飛石に石臼が紛れ込むのは、いつ頃からでしょうか?出雲の豪商・豪農のお庭などでは、かなりの割合で見かけます。出雲のお庭で目につくのが切石の短冊石ですが、その前後に石臼が置かれる場合が多くあります。ただ、そのほとんどが、スリ目も鮮やかな未使用のものであったり、スリ目すらないお庭専用のものであったり・・・お庭の世界で“見立てもの”と呼ばれるような転用品では無い場合が目立ちます。一方、県外のお庭の飛石を見ると芯に鉄サビが残るような、実際に使用した石臼を転用している例を多く見かけ、出雲のお庭とはなんだか違うなぁ、と言う印象を受けることも・・・。

写真は、東京武蔵野の殿ヶ谷戸庭園の石臼です。殿ヶ谷戸庭園は、大正2年から昭和13年にかけて整えられた財閥のお屋敷の庭園です。出雲地方で巨大短冊石の置かれるお庭が大ヒットする時期に近い頃の整備だと思うのですが、摩滅しきった(もちろん、人が歩いたことによって摩滅が進行している訳ですが)使用済みの石臼が、しかも上下セットで置かれています。まさに“見立てもの”ですね。
- 2011/11/26(土) 12:06:20|
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お松:おっはよー!先日は津和野の堀庭園を見てきましたが、きれいでしたねぇ。それに、すんご~い人で、あんなにひっきりなしに大型バスが来るんですねぇ。
やや:すごかったですね。ただ、確かにきれいなことはきれいでしたが・・・。今年は、どうも紅葉がイマイチで・・・例年なら、庭中燃えさかるようなんですがねぇ・・・。堀庭園のある津和野町邑輝は、鯉の泳ぐ津和野中心部よりさらに寒い。寒暖差が大きいので、普段の年の紅葉はすんご~いです。それに堀庭園のモミジは自然な感じが良いですよね。
お松:自然なモミジって当たり前じゃないですか?自然な感じではないモミジって、どんなですか?
やや:・・・(しまった、めんどうくさい事を言ってしまった)。
お松:あの~ぉ、自然な感じじゃないモミジって?ねぇ、ねぇ?
やや:はいはい(ったく、しょうがねぇなぁ)。つまり、お庭は生き物です。草木は日々生長します。だから、剪定は大変重要な作業なんです。
お松:剪定しなければ、自然な感じになると言うことですか?
やや:それが、そうは行かない場合もある。特に低木植栽・・・つまりツツジとかが巨大になったら困るじゃないですか。
お松:だから、バリカンみたいなので、バババ~ッと剪定する訳ですよね。
やや:ツツジを、お手軽にバリカンでバババ~ッと刈り込むと、次の新芽は光を求めてよーいドン!で伸び始める事になります。するとどうなるかと言うと、光のある隙間に新芽がどんどん延びて、その後ろ側には全く光が無くなって、やがて刈り込み全体を上へ前へと押し出していくことになります。だから、せめて何年かに一度は、プロの剪定作業をやってもらはないと、背が高く前のめりのツツジになってしまいます。
お松:ツツジは困りますが、モミジだったら、背が高いのは当然。
やや:これが意外にやっかいで、見境無く切ってやると、同じように光を求めて枝の隙間に小枝が伸び、やがてツツジの刈り込みみたいにま~るい木になってしまいます。こうなってしまうと、樹体の内側には全く葉が残っていませんので、折り重なるように透けるモミジにはならなくなります。それが自然な感じではないモミジ。
お松:では、剪定をしなければ良いじゃないですか?
やや:モミジに関してはそうおっしゃる庭師さんもいらっしゃいますが、自然の山と違い、お庭には光を求めて競争する他の樹木が無い場合があります。すると、そこに新芽が伸びて、光が当たる枝の先端だけに葉がついて、意図せず変な形になる事があります。自然に見えるモミジの枝振りを保つには、いかに隙間を作り、樹体の内側の葉に光を届けられるか?と言うことなのだそうで、それが上手くいくと、折り重なるようなモミジの自然な形が保たれると言う事だそうです。
お松:理屈は判りました。でも、やっぱり、実物を見ないと想像できないですねぇ。自然な感じじゃないモミジ・・・。
やや:では、紅葉する前の写真ですが、これでどうでしょう。
お松:おー!巨大なブロッコリーみたいですね。
やや:よく見ないとモミジとは思わないぐらい不思議なモミジですよね。雪舟の郷記念館庭園(益田市)です。このお庭には他にも、舟石が大盤振る舞いで3艘分もあったり、敷砂から松が直接にょっきりと生えていたり・・・歴史的なお庭ではなく、大胆で個性的な現代のお庭です。だから、このモミジも狙ってこう整えたのだと思います。
お松:なるほど、自然な感じではないモミジ。それはそれでおもしろいですねぇ。
- 2011/11/25(金) 12:06:55|
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出雲地方では神在月(旧暦)と共に紅葉シーズンもまもなく終わり、神様方がお発ちなると同時に冷たい季節風が吹き込んできます。さて、紅葉シーズンでもあるので、なんか、紅葉のきれいな写真は無いかいなと、探しておりましたが・・・無い。だいたい毎年11月前後はなぜか異常に忙しいことが多く、この時期、お庭、見ていません。
で、数少ない「11月撮影」がこれ。出雲大社の北島国造館庭園です。広々とした芝生の奥に、少名毘古那神を祀る天神社が置かれた中島のある池。その奥には滝。池の右手の出島には天満宮の祠が置かれ、そして出島には・・・ソテツ~!後ろの紅葉の真っ赤と、ソテツ~・・・不思議な雰囲気ですねぇ。

