「アーカイブ」・・・編集後記 : アジアの片隅より…Second
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アジアの片隅より…Second

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愚者のブログ

「アーカイブ」・・・編集後記

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平和記念式典



 今年も、8月6日が訪れ、広島市の平和公園では、強い日差しの降り注ぐ蒸し暑さの中で、平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式) が行われました。


 先の大戦から70年、被爆から70年の時を経て、人も政治も時代も世界情勢も、大きく様変わりを致して居りますが、「核兵器の廃絶と世界恒久平和」を実現したいと願う心は変わる事は無いと、否、益々強く成って居ると考えて居ります。





 8月1日から8月6日に掛けて、「アーカイブ」として過去の原爆に纏わる記事を掲載して参りました。

 これは、8月1日から8月6日までの記事を、7月20日に予約投稿した記事です。


 7月末に引っ越し(色々な事情に因り中止いたしました)を予定して居りまして、引っ越しした場合、当面、インターネットへの接続が困難になる事と、引っ越しに伴う雑務で、ブログを書く余裕が無いと思われた事も有ります。

 しかし、一番の理由は、「アーカイブ」として予約投稿した記事は、私がブログを再開してから間もない頃の記事で在った為に、閲覧者数が少なかった為、特に此の時期に再度投稿する事に由って、一人でも多くの若い世代の方達に読んで頂きたいと考えたからで、8・6に合わせて再度投稿する事は5月頃から予定して居りました。。

 失敗と恥と後悔で構築された様な私の半生ですが、私の様な愚者の失敗談を反面教師とする事も、若い世代の方には必要で在ろうと考えて居ります。


 多くの方からメッセージを戴きました。



 ブログにコメントをくださった方も御座います。



 私の様な愚者のブログに対して、メッセージやコメントを寄せてくださり、本当に有難う御座います。


 全て、在り難く感じながら拝読させて戴きましたが、仕事や雑務に追われ、すぐには返信を出来ない場合も御座いますが、出来る限り間を開けずに返信させて戴きますので御理解くださいます様、宜しく御願い致します。





 子供の頃(私は昭和36年・1961年生まれです)に、両親に連れられて広島市内へ出ますと、酷い火傷の痕の在る人をよく見掛けました。


 その事を母に問うと、 たいがい(恐らく)ピカ(原子爆弾の俗称)にあいんさって火傷をされたんじゃろぉてぇ・・・いとぉしい(気の毒な)のぉ・・・アメリカに遣られたんじゃけぇ、きびが悪りぃ(気持ちが悪く)思ぉたり、笑ぉたりしちゃぁいけんで・・・全部、戦争が悪りぃんじゃけぇ。」と、話して呉れました。


 高校生の頃、そんな子供の頃の話を父としていた時、「そぉ言ゃぁ、この頃は、ピカの火傷をした人を見んよぉに成ったねぇ。」、話しますと、



 「ほぉじゃのぉ・・・儂も今頃、見んよのぉ・・・昔は、よぉけ(沢山)居りんさったがのぉ・・・そぉ言ぅ人等は、ピカの後遺症の影響で、長生き出来んかったんかも知れんのぉ・・・父さんも、ピカが落とされた次の日に、広島の街をあんやん(兄さん)を探すのに歩いたけぇ、長生きが出来んかも知れんのぉ。」と、話すのを聞きながら、言葉にはしませんでしたが、言い様の無い不安と淋しさを憶えたのを記憶して居ります。


 父は、平成20年に、心筋梗塞の為に、74歳で亡くなりましたが、それまでに2度、癌の手術をして居りました。

 父が被爆した事と、癌を患った事の因果関係は解りません。

 しかし、全ての「ヒバクシャ」は、被爆した事での身体への悪影響を、常に心の何処かに意識しながら生きて来たと思います。

 父は豪胆な人物でしたが、 「父さんはのぉ、自分の子供に、何かピカの悪い影響が出ゃぁへんか思ぉちょったけぇ、アンタ等が産まれるたんび(毎)に、冷や冷やしよったんじゃ・・・じゃが、何の障害も無ぉ産まれて来て呉れたけぇ、神さんに手ぇ合わしたんでぇ。」と、語ったのを憶えて居ます。

