( ←お松:前回はそんなタイトルでしたっけ?)
鮭神社にお詣りした後に向かったのは、ほんのちょっと大東方面に下ったところ。山に斜面にとっても目立つあれは・・・
お松:岩?柵があるような・・・。
やや:岩が露出して穴が空いているようです。阿用川を渡る橋は軽く腐り気味でスリリング。それを過ぎると案内看板があって、斜面を登っていきます。
お松:お~!立派な岩!
やや:塩竃(しおがま)神社と言う磐座です。『出雲国風土記』には出てきません。これが、宮城県塩竃市の陸奥国一之宮志波彦(しわひこ)神社・鹽竈(しおがま)神社の鹽竈神社から分霊してお祀りしたとされているお社です。
御祭神は塩土老翁神(塩椎老翁神:シオツチオヂノカミ)。出雲ではあまり聞き慣れない神様ですが、この神様は『古事記』『日本書紀』に記される海幸彦・山幸彦の話に登場します(←お松:海幸彦・山幸彦の話って、割とつい最近聞いたような・・・)。
『古事記』では、兄の海幸彦(火照命:ホデリノミコト)に借りた釣り針を失くして困っていた山幸彦(火遠理命:ホヲリノミコト)に目無籠(竹で編んだ籠の舟?)を用意して海神の宮へ向かわせた神様です。ちなみにそこで出会う海神の姫神が豊玉毘売(トヨタマビメ)ですね。
お松:豊玉姫?鮭神社の御祭神?繋がっているんですね。
やや:現在の伝承では別々に勧請された御祭神と言う事になっていますが、すぐ近くだし、きっと関係しているんだろうなぁとは思います。いずれにせよ立派な磐座でした。
お松:山幸彦と豊玉姫は結ばれるんですよね。
やや:はい。『古事記』ではその後、豊玉毘売の出産シーンで例によって「けっして見てはいけません」って言われたのに、本当の姿・・・大鰐になったところを火遠理命に見られて。これを恥じた豊玉毘売は海原へ帰ってしまいました。
お松:あ~、もう、まったくぅ!
やや:こうしてお生まれになったのが天津日高日高波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)でした。
お松:・・・は、はぁ?
- 2023/11/26(日) 18:30:10|
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大田市の三瓶山は国引き神話の引っ張ってきた国を繋ぎ止めた杭ってことで、このブログを見ていただいている方々にはすでにご存じのことと思いますが、『出雲国風土記』には「出雲と石見との境なる佐毘売山」と記され、国境とされています。
で、具体的にどの辺りが国境かというと女三瓶山、つまり飯南町と大田市の境で、現在の市町境と同じですが、その少し北に行くとやっかいになります。大田市三瓶町多根地区は間違いなく石見ですが、お隣の大田市山口町は江戸時代には神門郡。つまり出雲だったこともある地域なんです。『出雲国風土記』では神門郡から石見国の安農郡川相郷へ向かう「通道」が記されているのですが、この推定ルート上の多根地区と山口地区の境にそれは立っています。
お松:この、なんだかわかりませんが、立っている石!ややさん大好きですよねぇ。
やや:え~、え~、好きですとも。
この石、地域では立石神社、通称「たていしさん」として祀られています。御祭神は少彦名命・・・つまりスクナヒコナ命のようです。
お松:スクナヒコナ命も久しぶりに聞きましたが、ややさんが大好きな神様ですね。
やや:出雲側。飯石郡の多禰郷(多根?)の地名は須久奈比古命(スクナヒコナ命?)が稲種を落としたからと記されているんですが
お松:お~!山口と種の境ですよねぇ。
やや:いいえ。石見国の多根ではなく、出雲国飯石郡の多禰です。ですが、スクナヒコナ命がここに祀られているのは、まったく無関係ではないような気がするんですが、それはわかりません。
お松:で、この石はなんなんですか?
やや:だから、古代の出雲と石見国を結ぶ道沿いに立てられた国境の目印の石ではないかと・・・。
お松:古代から立っていた?