元々、この庭が造られたのは江戸時代だった思われます。北島国造館は寛文4(1664)年に現在地へ移転したことが判っており、お庭の原形はその頃に作られた可能性があります。幕末の天保年間(1830~1843)に描かれた「杵築惣絵図」には、現在地らしき場所に池が描かれています。当時の建物は明治5(1872)年に焼失と言うことですので、現在芝生となっている部分が建物のあった場所でしょう。お庭が明治5年にどの程度被災したかは判りませんが、明治5年以前には、石組みももう少し有ったことでしょう。また、昭和40年代に撮影された写真では、蘇鉄のある出島の周りを竹垣が巡らされています。時代、時代によって、ずいぶん雰囲気を変えている可能性があります。
このお庭の背後の山は亀山と呼ばれ、そこから落ちる滝は「亀の尾の滝」と呼ばれています。と言うことは、背後の山がそのまま亀島と言うことになりそうですね。天神社の乗る中島や出島は神社らしい当然の配置。心字池を中心に、画面右手に亀。左手にはおそらく今以上の石組み。出島の植栽は、当初は蘇鉄ではなかった可能性もありますが、蘇鉄があるだけで、不思議な雰囲気を醸し出しているようですね。
- 2011/11/23(水) 12:20:41|
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紅葉の名所、津和野の堀庭園に行ってきました。残念ながら、今年は紅葉の色付きがイマイチですが、それでも、大変な数の観光客が押しかけていました。
さて、堀庭園は、鯉の泳ぐ城下町津和野からさらに谷間を奥深くに入って行った畑ヶ迫にあります。津和野の鯉が泳いでいるあたりよりさらにぐっと冷え込む所(だから紅葉の名所)。もちろん真冬は近づいたことがありませんが、雪もかなり多いと聞きます。そのため、堀家本宅も客殿楽山荘も非常に床が高くなっています。庭の方でも、大きく平らな飛石は、間隔を詰めて、でもかなり高く打たれています。出雲地方の、小さく丸く、間隔の大きな飛石とはずいぶん印象が違いますね。

