非常事態で壮絶なウチの職場・・・机の上は書類がてんこ盛りですが、それでも出張には行かねばならない。その出張先は、日本海に浮かぶ隠岐諸島の海士町!
現地での用務はホンの数時間で片付いたのですが・・・でも、帰りの船は明日の朝までやってこない。山ほどの書類の山は・・・。しょうがない。どうしようもない。船が来るまでどうしようもないのだ。・・・なので、仕事を忘れてちょっと休憩!
出雲ではなく隠岐ですが・・・。
鎌倉幕府転覆を企てた承久の乱(1221年)の失敗により隠岐へと配流になった後鳥羽上皇(乱の時点では天皇)は、隠岐島前(どうぜん)の中ノ島に配流されます。その後19年後の延応元(1239)年に、ついに隠岐を出ることなく60歳で崩御されました。
その後鳥羽上皇の配流を管理し、後鳥羽上皇崩御の後はその墓を護ったのが村上家です。村上家はそもそもは隠岐の豪族の末裔(?)とされ、地域の有力者。戦国期には尼子氏と毛利氏の合戦にも関与していますが、その後は海運業を営んだようです。そのお屋敷が今でも残されています。
現在の建物は明治33年に建てられたものですが、巨大な屋敷に美しい庭園が再整備されています。
近年まで、末裔の方がお住まいだったようで、後鳥羽上皇の時代はもちろん、中近世の面影を伝えるものは多くはありませんが、それでも、超巨大な靴脱ぎ石に隠岐の有力者の力を見せつけられた気がします。
棗形の大きな手水は松江藩の息のかかったものでしょうか?
おまけ
岬の灯台へ向かい、西ノ島にある焼火山(たくひやま:焼火神社のある船乗りの守神)を見ようと思ったら、目の前に・・・。
お松:なんか、めっちゃ見られてますよ?
やや:見つめ合っちゃいました。
- 2018/05/26(土) 21:50:53|
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松江市堂形町の天倫寺です。すぐ下を一畑電車が通り、宍道湖を南に見下ろす景勝地に立っています。
天倫寺は、17世紀始めから続くお寺で、山号が時々変わっていますが、寛永十六(1639)年から臨済宗神護山天倫寺となり、現在に至っています。このお寺の山門のすぐ横には、立派な鐘楼があり、そこには件の朝鮮鐘が吊られているはずですが・・・見えませんね。
お参りを済ませて、はい次・・・って感じで立ち去ろうとしたのですが、ん?
本堂の正面にある庫裏の裏手を覗くと、お庭があるじゃあ~りませんか。
靴脱ぎ石に、切石と自然石の2種を並べ、高く小ぶりな飛び石。築山すら目立たない完全な平庭の枯山水。こ、これはいわゆる出雲流庭園?
お松:ぅお~?なんとなつかしい言葉?
やや:やかましい!
しかし、よく見ると、出雲流庭園を特徴付ける巨大短冊石がありません。それに、出雲流庭園は背景をばっさりシャッタアウトするのがキモですが、このお庭は、明らかに宍道湖を愛でるためのお庭です。これは・・・。
このブログもそうですが、とんとお庭から遠ざかってたので、このお庭の歴史についてはわかりませんが、もし江戸のお庭だとしたら、いわゆる出雲流庭園以前のお庭で、松江藩がらみのお庭である可能性もあり、お庭の歴史的にはおもしろいかもしれません。
さて、この天倫寺のお庭と言えば、江戸中期(18世紀中頃)の文人画家である池大雅(いけのたいが)が出雲地方を旅したときに滞在し、天倫寺の庭から宍道湖を見下ろした風景描いています。「林外望湖図」と呼ばれる絵がそれで、え~・・・。
お松:どう言う絵なんですか?
やや:し、宍道湖を見下ろした・・・。
お松:雪舟とかを追っかけているときに、ずいぶん日本画の勉強もしたんじゃ?
