立憲民主党の菅直人元総理が次の衆議院選挙に立候補せず、政界から引退するとして、10月8日に国会内で記者会見を開いた。
菅氏は1980年の衆院選で初当選。その後、自民・社会・さきがけ3党連立の橋本内閣で厚生相として初入閣、薬害エイズ事件への対応で注目された。
1996年には旧民主党を旗揚げし、鳩山由紀夫氏とともに共同代表に就任。
その後、小沢一郎氏率いる自由党と「トロイカ」体制で2009年の政権交代を果たし、2010年6月、総理大臣に就任した。
会見で44年間に及ぶ議員生活を振り返った菅氏は、総理大臣として陣頭指揮を執った東日本大震災や、福島第一原発の事故対応について「重要な仕事ができた」と自画自賛したが、記者から「首相時代、原発事故の現場に行ったり、東京電力本店に乗り込んだりした対応が批判されたが、今、振り返ると?」と質問され、次のように答えている。
「現場に行ったのは、結果としてだけでなく、そうすべきだったし、間違っていなかったと思っている。あの時の原発事故は、ちょっと間違っていれば関東地方が汚染されて、東京も含む地域が住めなくなる、そういう最悪の事態すらあった状況だと、当時もみていたし、今思い起こしてもそうみている」
東電本店への来訪についても、
「東電本店には現場とつながっているテレビモニターがあるが、こちらはそんなことは知らない。行ってみたら全部つながっている。それによって現場の状況が非常によく分かるようになった。私の行動スタイルは現場主義的なところがあるが、この場面では、そのことは事態を把握して対応を取る上で、非常に効果的だったと思う」
改めて自身の言動に誤りはなかったと強調したのである。
「現場第一主義」は大いに結構。
しかし、大地震発生翌日の大混乱の最中、早朝から自衛隊ヘリを飛ばして原発視察、現場ではただ東電側を怒鳴り散らして混乱させ、そしてそのまま居座り続け、危機管理室を4時間も留守にするという大失態を犯したことは偽らざる事実だ。
しかも東電に乗り込んだ菅氏はあろうことか、こう言い放ったのである。
「テレビで爆発が放映されているのに、官邸には1時間くらい連絡がなかった。いったいどうなっているんだ。(福島第一原発からの)撤退などありえない。覚悟を決めてください。撤退した時は東電は100%潰れます!」
むろん、東電は撤退など微塵も考えておらず、まずは実情把握に努めていたのだが、そんなことは知る由もなし。
この恫喝によって現場は萎縮し、さらなる混乱が広がることになった。
にもかかわらず、引退会見では「対応を取る上で、非常に効果的だった」と平然と語る。
悲しいかな、国民の危機感を煽りに煽ったトップとして、その名を歴史に刻むことになったのである。