津和野の堀庭園は、山陰の鉱山王と言われた堀家の庭園です。津和野町畑ヶ迫から笹ヶ谷周辺は銅山として栄え、江戸時代には天領石見銀山御領に含まれていたところです。その笹ヶ谷銅山で栄えた畑ヶ迫の堀家には、2カ所の美しい庭園を始め、ハイカラな明かり取りの塔屋のある本宅、明治33年に造られた客殿“楽山荘”、堀家が作った病院の建物などが残されています。
とんがり屋根のすてきな塔屋は、注意して探さないと判りません。
楽山荘の軒先の巨大な棗形手水は灯籠をしのぐほどの巨大さですごいです。山陰の鉱山王のすごさを感じます。
- 2011/11/20(日) 08:51:16|
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い・・・陰陽石です。正面から写真に撮るのも躊躇してしまいそうな・・・。写真は、出雲市の平田本陣記念館です。本陣を勤めた木佐家の庭園を移築したものです。
出雲地方のお庭の景石で意外に多いのが陰陽石。陰陽石とは、もちろんアレですので、子孫繁栄を願って、跡取りの有無が決定的に重要だった武家の庭園などに見られるアレです。そういう訳ですので、全国的に見ればそれほどめずらしい石ではありませんが、そうは言っても、あまり“ど真ん中”には使われていないと思いますが・・・。出雲ではお庭のど真ん中に・・・結構あります!
こうした陰陽石を主景石に使うお庭には、切石の短冊石や丸くて小降りの飛石など、出雲地方のお庭でよく見るセットが一通り揃っている事が多いようです(←いわゆる出雲流庭園ですか?)。こういうものが商家庭園の主景石になるのはいつ頃でしょうか?

この平田本陣記念館のもう一つのお庭、御成門に続く内庭の飛石には、ごつごつした石が使われており、陰陽石のある主庭の丸い飛石とは違うデザインになっています。そう言う訳で、内庭の方が古そうに見えますが、江戸期の絵図には、確かに広大なお庭が描かれていますし(but 前庭の形が違う)、それらしい石も確かに描かれています。江戸時代からこんなお庭があるのかしら・・・?
豊かだった時代のちょっと変わったデザインが今となってはまぶしいぐらいですね。たぶん、ほとんどの見学者の方がそれとは気づかずに、視界のはじっこでご覧になっていることと思いますが・・・子孫繁栄を願う陰陽石です。(←それがどーした?)
- 2011/11/19(土) 10:43:31|
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最近、気になるものの一つが蘇鉄。南国ムードいっぱいの樹木です。案外と町で目にすることが多い。それも、お庭とかではなく公共施設の前で・・・。
そう言えば、小学校の頃、正門を入ると大きな植え込みがあって、蘇鉄があったのを覚えています。市役所前植え込みや、ちょっとした公園なんかにも蘇鉄ってありましたよね。松江あたりでは、冬になると防寒対策でぐるぐる巻きのミイラになるやつです。本来、寒さの苦手な南国生まれのこの樹木。公共施設はナゼ愛してやまないのでしょうか?
雰囲気が明るいからですか?それともめずらしいとでも思ったんでしょうかねぇ。
さて、その蘇鉄ですが、お庭に蘇鉄って、意外にあります。有名どころのお庭にだって・・・。

写真は京都の二条城二ノ丸庭園の蘇鉄。立派な蘇鉄ではありますが、もちろん、この蘇鉄が樹齢400年以上であるはずはありません。でも、小堀遠州が手を入れた時期に、蘇鉄が植えられていた可能性も高いのだそうです。(と、言うことは、この蘇鉄は2代目?それとも3代目?)
そう言えば、大阪府堺市の妙国寺の蘇鉄(天然記念物)には、織田信長に関わる伝説が伝えられていますし、佐賀県唐津市の広沢寺の蘇鉄(やっぱり天然記念物)は文禄慶長の役の際に加藤清正が豊臣秀吉のために持ち帰ったと伝えられています。日本庭園に蘇鉄が似合うのかどうか・・・。それとも武将たちにとっては、めずらしいものを持ってくることができると言う力の誇示でしょうか?それともバサラなイメージ?とにかく、戦国武将たちは南国ムードいっぱいの、この樹木が大好きだったようです。
- 2011/11/06(日) 18:17:28|
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雪の多い日本海側ではめずらしいことではありませんが、出雲地方の庭園に一般的に見られる特徴の一つに、飛石を高く打つと言う点があります。これは降雪対策だと言われていますが・・・う~ん。少々の雪ならね。特に、出雲地方の場合は、丸い小さめの石を使って高く打つので、これが濡れると・・・う、滑る。そんなに歩きやすくはないですね。←それは、スニーカーだからです!
出雲のお庭のすべてがそうなっている訳ではないので、そうなり始めた時期や、関わる人々を調べていくとおもしろいと思うのです。松平治郷=不昧公が関わったとも言われる管田庵や普門院(いずれも松江市)では高く打った小降りの飛石が使われていますが、峰寺庭園(雲南市三刀屋町)などでは大振りな割石が使われています。卜蔵庭園(奥出雲町)など鉄山師の庭園も同様ですので、案外と、雪の多い地方で高く丸い飛石が使われていないことも不思議です。(やっぱり雪が多すぎると効果が無いからか?)

