毎度おなじみ『古事記』には、オオクニヌシと因幡の素兎(イナバのシロウサギ)の物語が記されています。だました鮫に皮を剥がれて赤裸となってしまったウサギをオオナムヂ(後のオオクニヌシ)が助けるお話ですが、この話は、出雲系神話に放り込まれた因幡の神話?ウサギがいた「於岐の島」って、隠岐諸島のこと?など、いろいろナゾが含まれています。
お松:このイナバのシロウサギのナゾを追い求める課程で、ちょっとした勘違いがあって、波乗りウサギのレリーフマニアになっちゃったんですよね。
やや:やかましい!
ところで、伯耆の白ウサギの話は知ってますか?
お松:ウサギが鮫を数えながら本土に渡っちゃったので、ウサギがいなくなった話?
やや:それは西の島の「ウサギがいない訳」と言う別の話。ホーキの白ウサギですホーキ!
昔、伯耆国にいたウサギが、鱒の背中を飛んで川の両岸を行き来していたが、ある日、鱒の背中を踏みはずして、川に落ち、やがて海へ流されてしまった。なんとか流木にしがみついたものの、上陸できたのは於岐の島だった。で、サメをだまして・・・。
お松:で、オオクニヌシニ助けられるんですか?
やや:そのようです。ほとんど、『古事記』の「因幡の素兎」と同じ話です。オオクニヌシ視点ではなく、あくまでウサギの話になっているので、オオクニヌシのラブストーリーとは無縁ですが・・・。
お松:では、この話は?
やや:もしかしたら、似た伝説が、あちこちにあったのかもしれませんが、『古事記』の話はあくまでオオクニヌシの試練の1エピソードですので、ウサギ目線の伯耆の白ウサギは関係が薄いように思えます。でも、そうした伝承が、西の島を含め、あちこちにあるのはおもしろいですね。
その伝承を伝えているのが、鳥取県大山町にある中山神社です。
お松:立派な神社のようですが、あれは、あるんでしょうか?
やや:全部の灯籠をチェックしましたが、いませんでした。
お松:いないんですね。波乗りウサギ。
やや:いません。ま、波乗りウサギは、因幡の素兎とは無関係であることは、わかったんですけどね。
お松:でも、いて欲しいですよね。
やや:いる方が、おもしろいですよね。
おまけ
お松:これがまた、なんと言うか?犬?
やや:狛キツネかもしれませんが、出雲では見ない子ですよね。
- 2016/10/30(日) 17:49:12|
- 波乗りウサギに会ってきた
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
お松:こにゃにゃちわ~!もうすぐハロウィンですね。
やや:もうすぐ神在月ですがなにか?
お松:もぉ~。それはそうですが、ハロウィンもねぇ?
やや:じゃぁ、ハロウィンって、何の日か知ってますか?
お松:みんなで仮装パーティをする日!
やや:・・・。
お松:じゃあ、何の日なのでしょう?
やや:盆と正月(←お松:はぁ?)。ケルト人のお祭りで、ケルトの1年の節目です。1年が終わる日に、あっちがわ(←お松:あっちがわ?)との扉が開かれ、ご先祖の霊と共に魔女だの精霊だのが現れちゃう日です。それが、新大陸・・・つまりアメリカに伝わって、魔女や精霊・・・転じて化け物に扮装したりして、お祭りになったものなのだそうです。本来は、年の変わり目にご先祖の霊を迎える厳かな盆と正月です。
お松:お、厳かに盆と正月なのですね・・・。
やや:と、言う訳で(←お松:どんな訳だ?)、もうすぐ神在月を迎える佐太神社のすぐ前にある佐太神社摂社の田中神社です。
お松:確か、以前にも紹介されたような・・・。そう、二つの社殿が背中合わせに建てられている不思議な神社ですね。なんで、背中合わせだったんですっけ?
