前々回に続いて、プチ巨石ブームでは最小級の巨石(←お松:小さいんですか?大きいんですか?どっちだ?そう言えば、前回は巨石が無かったんですっけ?←やや:あ~うるさい)。
出雲市八尾町にある来坂神社です。島根半島の西の方、出雲平野を見下ろす鼻高山の中腹にあり、この岩の前には来坂神社が祀られています。来坂は「きさか」と出てくる資料もあれば、「くるさか」と呼ばれる場合もあり、よく判りませんが、正解は「くさか」でしょうか?
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問題の巨石は、高天原から天下った素盞鳴尊が、この岩に腰掛けて出雲平野を見渡したとされたもので、岩の背後には出雲平野が広がっています。
お松:スサノオは、確か、岩船大明神の時に、新羅から船で中国山地にやって来たとされていましたよね。
やや:あれは、『日本書紀』の「一書」ですね。『古事記』や『日本書紀』、『出雲国風土記』のような公式テキスト以外にも、地域には様々な伝承があるものです。その伝承の当初の神様の名がスサノオだったかどうかもわかりませんけどね。
お松:話をつまんなくするややさんの解説はともかく、このロケーションはすごいですね。もうちょっと、草刈りがされていると良いですね。
やや:島根半島側から出雲平野を見下ろすと、モロに逆光で・・・。
お松:それで、このひどい写真になったと?白黒に加工してごまかしてますが、それしても・・・。
やや:・・・。
お松:やっぱり、気にしてました?
- 2013/11/30(土) 08:34:02|
- プチ巨石ブーム
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神門通りから拝殿、神楽殿周辺はもちろん、北島国造館辺りまで観光客が押し寄せている休日の出雲大社です。人混みを避けるように、北島国造館の前の古い通りを東へ200m程。出雲大社の境外摂社、命主社(いのちぬしのやしろ)まで来たのですが・・・げ!ここにも観光客がいる?
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境外摂社とは言え、立派な本殿を構えるこの社は、元日に出雲大社での大御祭の後に国造以下神職が参向すると言う社です。
出雲大社周辺が観光客でごった返している訳は、御遷宮による一種のブームによるものですが、江戸時代の寛文年間(1665年)に行われた御遷宮の際には、この命主社の背後にあった巨石の下から銅戈(どうか:銅剣に似た弥生時代の武器形祭器)と硬玉製勾玉(いずれも重要文化財)が出土し、出雲大社の宝物になっています。その巨石が現在どうなっているのかはわかりませんが、ここも巨石信仰の場だったのかもしれません。・・・巨石自体は見あたりませんが、ひとりごとカテゴリも多すぎるので、プチ巨石ブームに入れておきます。

命主社の前には、樹齢1,000年と言われるムクノキの巨木があります。ちょっとお疲れのご様子ですが、長年にわたって社殿を守ってきたのでしょう。
やや:ところで、こんな所まで観光客が足を伸ばすのは、アレなのだそうです。
お松:きゃ~ぁ、アレって何ですか?
やや:なんとパワースポットなのだそうで・・・。
お松:なんだ。心霊現象か何かかと思っちゃいましたよ。
やや:わたし的には、ほぼ同じものですね。どうでよいもの。何で、それで人が集まるのか?理解不能ですわ。
お松:ややさんには、ムリだよね~。
- 2013/11/24(日) 10:41:11|
- プチ巨石ブーム
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久しぶりに天気がよいので、朝も早く(と言っても9時頃)から、ちょいとお散歩。観光客でごった返す出雲大社の神門通りを避けて古代出雲歴史博物館の駐車場へ滑り込み、出雲大社拝殿の賑わいを横目に北島国造館までへ行けば、あの喧噪も嘘のように・・・
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・・・のはずだった・・・。確かに、去年までは、さほど人出があった記憶はない。しかし今年は、けっこうな数の観光客が北島家辺りまで流れてきている。いったいどうなっているんでしょう(←お松:まだ、戸惑っているようで・・・)。
やや:どうでも良い話ですが、高校の日本史の授業で、国造(くにのみやつこ)って、習ったのを覚えていますか?
お松:「くにのみやつこ」・・・その、響きは覚えているんですが、いったい何だったのかは、さっぱり・・・。
やや:古代において、地域の代表に位置づけられた豪族ですね。
お松:その「くにのみやつこ」がどうしたんですか?
