きりちにの日記、きりちにっき

1205日目 飴玉ください

 

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カレーを食べた。ファミチキとななチキと揚げ鶏を乗せて。

自分でもなぜこんなことをしているのか分からない。比較をしたいなら揚げ鶏よりLチキの方がいいだろう(し、ネタとして古すぎる)。とりあえず近場にあるコンビニを回って買ってきただけのヤケクソ心象がチョイスに現れる。

 

ねむい〜。ねむいよ。一旦寝ていいか? \イイヨー/

 

研究とかいう個人的地獄の責め具の中にいる。自主性とかいうアノマリー。日々の宿題もなければ解答集もない。しかし大いなる〆切と、漠然としたプレッシャー及び冷たい視線はある。つまらなすぎて本当に何もやりたくないし現にやってない。眠いのはカレーで血糖値が上がったばかりではない。

中高の6年間は「受け身」が強かった。しかし受け身で培った学力を駆使して入った大学は主体性の世界だったので、急転直下して俺は社会のゴミである。逆に世の中には、中高ではバカタレだったけれど大学に行けば素質を発揮できたのに、なんて人もきっといるのだろうと思う。求められる能力のねじれが生んだ悲劇的なミスマッチ。

毎晩シャワーを浴びるたび、思考は全方向への謝罪と請願に塗れる。学生生活が伸びたのは万々歳だが、大学院生の身分は自分にとって重荷が過ぎる。頑張ることを忘れた俺に必要なのはもっと明快な規律と褒章、飴と鞭だ。会社員生活は再び「受け身」が正解になってくれることを願う。

 

大学来たばっかですが仮眠します。さようなら。

 

1204日目 Strinovaやってみたンゴ死んだンゴ

 

うわぁ! 急に美少女をお出ししてすみません。

膠着と混沌に満ちたFPS界隈に突如として彗星のように現れた謎の美少女FPSTPS「Strinova」をやっていきます。

 

何? 何? ダンス?w 楽しそうでよろしい。

 

うわ急にキワドっ何? あ、ガチャスキンですか。そうですか。😔チン

 

近年は原神を筆頭に、主に中華デベロッパーによる「美少女版のあんなアクションゲームがあったらいいのに……」の実現が活発化しています。実際のところ走っても撃っても斬っても斬られても見渡す限りにゃんにゃん美少女(+一部美男子)しか映らない対人ゲームというのはず~っと飴玉を口の中で転がしているような絶妙な平和感に満ちていて精神衛生上たいへん楽しいです。

 

さて本ゲームは対人TPS。ルールはシンプルなキル合戦に始まり、攻撃側と防衛側に分かれて爆弾設置を巡って争ったり、ゴールへ進んでいく乗り物を妨害したりと、既存タイトルをなぞった実家のような安心感があるラインナップになっています。

ですが、しかし……。

 

ん?

 

なんだ、見間違いか。

 

ん??

 

脚が→シールになっちゃうヨ♪(𝐃𝐫𝐨𝐩 𝐈𝐭)

胸も→小さくなったんだ♪(ユ!)

 

身体が平たくなるのを活かして当たり判定を小さくしたり、一反木綿みたいに空を飛んでね~ってことらしいです。正直きわめてシュールです。

 

まあでも射撃するとむちむちに戻ってしまうので、たかだか目くらまし程度の機能に留まっている感じがします。革新的な交戦風景が生まれるほどではないですね。

もたもた……もたもた……と走って敵をシバきに行きましょうッ「グエ~! 死んだンゴ……(美少女汚い絶叫ボイス)」←ガチでワロタ

 

んあ、キャラ制限だと? 死んだンゴ不可ぁ??

しゃーねーな、知らんけど余ってるマダレーナさん使うか……

 

いや…………

 

ケツすげえな……

 

いや、おいおい。

マダレーナさん強すぎる。

おい待ってくれって。

 

マダレーナさん強すぎる。

全体的にもたもたしたゲームなのでセミオート(単発)のライフルがめちゃくちゃ当たって楽しい。

 

9戦全勝で草(このあと負けました)

なおからくりを明かすと、おそらくStrinovaのユーザーの多くは原神とかそのへんのカジュアルなアクションゲームから出張してきた人たちなので、普段CoDとかの極まってるFPSでベコベコに踏みつぶされている俺がStrinovaに顔を出すと一転して上位層に君臨できます。なんだか無性に気持ちいいと思ったらそういうワケでした。新規が多いってありがたいね~大事だね~。

 

というわけでStrinovaでした。ちょうどいい息抜きになるゲームなので、たま~にやるかなと思います。フレンド申請お待ちしております。

あ、アカウント名はCyberMomoi(才羽モモイ)です。なんで?

 

さて、CoDに戻るか……😃

 

1203日目 あなたが落としたのは金の音ゲーモチベですか、銀の音ゲーモチベですか? 私はケツから。あなたのために狙いを決めてベンザブロック

 

音ゲーモチベ、完全に枯れたな〜〜。完全に枯れてから相当長く経ってることを今更思い出すほどには枯れている。

たまに流れてくる新曲追加のニュースを見ても「よしやるぞ」とアプリを開く気が起きないし、暇つぶしにゲーセンに行っても1クレ目の1曲目から「やりたい曲ねえなあ……」となる。

ここまで冷え切ってるのは果たしてなにゆえ? それを考えるにはまず、自分にとって音ゲーが激熱だった頃というのを振り返らねばなるまいね。

 