写真は出雲文化伝承館の出雲屋敷庭園(出雲市)です。丸みを帯びた小降りの飛石がよくわかりますね。この出雲屋敷庭園は非常に大きなお庭で、出雲平野の大農家の力をまざまざと感じさせます。枯れ遣り水も、出雲地方のお庭では多くは見かけない意匠ですね。
- 2011/11/05(土) 12:49:56|
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お松:ややさん、こんにちは。先日は、突然、岡山へ行ってきたそうですね。お庭ですか?それとも屋根?
やや:はい、おみやげの吉備団子。(←ありがとーぉ!)
実は両方です。先月はずいぶん忙しくって、休日出勤もバンバンだったので、それですさみきった心を癒しに・・・。
お松:センチメートルジャーニーですね(←メートルって何だよ?)。岡山のお庭と言えば後楽園?
やや:後楽園もすてきですが、今回行ったのはもうちょっと(ずいぶん)コンパクトなお庭。高梁市の頼久寺です。江戸初期を代表する総合プロデューサー小堀遠州のお庭ですね。西洋庭園風のデザインが持ち込まれた、うねるような大刈り込みのお庭です。敷砂や延段の使われ方に興味があって・・・。小堀遠州のお庭を愛して止まなかった松平治郷=不昧公が、お庭に直線を持ち込みたがったのは、そんなところにモチーフがあるんじゃないのかなぁ、と思ったりした訳で・・・。
お松:はいはい(←おまえ、全く興味ないな?)。屋根の方は、どちらに行ってきたんですか?
やや:吹屋です。赤瓦の町並みで有名な伝統的建造物群保存地区なんですが、この吹屋の赤瓦は石州瓦なんだとか。でも、石見から石州瓦を持って行ったのではなく、石州瓦の職人が吹屋へ行って造ったって言うので、ぜひ見たくって・・・。
お松:はいはい(←おまえ、興味ないのなら、聞くなよぉ?)。この吉備団子ってさぁ、犬、猿はともかく、キジは食べられるんですかねぇ?
やや:う・・・。

写真は日本最古の現役木造小学校校舎の「吹屋小学校」。なんてったって現役です!
ドピーカンでお庭向きでも屋根向きでもない天気でしたが、風景には最高の天気ですね。うる、うる、ちょっと黒っぽく見える石州瓦の屋根がたまりませ~ん。
- 2011/11/03(木) 18:00:44|
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お庭の片隅に置かれる手水鉢。蛇口をひねると水が出るわけではない時代の手水鉢は、お庭の装飾だけではなく、当然ながら実用的な機能も求められます。
石を削って作った手水鉢は、まぁ当然よく見られますが、八雲本陣(松江市宍道町)には宝筐印塔の笠をひっくり返して手水鉢に転用した“見立てもの”なんて言うものも見られます。

さて、写真の手水はその八雲本陣の中庭の手水鉢。松江藩家老大橋家にあったものを大橋家が江戸=東京に引っ越す際に譲り受けたものと伝えられています。こうした変な(失礼!)形をした手水鉢は、峰寺庭園(雲南市三刀屋町)や絲原家庭園(奥出雲町)などにも見られ、どうも松江藩が関わるお庭にはよくあるようです・・・不昧公御好みか?・・・しかも、こういった手水は、庭の片隅や軒先ではなく、お庭の中心近くに据えられ主景石となっていることもあるようです。
ところで、そう言う手水鉢って、使うの?
- 2011/11/02(水) 15:06:50|
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