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- 2015/03/25(水) 19:09:09|
- お庭でひとりごと
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お松:こにゃにゃちわ~!って、この挨拶から始めるのも久しぶりですねぇ(←やや:それがどうした?)。
さて、
なぜか、久しぶりに雪舟のお庭探しを復活させる件について、も少し確認おば。
雪舟が日本画の祖と言われ、多くの国宝絵画などを残した方だというのは間違いないんですね(←やや:へい、そのとおりでやんす)。で、その雪舟が作ったと言われるお庭って、何件ぐらいあるんですか?
やや:ざっと40~50ヶ所。京都・広島・山口・福岡・大分そして島根の1府5県にあります。で、「こりゃ確かに雪舟作庭説もあり得るわ」っちゅうお庭から、「そりゃありえんだろ!ない、100パーない!」っつ~お庭まで様々です。
お松:それにしても40~50って、尋常な数じゃないですよね?そんだけあるんなら、少しぐらいは雪舟がってことは?
やや:ふ・ふ・ふ(←お松:ナゾの不敵な笑い?)。そもそも雪舟って、画僧としては有名ですが、雪舟自身は大寺院のトップに立った人ではありません。大名とかでもなく、しかも主に活躍した場所は、都から遠く離れた豊後府内(大分)や周防山口です。なのに、雪舟の生涯は割と詳しくわかっています。
お松:それは、雪舟の生涯を記録した人がいたって事ですか?
やや:そうです。いっしょに明へ渡った呆夫良心(ほうふりょうしん)や了庵桂悟(りょうあんけいご)といった禅僧が雪舟の様子を詳しく記しています。特に大親友の了庵桂悟は、今、知られている雪舟のエピソードのほとんどを記しているのですが、それは、雪舟自身が了庵桂悟に語ったからなんです。
お松:自分で語っているのであれば、それは間違いないですよねぇ。
やや:でも、当然ですが、自分に都合の悪いことは、一言も語っていないようですね(←お松:ありゃ?)。なので、鳴かず飛ばずの京都修行時代の事は、ほとんどわかりません。

雪舟は1420年、備中(岡山)生まれです。若いうちは京都の相国寺や東福寺で修行するのですが・・・その後、西国の大大名大内氏を頼って周防(山口)へ移ります。そこで大内氏の遣明船に滑り込み、明へ渡ると、そこで突然未来が開けるというシンデレラストーリー・・・シンデレラって言っても、この時すでに48才のおっさんですが・・・。
お松:そこからが画聖雪舟と言うことですか?
やや:そうです。明で大暴れ(と言っても絵のことですが)し、応仁の乱真っ盛りの日本に帰国して、まずは大分で、その後は山口を拠点に絵を描きまくってます。で、多くの傑作を世に送り出し、16世紀初め頃に、そのデンジャラスでワンダーな人生を終えていると言う・・・。
お松:わかっているんなら、それで解決じゃないですか?
やや:いや、呆布良心や了庵桂悟が記したものには、雪舟がお庭を作ったとは、まったく記されていないんです。
お松:ん?つまり・・・。
やや:そう。つまり、わからないんです。
お松:・・・。でも、伝雪舟作庭園は40~50ヶ所もあると・・・。いかにも、ややさんが好きそうな気がしてきました。
やや:どう言う意味か?

画像は、山口市吉敷にある凌雲寺跡です。このお寺の遺跡は、知られている雪舟の生涯のほとんどを紹介した、雪舟の大親友である了庵桂悟が永正4年(1507年)頃に開山したとされています。了庵桂悟はこの年に、雪舟の死を悼み懐かしんだ詩を雪舟の山水図に記しています。
今は、その石垣だけが残されています。
- 2015/03/01(日) 19:10:24|
- 雪舟を探して
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