やや:。佐太神社の方を向いている西社には木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)命を、反対側の、佐太川に向かっている東社には磐長姫(イワナガヒメ)命を祀っています。『古事記』によれば、天孫降臨のアマツヒコヒコホノニニギノミコト(←お松:あ~長い)は、コノハナサクヤヒメを見初め、求婚したのですが、その父神の大山津見(オオヤマツミ)神は、姉イワナガヒメとセットで嫁がせようとします。ところが、そのイワナガヒメはなんだかその・・・「ひどく醜い」とか、「一目見るなり怖気をふるって」っと『古事記』に記されるような・・・で、アマツヒコヒコホノニニギノミコトは姉を返してしまいます。大山津見神が言うには、コノハナサクヤヒメは「花の咲くように栄える」と言う意で。姉のイワナガヒメは「岩のように長く生きる」と言う意が込められていたのに、イワナガヒメだけを返されてしまった。
『日本書紀』の「一書」には、それが、人の命の短い理由として記されています。
イワナガヒメを追い返しちゃったのはアマツヒコヒコホノニニギノミコトですが、なぜか、姉妹の仲が悪いと解釈されてしまったようで、背中合わせに社殿が建てられています。まぁ、それはそれでおもしろくはありますが・・・。
お松:背中合わせではあっても、並んで建てられているのは、実は仲の良い証拠では?二柱にあやかって、末永く美しくいたいものです。
やや:わたしゃ、太く短く、ピンピンコロリが理想です。で、コロリと行っちゃった後はハロウィンに帰ってくるの。
お松:日本ではお盆です。それに、なんか、祟りそうなんで、ややさんは帰ってこなくていいです。迷わず行っちゃってください。
やや:Trick or Treat!
お松:しっかりハロウィンしてるじゃないですか?
- 2016/10/23(日) 22:17:42|
- お松との会話
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
たまたま近くまで来たもので、ちょっとだけ時間もあることだし・・・道幅の狭い、急斜面の道を歩いて下って・・・、静かな漁村の狭い道を行くと・・・
お松:うっみ~!
やや:久しぶりに、大田市静間町の静の窟(しずのいわや)に行ってみました。
静の窟は・・・。何年か前に、この話をしたことはありますが(←お松:と~ぜん忘れてますので、も一回!)。
それは神話のお話です。『古事記』によれば・・・、
オオナムジは、数々の試練を乗り越えて、大国主命となり、国造りを始めます。ある日、オオクニヌシが美保の岬(現在の美保関のことか?)にいたとき、海の上に小さな小さな神が現れました。
その神はガガイモの皮の船に乗り、蛾の羽を着物にしたとても小さな神です。
オオクニヌシは、その神を名を尋ねましたが、誰も知りません。その時、ガマガエルが「かかしのクエビコならきっと知ってるでしょう」と、無責任に言い放ちます。
さっそく、かかしのクエビコを呼んで尋ねると、「カミムスヒの御子のスクナビコナです」と、答えた。
お松:かかしのクエビコ!すご~い!確か、ハウルの動く城にも出てた?
やや:たぶん、違う。
でぇ、
呼ばれたカミムスヒは、「確かに私の子です。生まれてすぐに、指の間から漏れ落ちた子に間違いない(←お松:どんだけ小さかったんですか?)。オオクニヌシと兄弟になって、国を作り固めなさい」と、答えたとされています。
お松:わ?割と、簡単に兄弟になるんですね。
やや:そのスクナビコナとオオクニヌシが国を作り固める相談をしたのが、この静の窟だとされています。
お松:神話の神様であるオオクニヌシとスクナビコナが相談をした場所が、現実にあること自体、とんでもないですね。
やや:ホント、とんでもないですね。で、『古事記』では、その記述の直後に「スクナビコナは常世の国へ飛んで行ってしまった」と、唐突に終わっちゃいます。
お松:は?あ?粟の穂によじ登って、しなった粟の穂にびよよよ~んってはじかれちゃった、あの話ですね。
やや:びよよよ~んっです。で、とにかく、この話は唐突に始まって、唐突に終わっちゃう話です。なので、おそらくは、本来は無かった話が、『古事記』を編集する際に、放り込まれたのだと思われます。
そもそも、『出雲国風土記』では、飯石郡にスクナビコナ関係の伝承があるだけで、ほとんど記載がありません。でも、静の窟の伝承地は、ここを含めて石見地方に2件。粟の穂にはじかれてびよよよ~んっの神話は、伯耆などあちこちに知られます。出雲の伝承でない神話が、出雲系の神話に放り込まれたようですね。
お松:・・・ん~。でも、おもしろいから許す。
やや:まったくだ!『古事記』では、このエピソードの次の話が「国譲り」です。「国作り」をささっと書き飛ばした後、「国譲り」です。
さて、
現在の大田の静の窟のすぐ上には静間神社があります。神社は何度か移転しているので、静の窟との直接の関係は疑問ですが、静の窟を守り伝えているのは間違いありません。
おまけ
お松:さらに、そのお社を守っております。
やや:若干、表情がふざけてますが・・・。
お松:守ってます!
- 2016/10/15(土) 21:11:21|
- 神話の足跡探し
-
| トラックバック:0
-
| コメント:3
このところ、公私ともに多忙につき、ネタもなく・・・手近な話題で・・・。
ついこの間まで、暑い暑いと言っていたのに、気がつけば10月。急に秋らしくなって・・・。
お松:だ・だいぶたってますが・・・。とにかく、我が家のサツマイモも、今年も(小っさいけれど)豊作!さて、次は何を植えようかなぁ?
