後に小泉八雲と名乗る、海が大好きでちょっと変な外国人、Lafcadio Hearnは、明治25年(1892)の8月に、妻の小泉セツさんを連れて、長らくあこがれだった隠岐を旅しています。この時の旅の様子を「伯耆から隠岐へ」と言う、長~い、長~い文章に残しています。海が大好きなLafcadio Hearnは、その後も「隠岐に住みた~い」と家族を困らせていたそうですが、この文章で最もおもしろいのは隠岐よりもむしろ境港や隠岐へ向かう船「隠岐丸」の様子です。隠岐へはもちろん船で向かうのですが、出港と共に雨のように降りかかる煤煙。飛んでくる石炭の燃えかす。なんでもかんでもひっくり返り、スイカが一斉に転がりはじめる試練を受けて、Lafcadio Hearnは「悪魔の手によって設計され、建造された船だ」と結論付けています。
その日の天候は雨、そして強風。朝から横殴りの雨の降る中、東へ向かって愛車シャア専用を走らせます。北西の風7mで波高は3.5m!・・・定刻9時に七類港を出港した「フェリーくにが」は、七類湾を出たとたん
ざぱ~ぁん、ざぱ~ぁん!で、どんぶらこ、どんぶらこ・・・。
やばい・・・、こ・こみ上げてくる熱い胸の高鳴りをどうにも押さえることができない・・・(←お松:要するに船酔いです)。
・・・で、なんと4時間以上苦しんで、やっとこさたどり着いたのは島前(どうぜん)中ノ島の菱浦港です。
お松:解説しよう!日本海に浮かぶ隠岐諸島は、北東側に離れた大きな島、島後(どうご)と、南西側の三つの島、島前からなります。その島前にある中ノ島は島全体が海士(あま)町。海士町の入り口に当たるのが菱浦港です。その海士町に行ったんですね。なんでこの真冬に好きこのんで?(←やや:仕事だ、仕事!)
隠岐に行くのが大変なのはわかりましたが、住んでいる方々は本当に大変ですよねぇ。
やや:さて、Lafcadio Hearnです。夫妻は2週間かけて4つの島の全てを巡り、いろいろ書き記しています。西郷の町では、プリミティブなド田舎を求めてきたのに西洋料理が用意できるとか、漂ってくる肥料の臭いが大変だったとか、それなりに悪態もついてますが、隠岐が大変気に入ったのは冒頭に書いたとおりです。中でも菱浦はお気に召したんだそうです。
菱浦港のすぐ近く、海に面した佐渡公園(佐渡は海士町の振興に尽くした人物名)には、Lafcadio Hearn・小泉セツ夫妻とキョエちゃんがいます。
この場所は、Lafcadio Hearn・小泉セツ夫妻が滞在した岡崎旅館の跡地なのだそうで、今もこうして夫妻(とキョエちゃんも)仲良く海を眺めていらっしゃいます。
お松:けど、これ、雨ですよねぇ。けっこう激しく。
やや:朝から横殴りの雨って言ってるじゃん!膝から下はずぶ濡れ。寒い。冷た~い!
お松:でも、ぼちぼち梅も咲き始めていますよ。春はもうすぐ!
- 2024/02/10(土) 09:23:53|
- 小泉さんの散歩道
-
| トラックバック:0
-
| コメント:4
先週中頃からけっこうな積雪です。昨日は土曜日と言う事もあり交通量も少なく、道路の雪が溶けてない。で、すんごい轍。道路は大変な事になってます。とても車を出せそうにないので、とりあえず長靴履いて、徒歩で行けるところまで・・・(←お松:この大雪の中、なぜ行く?どこ行く?何しに行く?)。
画像は、Lafcadio Hearnの散歩コースだった城山稲荷神社界隈です。
明治23年8月、英語教師として松江に赴任したLafcadio Hearnが熊本に引っ越したのは明治24年11月。つまり、Lafcadio Hearnが松江で過ごしたのはわずか1年3ヶ月程でした。神々の国の首都と呼び大好きだった松江を、それでもそこに住んでいられなかった訳は、冬の寒さが苦手だったからだとか。
明治の日本家屋って言えば、まだ木と紙の家。Hearnは布団を被って、暖房器具は火鉢だけ?!
お松:そ、それはかなり寒そうですね。
やや:なので、翌年の冬が来る前、11月に熊本に行ってしまいます。ちなみに熊本の暮らしもあまりお気に召さなかったようで、3年。
お松:それでも松江よりは長い3年?
やや:その後は神戸を経て東京で暮らしています。
お松:一方、ややさんは寒がりのくせに雪が好き。雪が積もるとシッポを振って飛び出していくタイプです。
やや:犬か?
お松:そう言えば、なんだか犬っぽい!
- 2023/01/29(日) 07:21:12|
- 小泉さんの散歩道
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
お松:2022年も間もなく暮れようとしております。
やや:最悪最低の1年でした。そんなわけで、どこにも行けなかったので・・・(←お松:はいはい・・・)。
お松:で、この寒いのに大橋川まで行ってきたと?
やや:松江城の近く、塩見縄手には後に小泉八雲と名乗るLafcadio Hearnの松江での3番目の居所である小泉八雲旧居(松江市民的には「ヘルン旧居」と呼んだ方がしっくりくる?)があります。また、大橋川沿いの大橋館には、Lafcadio Hearnが最初に住んだ旧富田旅館の表示がされていますが、2番目の居所である織原家の隠居はあまり知られていません。
お松:あまり長くは住んでないからじゃないですか?
やや:富田旅館には2ヶ月ほど、小泉八雲旧居(根岸邸)が約5ヶ月ですが、織原家の隠居には約8ヶ月も住んでますね。
お松:ん?ではエピソードが少なかったからでは?