やや:だから、国造だって。
お松:あ!国造館って「くにのみやつこ」のやかた?
やや:そうです。出雲では、奈良時代の国造が、現在まで存在しているんです。
お松:それは、なんと言いましょうか・・・。
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紅葉と南国ムード満点の蘇鉄。このお庭の最も楽しい季節です。
- 2013/11/23(土) 15:16:27|
- 出雲のお庭
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世間では旧暦は神無月ですが、出雲では、ご存じ神在月。先日、出雲大社でも神迎え祭が行われ、本格的に神在月となりました。(←お松:本格的でない神在月があるのか?)
出雲大社周辺では、御遷宮と重なり、神在月も大変な賑わいで、平日だというのに神門通りを通過すると、大渋滞に巻き込まれてしまいました。
やや:神在月は、出雲では神様の会議をじゃましないように、歌舞音曲を自粛し、静かに過ごさなければならないんですが・・・。なんだか、すんげ~賑やかです。都会の人が押し寄せているなぁと言う感じが、そこら中で・・・。
お松:都会の人って?なにか、ありましたか?
やや:例えば、拝殿での参拝・・・以前は、何となく前の人の隙間を縫って、混沌とした中、少しづつ、少しづつ前に押し出され、いつしかお賽銭箱の前にたどり着いて参拝していましたが、今年は並んで順番を待つ・・・東京ルールが持ち込まれているようで、地元民としては・・・。
お松:並び方が判らない!
やや:そうそう、地元民なのにね!
お松:言われると、なんか、変ですよね。変って言っていいのかな?
やや:・・・なんと言いましょうか。つまり、生粋の出雲人としては、都会のルールに戸惑っていると・・・。
お松:だはは・・・。戸惑っているんですね?
やや:ええ、まぁ・・・。

画像は・・・関係ないけど日御碕神社の手水舎です。出雲大社周辺は、人が多すぎて近づきたくない感じなので・・・。
- 2013/11/14(木) 19:46:04|
- お庭でひとりごと
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今日の話題は、奥出雲町大呂の県道沿いにある岩です。
『古事記』『日本書紀』の超有名なエピソードである天照大神の天岩屋戸事件の後、高天原を追放されちゃったスサノヲは、次の超有名エピソードである八岐大蛇退治に向かうことになるのですが、『日本書紀』の一書(あるふみ)によると、真っ直ぐ出雲へは行かず、五十猛神と共に一旦新羅へ渡る事になっています。
新羅に渡ったスサノヲは、どうも新羅がお気に召さなかったようで、粘土で船を造り、その船に乗って、出雲の簸の川上の鳥上の峯にたどり着きます。・・・粘土の船もすごいですが、たどり着いたのが中国山地のど真ん中ですので、さすが、スサノヲ!海が無くっても山の上でも船でたどり着いちゃいます。
で、その船が、道ばたにあります。
お松:はぁ~?神話の船が?道ばたにぃ?
やや:道ばたにあります。これです。
お松:小っさ~。これ、船ですか?
やや:え~い。恐れ多くもスサノヲと五十猛が新羅から乗ってきた埴船である・・・てか、そう信じられている岩である。
お松:・・・。およそ2mぐらい?プチ巨石ブームの中でも最小クラスですね。
やや:恐れ多くも岩船大明神と言う!
お松:すごい、立派な名前ですね。
やや:ところで、この岩の背後には鬼神神社が祀られていて・・・。
お松:これがまた、すごい名前の神社ですね。
やや:鬼は、・・・多倍神社の時にもあったけど、八岐大蛇がらみの伝説に「鬼」の字が使われる事があるようですね。
お松:と、言うことは、これも八岐大蛇ですか?
