松江市の中心部、大橋川の左岸は現在は東本町と呼ばれていますが・・・。昭和6年5月16日の午後3時20分頃に松江大橋の北詰で火事が発生。その日吹き荒れていた強風にあおられて東へ延焼。新材木町・紙屋町・末次魚町・鍛冶町・漁師町・御船屋町を焼き、向島町まで達して同日6時30分頃に鎮火したと云います。鎮火したのは燃えるものが無くなったから。わずか3時間で江戸時代から続く町屋を焼き尽くし、広大な範囲を更地に変えてしまったのだそうです。そこに新たに作られたのが東本町。島根県ではめずらしい◯丁目と言う住所や四つ角の内側を斜めに切りとった広い交差点。大橋川沿いの道もこの時から作られ江戸時代以来の狭い町屋が、近代的な街に生まれ変わったと言う事です。この時に多くの建物が建てられていますが、中でも旧山陰道産業・・・後のトラヤ用品店の建物はこの街のシンボルのような存在です。

謎のオブジェも健在!不思議建物ですがその周囲でも昭和初めの建築が点々と残されています。
お松:昭和6年に大火にあって、近代的な街に生まれ変わったはずなのに、現在では古い建物が点々と残される街?なんだか不思議ですね。
やや:トラヤ用品店の並びにもこんな感じです。特に文化財指定もされていない古い建物がたくさん残されており、好きな人にはたまらない感じの町並みです。ただ、大橋川の堤防のかさ上げや新大橋の架け替えなど、新たな開発が目の前に迫っています。
お松:近いうちに、この景観も変わってしまうんですね。
おまけ
やや:今や貴重な木製の電柱も現役!
お松:こ、これも近いうちになくなってしまうかも。
やや:確実に無くなると思います。
- 2024/12/01(日) 21:37:15|
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お松:おはようございます。秋らしい好天の山陰地方ですがブログは江津本町を徘徊してきた件の続きです。
やや:誰が徘徊か?!・・・あ?いや、正確に言えば徘徊か
お松:納得するなぁ!
やや:江津本町は江の川河口の町。現在の江津市街地からは丘陵を隔てた場所にあり、昭和37年(1962)に江津市役所が移転するまでは江津市の中心でした。江の川の舟運と北前船の接点で、江戸時代には天領米の積み出し港。市の中心が現江津市街に移ったこともあり、近世末から近代初頭のあれやこれやを色濃く残すノスタルジックな町です。
お松:前回の国防色?黄色い屋根の建物は昭和初期のお医者さんでした。
やや:本町川沿いにはかつて廻船問屋だった大きな古民家がいくつも残されています。
本町川沿いで目に付くのがこれ、川に沿って穴の空いた石が等間隔で設置されています。
お松:なんかかわいいですね。手すりにしては低すぎるようだし何ですかこれ?
やや:鼻ぐり石と呼ばれています。江津本町は水上交通と陸上交通の結節点です。牛による陸上輸送と本町川の小舟、さらに江の川の舟運や北前船への積み替え場所です。この鼻ぐり石は牛馬を繋いでおくための施設。
お松:ってことは、ここに牛とか馬とかが繋がれていたんですか?ひょえ~!通れないよぉ
やや:今ではとっても静かな町です。
お松:この石垣も、賑やかだった頃を見てきたんですね。
やや:たくさんの牛馬とかも見てきました。
お松:そりゃそうですが・・・。
ちなみにこのネタはまだ続くようです。
- 2024/10/13(日) 11:27:05|
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いろいろありましたが片道2時間の通勤が終わりました。思えば長かった。
お松:やっぱ、2時間は長いですよねぇ。
やや:いや、通勤ではなくてこの仕事(←お松:通勤も長いと思います)。当初は2ヶ月で終わると言う話で引き受けたんですが、中身をチェックしたらとても無理っぽいので4ヶ月に延長してもらって着手。それがさらに想定外のあれやこれやがあって、結局5ヶ月もかかってしまったと言う・・・。私にとっては想定外ですが、そもそも想定しなかった当初設計がダメすぎ。とんでもない尻ぬぐいでまったくもう!(←お松:はいはい)
と言う訳で、何はともあれ長いことお世話になった町なので最期にちょっとだけ歩いてみることに・・・

