浦和と浦中が舞台の少年小説『ああ玉杯に花うけて』を調べた件 - 北浦和JOURNEY

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浦和と浦中が舞台の少年小説『ああ玉杯に花うけて』を調べた件

 

こんにちは。編集長のモッピーです。

 

北浦和県立浦和高校があることなどで

文教都市として有名ですが、

 

その前身の旧制浦和中学校

1896年(明治29年)に開校してから

1937年(昭和12年)に領家に移転するまで、

現在の知事公館の地にあったんだよ。

 

 

 

そのあたり一帯の台地は

鹿島台と呼ばれていたんだって。

 

浦和高校の校歌にも

「我が武蔵野の鹿島台」と歌われているんだよ。

 

浦和中学校のどこからでも富士山が見えたんだって。

 

この昭和初期の浦和の町浦和中学校を舞台にした小説に

佐藤紅緑さん『ああ玉杯に花うけて』があるんだよー。

 

紅緑さんは詩人・サトウ・ハチローさんや

作家・佐藤愛子さんのお父さんなんだって。

 

 

 

ということで今回も図書館のお姉さん

小説の内容を少し聞いてきたよー!

 

1928年(昭和3年)に刊行された少年小説で、

ベストセラーになり、映画化もされたんだよ。

 

『ああ玉杯に花うけて』は、

幼いときに父親を亡くし、貧しくなって

進学できなかったチビ公が豆腐を売りながら

町役場の助役の息子のいじめにも耐え、

 

黙々塾で勉強をし、最後、

旧制第一高等学校(東京大学教養学部の前身)に

入学し、親友の柳光一と一高の寮歌である

「ああ玉杯に花うけて」を歌うというお話。

 

友情や努力をして自分の力で成功することの

尊さが描かれています。

 

浦和中学に通う柳光一は、小学校時代トップだった

チビ公のような人間に将来活躍して欲しいという

友情から、父親と相談したうえで、学費を柳家で

出してあげることをチビ公に話しますが、

 

チビ公

ぼくは独力でやり通したいんです、人の世話になって

成功するのはだれでもできます

(略)

ぼくはひとりでやりたいのです

とその話を受けませんでした。

 

また、私立の夜学である黙々塾

師弟愛も描かれています。

 

光一の誘いから、浦和中学と黙々塾

野球の試合をやることになりました。

 

黙々塾の生徒は、

黙々先生お手製のこぶだらけのバットで、

火のでるような猛練習を重ね、試合に臨みます。

 

黙々先生

実力のあるものは貧富にかかわらず

優勝者になれるものだということを知らしめたい

せめて野球でもいいから一度勝たせてあげて

生徒の自尊心を養成したいという思いから

ノックで生徒の練習に付き合います。

 

誰もが浦中が勝つと思っていた試合は、

7-5で黙々塾が勝ちました。

 

面白そうだねー!

ということで鹿島台のお話が続きますよー!

 

編集長のモッピーでしたー!

 

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