 全ての「ヒバクシャ」は、被爆した事での我が子への悪影響を、常に心の何処かに意識しながら生きて来たと思います。






 松井一実広島市長 は、平和記念式典で、全世界に向けて「平和宣言」を読み上げました。



 その文面は世界各国に送られ、メディアやネットを通じて世界中に配信されたでしょう。



 しかし、その思いや願いが、どれだけ伝わるのかは分かりません。






 原子爆弾を使用した事は、人類史上、最も残酷で重大な、戦争犯罪の一つです。


 本来ならば、加害者であるアメリカ合衆国は、世界中から、アドルフ・ヒトラー と同等の非難を浴び、我が国やヒバクシャに対して、深く謝罪し、莫大な損害賠償金を支払い、自らの罪の償いとして、「核兵器廃絶」「世界全体の恒久平和」の実現の為に、その先頭に立って戦わなければ成らない責務を負って居る筈です。




 しかし、現実は真逆です。




 未だに、「原子爆弾の使用によって、戦争を早く終結させ、より多くの人命を救った」と、とんでもない理屈を主張して憚らない恥知らずです。


 「世界の警察」を自負しながら、その裏では、戦争を画策し、介入し、石油等の利権を握り、或いは武器を売りつけ、莫大な利益を得て居ます。



 70年前、広島と長崎に投下した原子爆弾の威力を世界に知らしめたアメリカ合衆国は、「核兵器の力」を背景に、政治・経済・軍事の面で、優位な地位を確立し、莫大な富を得て来たのです。


 その富を背景にして、更なる「甘い汁」を吸う為に、更に強力な核兵器を開発して行き、軍事力を増大して来ました。



 私が許せない事の一つは、まるで罪の償いをするかの様な顔をして、放射線影響研究所 を設立し、その裏では、原子爆弾の人体に対する影響のデータをとり、様々な関連分野の資料とした事が在ります。

 ヒバクシャをモルモット扱いです・・・こんな行為が許されているのです。



 アメリカ合衆国大統領就任式 では、宣誓の際、左の手のひらを聖書に置いて宣誓する事が慣例(決まりでは無いそうです) と成って居ますが、聖書の何処にも、この様な残虐な横暴が許されるとは書かれて居りません。




 私は、基督教徒では在りませんが、聖書 は、イエス・キリストの生涯や教え、弟子達の残した教えが記された素晴らしい書物だと思いますし、人としての道を説いた聖人として、イエス・キリストを尊敬して居ます。


 聖書に照らし合わせるならば、彼等の行為は、神との契約を裏切り、神を冒涜した行為であり、神の対極にある、悪魔と吸血鬼の行いです。



 大半の国民が、基督教徒であるアメリカ合衆国の国民の半数以上が、「原爆の使用は正しかった」と答える彼等の信仰心に疑念を抱かざるを得ませんし、「その統計調査は本当に正しいのか?」「本当のアメリカ人の本心なのか?」とさえ、疑って仕舞います。




 私には、数人のアメリカ人の友人が居り、武道を通して知り合いましたが、人情家で喜怒哀楽の表現が豊かで、日本人以上に、日本の文化に畏敬の念を抱いて居り、何よりも日本の自然や風土を愛して居ます。・・・殆ど英語の話せない私を友とする程、日本語が達者です。


 アメリカ人は大好きですが、アメリカ合衆国と言う国家は嫌いです。



 その行いに強い憤りを禁じ得ず、憎んでさえ居ます。





 今朝、仕事に向かう前に、平和記念式典に出席して参りました。



 亡き父の名代を兼ねての出席です。


 人が多く集まる場所・暑い場所の苦手な私は、成人してからは、平和記念式典に出席した事は在りませんでしたが、父が亡くなってからは、出来るだけ出席する事にして居ります。



 今日も暑かった・・・。



 不謹慎ですが、黙とうを捧げる折、父や伯父や祖父への思いや、原爆に由って命を奪われた方々や、被爆しても「ヒバクシャ」として生き残り、苦しみの多い人生を歩まれた方々への思いよりも、「暑い‼」と言う思いの方が優って居りました・・・愚者である息子、愚者である孫、愚者である甥、愚者である私を許してください。




 式典が終わった後、運良くタクシーを拾う事の出来た私は、エアコンの効いた車内で、ホッと安堵して居りました。



 車内から、警察に誘導されながら、プラカードを掲げて、シュプレヒコールを上げて沿道を進んで行く、集団の隊列を眺めて居りました。




 ふと、「世界が全体 幸福でなければ 個人の幸福は在り得ない」と、言う、心の師である、宮澤賢治先生の言葉が、心に浮かんで参りました。



 先生が理想とされた世界の実現は、遠く険しく困難で在ると知りつつも、「一歩でも・・・」との思いを新たにした、2015年8月6日の朝でした。・ ・ ・ アジアの片隅より




おきてがみ

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by ajianokatasumiyor | 2015-08-06 20:00 | 反核・平和

by ハッシー