やや:雪舟と、戦国期の絵師を少しだけ。そもそも絵とか・・・。
お松:そもそも絵とか芸術的センスはないですものねぇ。それに、きれいなものとかに興味ないですものねぇ。
やや:・・・。
と、とにかく。このお庭から池大雅が「林外望湖図」を描いた可能性があると言う事で・・・。
おまけ
ひっさしぶりぶりの狛ワンコ?
やや:天倫寺の境内にあった稲荷社の狛キツネですが・・・
お松:秋田犬の子犬にしか見えない。
- 2016/10/01(土) 17:48:43|
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しばらく更新が滞っております。
お松:ただでさえ、不定期更新なのにね。
やや:う・・・。
画像は・・・ずいぶん古い画像ですが、この時期に撮影した数少ない画像の中から、出雲市国富町の康國寺庭園です。出雲を代表する寺院庭園の一つで、背後のため池と旅伏山を借景に取り込んだ雄大なお庭です。
臨済宗康國寺のお庭は、天保年間頃に整備されたお庭と言われ、松江藩のお抱え庭師「沢玄丹」の作庭だと主張する説明が多くあります。
お松:なんか、持って回ったような言い回しは?
やや:もちろん、いろいろ検証していくと・・・
お松:あ~もう、余計なことは言わなくても良い!
- 2014/04/26(土) 08:54:48|
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予想に反して天気が回復したので、ふらっとお散歩。出雲大社へ行ってきました。
真冬の2月だって言うのに、観光客の喧噪が止まない出雲大社の拝殿周辺を、ほんのわずか、ほんのわずかにそれ、小さな川をひとつ渡ると北島国造館・・・ここまで来るとずいぶん静かになります。
ここのお庭は、亀の尾の滝が落ちる池と、ナゼか南国ムード満点の巨大な蘇鉄が・・・。池の中島にはオオクニヌシと共に国造りに励んだ小さな小さな神様、スクナヒコナを祀る天神社があります。
『古事記』に記されるスクナヒコナは、突然やってきて、国造りの真っ最中に、またまた突然、常世国へぶっ飛んで行ってしまう神様。その伝承地は、出雲以外の地域に多く、・・・そもそも出雲の神話ではないのでしょうか。『古事記』に無理矢理挿入されたようなストーリーですが、ヒキガエルにカカシのクエビコ、登場する神々も楽しさ満点の、それこそ出雲っぽくない展開が大好きな神様です。
お松:久しぶりにお庭ですね。もう、やめちゃったのかと思ってましたが。でも、話は神社で神話なんですね。お庭の話題じゃない!
やや:う~ん。本当にいつものお庭だし。あまり、お庭そのものにつっこんだ話題もないし・・・。あ~どっか行きたい!
お松:そろそろ梅の花が咲き始めましたね。どっか行けるといいですね。
- 2014/02/16(日) 18:56:06|
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久しぶりに天気がよいので、朝も早く(と言っても9時頃)から、ちょいとお散歩。観光客でごった返す出雲大社の神門通りを避けて古代出雲歴史博物館の駐車場へ滑り込み、出雲大社拝殿の賑わいを横目に北島国造館までへ行けば、あの喧噪も嘘のように・・・
・・・のはずだった・・・。確かに、去年までは、さほど人出があった記憶はない。しかし今年は、けっこうな数の観光客が北島家辺りまで流れてきている。いったいどうなっているんでしょう(←お松:まだ、戸惑っているようで・・・)。
やや:どうでも良い話ですが、高校の日本史の授業で、国造(くにのみやつこ)って、習ったのを覚えていますか?
お松:「くにのみやつこ」・・・その、響きは覚えているんですが、いったい何だったのかは、さっぱり・・・。
やや:古代において、地域の代表に位置づけられた豪族ですね。
お松:その「くにのみやつこ」がどうしたんですか?
やや:だから、国造だって。
お松:あ!国造館って「くにのみやつこ」のやかた?
やや:そうです。出雲では、奈良時代の国造が、現在まで存在しているんです。
お松:それは、なんと言いましょうか・・・。
紅葉と南国ムード満点の蘇鉄。このお庭の最も楽しい季節です。
- 2013/11/23(土) 15:16:27|
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