やや:おそらく1300年ぐらい前から立っていたんじゃないかなぁと思えるのです。しかも、飯石郡の多禰と安濃郡河合郷の多根は関係があるんじゃないかなぁと思うんです。
お松:たかが石ですが、されど石。ややさん妄想爆発中です。
- 2023/09/10(日) 15:28:06|
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雨がしっかり降っている出雲地方です。先週はちょっとだけ雪も降りましたが、さすがにもう積もることはないだろうってことで、愛車シャア専用に積んでいた角スコとチェーンを降ろしました。さらに昨夜からは、我が家の周辺に生息する猫科の猛獣が猛烈に鳴き始めたので(←お松:すげ~迷惑!うるさい!)、野生動物は春の訪れをはっきりと感じているようです。
さて、画像は先週の松江市宍道町東来待あたり。
古代の官道は、現代で言えば高速道路であり、通信施設。なにか事件があれば、いち早く都へ伝え、また、都からの様々な文書が地方へと送られる通信回線みたいもの。なので、けっこうな幅の直線道路が全国各地に配されていたはずです。この場所も古代山陰道の推定線なのですが、そこに生えてる謎の石の写真を撮ってきました。
お松:何気な~く生えてますね。お地蔵さんっぽいですが、お地蔵さんではない?何も彫られてないんですね。
やや:この場所、小字も「立石」なんだそうで、この石からついた小字であることは間違いありません。小字の元になっているのに、何の言われも残っていないってことは、だいぶ古い。江戸時代とか、そんな生やさしいもんじゃなくて、おそらく古代山陰道の道標だったのでは?
お松:ってことは1200年も前から、ここに、何気な~く、何気な~く立ってたんでしょうか?
やや:おそらく、1200年前から、何気な~く、何気な~く立ってたんでしょう。
- 2023/02/18(土) 18:05:04|
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なんだか急に石がみたくなって(←お松:何で石?)、出かけたのは松江市玉湯町柳井。旧玉湯町と旧宍道町来待の境近くなので、この辺りは凝灰質砂岩、いわゆる来待石の産地です。来待石は柔らかく、とっても加工がしやすい石なので、古くから・・・古墳時代から各種石製品に使用されています。現在でも出雲石灯籠がよく知られ、波乗りウサギでもおなじみの石です。
お松:で、どんな石を見に行ったんでしょう?
やや:これです。
お松:丸い石?でか!自然のもの?
やや:丸く見えますが、下の石とは繋がっているんだそうで、柔らかい凝灰質砂岩が風雨によって削られて、こんな形に残っちゃった石です。
上に石碑が2本生えていますが、地元の皆さんで大事にされていて、3月には神事も行われているんだそうです。
お松:こんな立派な石が身近にあれば、当然、祀られますよねぇ。
やや:ちなみにこの岩の名前は弁慶岩。
お松:武蔵坊弁慶?
やや:なぜか出雲地方には・・・松江市本庄町あたりを中心に弁慶にまつわる伝説が点々と知られています。
この石は、弁慶の下駄の歯の間に詰まっていたのを、宍道湖の反対側から蹴っ飛ばして落ちてきたとか、宍道湖の反対側に向かって石を蹴った時に割れ残った石だったとか、とにかく、弁慶が蹴っ飛ばしてみたって、ことになっています。
お松:弁慶っすご・・・。
- 2023/02/11(土) 17:55:36|
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一昨日の雨も上がり、柔らかな日差しが戻ってきましたが、それでもなんだか冷たい風の吹く山陰地方です。新型コロナの感染者はしっかりと高止まり・・・つ~か、いよいよ第7波の雰囲気が漂ってきましたが、街を行く人達はなんだか楽しそう・・・。コロナ、忘れてな~い?油断しきってますよぉ!
と、言うわけで今日も人混みを避けて向かったのは、枕木山華蔵寺です。
お松:こう言う切り取り方をすると、ここは、いったいどこやねんって言う感じですね。
やや:華蔵寺の展望台から南東を見ています。見下ろしているのは鳥取県境港の町ですね。丸ちゃん(←お松:もしかすると島根県知事の事?)が、用もないのに県境跨ぐな!って言ってますので、跨ぐかわりに見下ろしてます。
で、その先に通じる道を、西国三十三所観音霊場の石像さん達に導かれて、向かった先は弁慶の立岩です。
本堂の下の方に奥の院があった平坦面があり、さらにその下に小さな小さな川が流れています。川に洗われて、巨石がズン、ズン、ズンと転がっていますが、その横に、かわいくそそり立っているのが、
弁慶の立岩。
松江市本庄町周辺は、なぜか弁慶に関わる伝承が多く伝えられているところで、弁慶がこの岩を立てたとされています。弁慶が立てたかどうかはともかく、水の湧き出す山中に巨石がズンズン・・・。古代の山林修行の人たちの装置としては申し分ない状況です。現に、華蔵寺には平安時代の薬師如来が伝わっていますので、古代から山寺があったようです。
おまけ
不動明王と杉井の湧水を過ぎて、石段を登った先の石垣には
お松:扇のような形の石が・・・。
やや:江戸後期の備前石工の仕業です。
お松:びぜんいしく?
やや:岡山の備前です。江戸後期に備前の石工が西日本各地で石垣を作ってます。で、彼らの作品には、こういった扇形の石が入ってます。岡山の石垣には、ひょうたん形の石も入っているそうですよ。
お松:へ~、へ~、へ~。
- 2022/04/02(土) 17:05:27|
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