やや:この鬼神神社の裏山には五十猛の御陵墓とされる場所があって、地元では「御陵さん」と呼ばれているそうですわ。で、この付近では、かつて火の玉が飛びまくっていたんだそうで、それが、その「御陵さん」辺りから埴船が越えてきた船通山へ飛んで行くんだそうな。
なので、地元では、この火の玉がスサノウに滅ぼされた八岐大蛇の龍燈(頭)・・・つまり怨霊のようなものだろうってんで、これを鎮めるために龍燈祭を行っているんだそうですわ。
お松:やっぱり鬼神は八岐大蛇なんですね。
やや:スサノヲの埴船がここにあるので、八岐大蛇が火の玉になって飛び回っている?物語として、理にかなった、ものすごく整理された伝承で、その点はすごいですねぇ。
お松:また、そう言うへそ曲がりな感慨を・・・。
やや:埴船かぁ?ファインセラミック製のヨットとかありそうですもんねぇ。でも山の上には、よっぽど船頭さんが多くないと登れませんよねぇ・・・。
お松:「船頭多くして船、山に登る」・・・?それって、船頭さんが多ければ、山にだって登れちゃうって言うポジティブな意味でしたっけ?ねぇ、たまには神話を神話として楽しみませんか?
- 2013/11/08(金) 19:35:30|
- プチ巨石ブーム
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雨も上がったことだし、そろそろイチョウも色付いたかと、奥出雲町の金言寺に行ってきました。樹齢350年とも400年とも言われる大イチョウは、はるか遠くからそれと判る大迫力。小さな茅葺き屋根を染める黄色い葉っぱもすてきです。
お松:いや、噂に違わずすごい人出ですねぇ。こんな小さなお寺に、土産物のテントまで建っちゃって。お?奥出雲バーガーとか売ってますよ!
やや:雨上がりだから、人出は少ないくらいでしょうが、それでも大混雑ですね。茅葺き屋根の小さなお堂に、巨大なイチョウ。
平成22年の島根景観賞の大賞を受賞しています。その仕掛けが、色付いた大イチョウの前の休耕田に水を張る事。風のない日に水面に映る逆さイチョウと茅葺き屋根が大評判となり・・・。
お松:つまんないうんちくはともかく、きれいですねぇ。
やや:う・・・つまんないとか言われたし・・・。
お松:ほら、いじけてないで。写真でも撮れば?あれ?写真撮影は500円とかって書いてありますよ?募金箱みたいなのがそここに・・・?
やや:茅葺き屋根の維持費を確保するためですね。
お松:そう言えば、近隣の屋根はみんなトタンがかぶせられちゃっていますものねぇ。
やや:現代で茅葺き屋根を維持するのは、それだけ大変なんですね。ともかく、このすてきな茅葺き屋根を末永く伝えて欲しいものです。
お松:そのとおりですね。ところで、今日はオチは無しですか?まだ、いじけてるんですか?
- 2013/11/04(月) 20:43:57|
- 屋根フェチの小部屋
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この3連休にどこ行こうか?と、いろいろ考えていたのですが、諸事情により家を動けず・・・。来週からは、すでに休日出勤も決定・・・なんだかなぁ。
そう言えば、去年の今頃は?と言うと、雪舟を探していたんですが、未だに見つかりません。
雪舟とは・・・15世紀に活躍した、中国帰りの臨済宗の僧侶で、日本画の祖(?)とか“画聖”とも呼ばれる画僧。その雪舟が作庭したとされるお庭が西日本の各地にあります。で、それらは、いったいどれほど雪舟が関与した(もしくは関与していない)のか?をテーマに、いろいろ本を読んだり、お庭を見に行ったりとしていました。ま、ぶっちゃけ、雪舟は作庭していないんじゃないかと思っている訳で、非常に挑戦的なテーマで勉強していたのですが・・・。はまりすぎて、日本画の本まで読み始め、近頃は雪舟よりも岩佐又兵衛にはまり(すでにお庭じゃない)・・・。収拾不可能な状態になりつつあります。
紅葉シーズンだし、あ~、お庭を見に行きたい。
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画像は、山口市に復元(?)された雪舟の画廊、雲谷庵の内部です。雪舟は、大分と山口に滞在中に構えた庵に、いずれも「天開図画楼」と名付けており、文明18(1486)年にここを訪れた雪舟の大親友、了庵桂悟が『天開図画楼記』を記しています。雪舟関係の詳しい記録の大半は、この『天開図画楼記』によります。ちなみに、有名な「涙でねずみ」の逸話は、『天開図画楼記』には出てきません。つまり・・・
- 2013/11/02(土) 18:33:19|
- 雪舟が見つからなくって
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