やや:松江の朝を描写した有名な「神々の国の首都」は、織原家の隠居から見た光景を中心に富田旅館でのエピソードを交えたものと言われています。それに、小泉セツさんと結婚したのは織原家隠居の頃。結婚したので根岸邸に引っ越したんじゃなかったかと。
お松:重要なところじゃないですか?
やや:たぶん、このあたりのはず。
お松:宍道湖に降りる階段が残ってますね。
やや:今よりももっと水が身近にある時代は川や宍道湖に降りるのは生活の一部だったので・・・。そんな痕跡はあちこちに見ることができますね。
お松:そもそも階段に降りられないようですが・・・。
やや:じゃ、こっちは?
お松:と、飛び込み台?
やや:下が浅そうなので、ちょっと痛いかな?
お松:痛いとかではすまなさそうな。
やや:その近くでは、発掘調査が行われています。
宍道湖の水面ギリギリの高さで、近世初頭の護岸が出ているようです。
発掘調査が終わると堤防になってしまうようです。
お松:松江の風景もどんどん風景も変わっていってしまいますね。
なににせよ、これで今年の更新も終わり。皆さま良いお年を!
- 2022/12/31(土) 16:32:29|
- 小泉さんの散歩道
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
Lafcadio Hearn(後の小泉八雲)が、松江の情景を描いた「神々の国の首都」(『知られぬ日本の面影』)には、松江市内の町々の様子が細かく記されています。「神々の国首都」は明治23年、松江に降り立ったLafcadio Hearnが最初に住んだ富田旅館を起点に、市内を散策しながらいろいろ語った文章です。まず、おそらく富田旅館の朝の支度の音で目覚め、松江大橋の朝の様子を眺めます。その後散歩に出かけるように新材木町(現在の東本町1丁目辺り?)から大橋を渡って天神町・寺町を巡り、宍道湖沿いの蕎麦屋で夕日を眺め、もう一度天神橋に戻って・・・と言った具合に、市内を巡りながら明治の松江の様子を詳細に語っています。
実際、Lafcadio Hearnは市内を散歩していたようで、市内のあちこちにLafcadio Hearnが訪れたことを示す説明板を目にすることができます。
Lafcadio Hearnは、その辛い幼少期の体験もあって、子ども達の霊を導く地蔵には特別な思いがあったのだそうです。寺町の龍昌寺境内には小さな地蔵堂と十六羅漢の石像が祀られており、Lafcadio Hearnが時折立ち寄ったと記されています。
ここの地蔵は荒川亀斎の作なのだとか(実はよく知らない)。Lafcadio Hearnが見た地蔵は被災し、2代目。Hearnが見た地蔵は小泉八雲記念館に収蔵されているそうです。
こちらは十六羅漢。所々壊れてはいますが、みなさん楽しそうです。
お松:新材木町って、聞いたことがない町名ですが、現在の東本町?
やや:前回の新大橋の話で紹介した大火の写真は、昭和6年に発生した材木町大火の時の様子です。材木町で発生した火事は、材木町や新材木町、鍛冶町などを焼き尽くしたんだそうです。その跡地に延焼を防ぐための防火道路を配した東本町が作られたのだとか。
お松:へ~、へ~、へ~
- 2022/11/27(日) 18:22:16|
- 小泉さんの散歩道
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
つい先週まで、すんげ~暑かったのに、朝晩、すっかり寒くなってしまった。山陰地方です。
しばらく母衣町の白いビルでゴロゴロ・ウダウダしていたら、その間に仕事場の方は大変な事になっていて、すんげ~忙しい!なんで他人の仕事までせにゃならんのだ~!
お松:はいはい(ま、いつもことだし・・・)。体調を崩さない程度にがんばってくださいね。
やや:先日は、添乗員さんみたいな仕事に駆り出され。当然、写真を撮るヒマもなく・・・。
お松:でも、しっかり撮ってきたと。
やや:ほんとにわずかです。
さて、
宍道湖を見下ろしているのは臨済宗一畑寺。一般には一畑薬師と呼ばれるお寺です。
一畑寺は、平安時代の創建と伝えられる山寺。近年では、1138段の石段を駆け上がる日本一の石段マラソン一畑薬師マラソンが有名で、今年も10月30日に行われます。
お松:日頃から、さほど運動をしているわけでもないのに、ややさんは過去に2度ほど出場経験があり、当然、翌日は瀕死の状態でした。わかってるのになんで出たがるのかは不明。
やや:・・・。
明治23年に松江を訪れたLafcadio Hearn、後の小泉八雲は、左目を失明し、右目も悪かったので、目のお薬師さん、一畑寺にお詣りしています。『知られぬ日本の面影』に超有名な松江の朝の一節を記した「神々の国の首都」がありますが、その中で、お寺である一畑寺に向かって神式のお祈りをする人がいることを書いています(←お松:さすが出雲人!)。が、その中で、「一畑寺に詣でるには640段の石段を登る」と書いています。
お松:あれ?マラソンは1138段?小泉八雲は640段?
やや:倍近くに増えてますねぇ。おそらく大正時代に一畑軽便鉄道ができた時か、一畑電鉄小境駅(現在の一畑口駅)から一畑駅までの間が廃止された時に増えたんでしょうねぇ
お松:へぇ~。
おまけ
お松:というより、今日はこれがほぼ全て!
ちょっと変わった狛わんこ!
やや:でも、来待石製!出雲の狛わんこです。
昭和36年製。来待石製の狛わんことしては、他ではちょっと見ないポーズをしています。
お松:すごく暑かったんですね。舌出してます。
やや:・・・そうかも。
- 2022/10/10(月) 08:37:07|
- 小泉さんの散歩道
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0