東西に長~い島根県の真ん中よりちょっと西寄り。江津市です。江津市は中国地方最長の河川、江の川の河口の町です。この江の川がとんでもない川で、なんと昔々、まだ中国山地ができていなかった頃から流れていて、中国山地が隆起する速度よりも早く下刻浸食して流れた中国地方最古級の川。そのため中下流域に大きな平野がないと言うめづらしい川です。その代わり傾斜が緩やかで水深が深く水運には適していたのですが、右岸が天領石見銀山領だったため江戸時代には水運はあまり盛んではなかったのだとか。なんだかややこしい歴史の町です。
現在の江津市中心部は山陰本線江津駅の周辺に展開していますが、以前の中心は・・・
お松:な、なんですか?このナゾの建造物は?
やや:数年前に廃止されたJR三江線の橋脚ですね。この近くにJR江津本町駅がありました。

江津本町です。江の川の左岸に位置していますが、この町は天領石見銀山領。江戸時代から続く水運と陸上交通の接点で、昔ながらの古い町並みが残っています。
お松:こぢんまりとした静かそうな町ですね。古い家と新しい建物が混在しています。手前に見えるのはさっきの三江線の橋脚ですね。画面の真ん中あたりにはおしゃれな黄色い屋根が見えますが壁は黒っぽくて古そう。
やや:平成24年まで使われていた花田医院です。昭和12年に作られたというステキな建物ですが、問題はこの屋根。なんと戦時中の国防色なんだとか。よく見ると普通の石州瓦なのですが釉薬がカーキ色!
お松:空襲対策で目立たないようにするためなんでしょうか。
やや:2カット目の全景でも真っ先に目に入るステキな屋根です。目立ちます。意図はわかりませんが、屋根フェチにはたまらん屋根です。
お松:江津本町の黄色い屋根でした。この屋根以外にもいろいろ撮ってきたようなのでこのシリーズはまた続くものと思われます。では皆さんごきげんよう。
- 2024/10/05(土) 18:58:19|
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お松:ちょ~っと待ったぁ!タイトルが屋根探検から甕探検に変わっています。
やや: 時間もあまりなかったので、そもそも探検してる場合じゃなかった・・・(←お松:いや、変わった説明にはなっていません)。
え~とぉ。

清水寺の庫裏の脇に伏せてあるのは石見焼のハンド甕(←お松:石州瓦から石見焼への強引な展開!)。石見焼は島根県西部石見地方で石州瓦と共に大量に生産され、日本海沿いの各地に出荷された陶器です。ハンドとは半胴(はんどー)ということらしいので、甕の形や大きさを表す言葉だったようですね。水を溜めたり、肥料を入れたり、漬け物を漬けたり、近代には様々に使われた便利道具。古い町並みであればあちこちで目にしますが、当然隠岐にだって・・・。

菱浦の通りで見つけた様々な大きさの石見焼ハンド甕。なお、一番左はプラスチックの桶です(←お松:知っとるわ!)。

これは・・・。一見すると石見焼のハンド甕に見えますが、なんか違う・・・。唐津の大甕ですね。北前船の寄港する隠岐諸島では、全国各地の様々な産物が集まっているようです。
おまけ
水道や各種容器が普及した現代ではハンド甕は本来の役割を終え、近頃は主にメダカの水槽や傘立て、スイレン鉢に用いられることが増えてきましたが・・・
お松:斬新な使い方です。
隠岐中ノ島。ほんのちょっと行っただけなのに、ずいぶん引っ張りましたが、これで終わりのようです。
やや:また行きたいなぁ。天気のいいときに・・・。
- 2024/02/18(日) 07:19:24|
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保々見の清水寺の縁の下には松江産のいぶし瓦が残されていましたが、現在の清水寺の屋根は石州瓦。中ノ島で見かける古い建物のほとんどが石州瓦の赤い家並みです。石州の赤い釉薬瓦は凍害や塩害に強く、寒くて潮風も吹きつける隠岐の気候には適した瓦です。

松江界隈の古い家なら屋根全体に黒灰色のいぶし瓦を葺いて、棟には来待石の棟押さえが乗っかっている、とっても地味な屋根が普通ですが・・・

中ノ島では棟止めも石州瓦。屋根全体が赤い石州瓦です。
石見地方でもよく見かける立派な棟飾り。清水寺の庫裏ですが、ほぼただの民家!なんだか燃えているような。

なんて立派な棟!石州瓦製の輪違いに雁振り瓦。鬼瓦も細かい造形で、見るからに凶暴そう(←お松:エビっぽい?殻をむいて食べたい。チョンマゲも長~い!)です。
お松:しかし、どこに行っても屋根を見てるんですねぇ。しかもただの民家の屋根?
やや:だって、おもしろいじゃないですか。
お松:なので、まだ続くのだそうです。
- 2024/02/17(土) 07:00:03|
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