やや:・・・お松さんはほっといて・・・。
さて、10月と言えば出雲地方では神在月です。とは言っても、旧暦の10月のことですので、今年は、カレンダーの10月31日が旧暦の10月1日。つまり、神在月の始まりですね。
文献上は最も古い記録があり、おそらく、神在祭を始めたのであろう松江市鹿島町の佐太神社では、御遷宮がめでたく終了し、先月、正遷座祭が行われました。長いこと仮殿でのお参りでしたが、ピッカピカの屋根が3棟が並ぶ、独特の社殿でのお参りが再開されたところです。
お松:ってことは、今年の神在祭はいっそう賑やかに?
やや:神在祭の間は、全国から八百万の神々が出雲に集まって、会議をされることになっています。なので、出雲地方では「お忌みさん」と呼び、会議のじゃまをしないよう、歌舞音曲を自粛し、普段よりいっそう静かに過ごすことになっています。
お松:そ、そうでした。なのに、出雲大社界隈では、都会から来た観光客が大騒ぎ!
やや:都会から来たって、田舎から来たって、出雲大社界隈では大騒ぎ!とにかく、本来は静かに過ごすべき期間とされていました。
で、
出雲大社など、主に出雲西部の神社では、神在祭を旧暦で行われるところが多いのですが、佐太神社では月遅れ。つまり、1月遅れで行われます。なので、毎年11月20日に神迎え祭を行って八百万の神々を迎え、11月25日の神等去出(からさで)祭で、全国各地へお送りされる事になります。
お松:毎年思うのですが、月遅れと旧暦がゴチャゴチャなので、こっちで神送りしているのに、別の神社では神迎えしていたり、神様も大変ですよね。今年の神在月は10月31日からってことなので、旧暦と月遅れの誤差が1日?今年はその矛盾が少なくて良いですね。
やや:では、さしてネタもおまけもないので、今日のところはこのあたりで・・・。
- 2016/10/10(月) 18:04:15|
- 神話の足跡探し
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
松江市堂形町の天倫寺です。すぐ下を一畑電車が通り、宍道湖を南に見下ろす景勝地に立っています。
天倫寺は、17世紀始めから続くお寺で、山号が時々変わっていますが、寛永十六(1639)年から臨済宗神護山天倫寺となり、現在に至っています。このお寺の山門のすぐ横には、立派な鐘楼があり、そこには件の朝鮮鐘が吊られているはずですが・・・見えませんね。
お参りを済ませて、はい次・・・って感じで立ち去ろうとしたのですが、ん?
本堂の正面にある庫裏の裏手を覗くと、お庭があるじゃあ~りませんか。
靴脱ぎ石に、切石と自然石の2種を並べ、高く小ぶりな飛び石。築山すら目立たない完全な平庭の枯山水。こ、これはいわゆる出雲流庭園?
お松:ぅお~?なんとなつかしい言葉?
やや:やかましい!
しかし、よく見ると、出雲流庭園を特徴付ける巨大短冊石がありません。それに、出雲流庭園は背景をばっさりシャッタアウトするのがキモですが、このお庭は、明らかに宍道湖を愛でるためのお庭です。これは・・・。
このブログもそうですが、とんとお庭から遠ざかってたので、このお庭の歴史についてはわかりませんが、もし江戸のお庭だとしたら、いわゆる出雲流庭園以前のお庭で、松江藩がらみのお庭である可能性もあり、お庭の歴史的にはおもしろいかもしれません。
さて、この天倫寺のお庭と言えば、江戸中期(18世紀中頃)の文人画家である池大雅(いけのたいが)が出雲地方を旅したときに滞在し、天倫寺の庭から宍道湖を見下ろした風景描いています。「林外望湖図」と呼ばれる絵がそれで、え~・・・。
お松:どう言う絵なんですか?
やや:し、宍道湖を見下ろした・・・。
お松:雪舟とかを追っかけているときに、ずいぶん日本画の勉強もしたんじゃ?
やや:雪舟と、戦国期の絵師を少しだけ。そもそも絵とか・・・。
お松:そもそも絵とか芸術的センスはないですものねぇ。それに、きれいなものとかに興味ないですものねぇ。
やや:・・・。
と、とにかく。このお庭から池大雅が「林外望湖図」を描いた可能性があると言う事で・・・。
おまけ
ひっさしぶりぶりの狛ワンコ?
やや:天倫寺の境内にあった稲荷社の狛キツネですが・・・
お松:秋田犬の子犬にしか見えない。
- 2016/10/01(土) 17:48:43|
- 出雲のお庭
-
| トラックバック:0
-
| コメント:3