堂や坊院が展開する様子は、山林寺院の構成そのものですね。また、竜神を祀る都久夫須麻神社が同居している様子も、明治以前の信仰の様子を伝えているようで興味深いです。現在まで残されている建物の多くは、豊臣秀吉が関わったり、伏見城の部材が使われたりと戦国期に遡るものが多いようです。
都久夫須麻神社の龍神遙拝所

都久夫須麻神正面にある龍神遙拝所は、鳥居を通じて琵琶湖に向かってかわらけを投げるもので、現在では願い事を書いて投げるのだそうですが、鳥居の周囲の白いものはすべてかわらけ・・・。下の方には何が埋まってるのか、下を掘りたい・・・。
(もちろん、掘っちゃいけません)
竹生島

 と、言う訳で、竹生島でした。残念ながら湖面に浮かぶ月を見ることはできませんでしたが、波乗りウサギの発信源を見た気にはなっちゃいました。



お詫びとおことわり
 当ブログは、大変ふざけてはおりますが、一応、歴史・神話・伝承・文化財を正面からあつかっております。記録にあることと、伝承や想像の部分は、はっきり切り分けております。
 私自身が、「出雲族」とかの話をされる方々のロマンを、真っ向から否定するつもりはありませんが、そうしたお話は、ご自分のページでお願いします。
  1. 2017/05/09(火) 18:10:39|
  2. 波乗りウサギに会ってきた
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 そもそも歴史的なお庭見学ブログだったはずが、神社仏閣見学ブログに変貌。さらに最近では、趣味の山林修行(?)ブログへ変貌中!

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