きりちに(当時はきりちにではない)が音ゲーの沼に初めて浸かったのは中学の後半である。スパルタ運動部を卒業して放課後がからっぽ〜😃になった少年の頭は、誘われて恐る恐る足を踏み入れたアンダーグラウンド(当社比)感溢れるゲーセンのビカビカした刺激に瞬く間に染まった。

きりちに少年にとって、音ゲーとはコミュニケーションの手段であった。同好の士たる理系アホガキたちと群れ、授業中には膝ーヴコースター(笑)とか言って戯れていたわけだが、とはいえ小学校からタイテツなどに触れていたローカルシティボーイがS++やら理論値やらに精を出しているのに比べれば、厨二の年に初めてオタク文化と邂逅したばかりのほゃほゃな僕はノーミスクリアできれば万々歳といった有様で、到底彼らと肩を並べて「ストイックに高スコアを目指す趣味」として音ゲーに向き合う気にはならなかった。したがってグルコスをすることの最大のモチベは、友達と共通の話題ができる嬉しさだったことになる(今思えば)。

なお同時期に、親に隠れて密輸入した中古スマホでCytusやDEEMOなんかを結構やり込んでいた(スマホの買い切り音ゲーの明確なターゲット層だなあ)。気に入った曲をCDに焼いてカーオーディオで聴いたりしていたけれど、今思うと親は「こいつ……」って完全に察してたんだろうなあ。恥ずかしい。

 

それから紆余曲折くねくねあって、高校の頃に一旦ツイッター音ゲーもやめてしまったのだが、これが再燃したのが大学の頃。Arcaeaである。だいがくデビュー しっぱい の兆しが色濃くなってきた時分、都会育ちのこわい同級生と無理して付き合うより一人でぬくぬくゲームでもするか、と始めたArcaeaは、グルコス2EXの頃とは幾分か様変わりした最新の音ゲー曲のトレンドを取り入れておりCoolであった。当時の最新曲(今となっては初期曲?)を聴くと、よく一人ぼっちで買い出しに行ったデカくて寒いスーパーのことを思い出して刹那みが溢れる溢れる。

音ゲーに対して「高スコア」という明確な目標が生まれたのはこの頃である。ベーシックな複レーン音ゲーであるArcaeaが地力を鍛えてくれたのだ。自分の手元で、自分の手技で980が987になり、993になり、997になる喜びはなかなか気持ちのいいものだった。世の音ゲーマーが感じている愉悦はこれだったのか、というエウレーカである。

大学の後半になって、市内にまだグルコスが存命のゲーセンが残っているのを知ったことを皮切りに、徐々にアーケードタイトルへの復帰も叶っていった。グルコスは(メンテは破滅的だが)言わずもがなで、新たにドラムマニアにもハマり(音ゲーつよつよフレンズでも大抵ノーカバーなので俺の方が上手い!!)、あとはほんのちょっとだけオンゲキもやった。

さらには東京に引っ越したことで、ふらっと立ち寄れる場所にメンテのいいゲーセンがある神環境に恵まれて、ついに99回目のプレイでKnight RiderをS++に乗せたり、中学の頃には夢にも思わなかったSolar Storm S++を達成したりと音ゲー絶頂期を迎えることとなった。(あでも絶頂期と言ってもゲーセンに行く頻度は月一回とかそのくらいで、中学の頃に比べればかなり冷めちょることは否定できん)

 

ほんでよ。ほんでほんで、じゃあ何故今のきりちには音ゲーに対する意欲がチリンチリンに枯渇して、日によっては「音ゲー笑」みたいな謎冷笑モードに入ったりすらするくらいの搾りッカスになってしまっているのかい。

ここで大事なのはまず、自分がこれまでどんな動機で音ゲーにブチハマりしていたのかをもう一度書き出してみることなんですね。

① 友達とのコミュニケーションツールとして

あんだけVELVET背面FCとかで盛り上がっていた中高の仲間たちともね、離れて今や6年近く経つんです。離れてからの間、俺はPS4やSteamと出会ってソロプレイのハイエンドゲームにどっぷり浸かる幸せを覚えたし、他の面々だってそれぞれの新しい趣味へ分化していったはず。音ゲー継続民も少なくないけれど、人気タイトルが移り変わるアーケードゲー戦国時代の今、各人が突き詰める「メイン」のゲームも人それぞれになってしまった。つまりね、あるひとつの音ゲーを共通のコミュニケーションツールにできるほど、俺の周りでは音ゲーが流行ってないんですわ。なのでこのモチベだけでやっていくのは望み薄。

② 高スコアを突き詰めるストイックな趣味として

誰ぞやの名乗りではないが、音ゲーの楽しさのひとつは「インスタントな努力のフィードバック」。初見のひどいスコアから、何回か繰り返しプレイすることで慣れていき、高い点を取って「俺うめぇ~!!」に浸ったら次の曲へ。努力と達成のサイクルを気軽にぶん回せる気持ちよさこそがライトな音ゲーマーにとっての魅力なんですよね(まるで受験勉強みたいにストイックに鍛えることが楽しいヘビーゲーマーの方はまるきり別人種なのであっちへ行ってください)。

まあ要するに音ゲーを継続的に楽しむには、まず前提として没頭できるタイトルを見つけた上で、楽曲ラインナップに手頃な「伸びしろ」がたくさん残っている必要があるわけですが……。これがね、今の俺にはないなってしまった。ちょうどよく「次はこいつだ!」とワクワク心が燃えてくるラインの曲が無くなってしまって、壁が高くなり過ぎたり、興味のあるジャンルはプレイし尽くしてしまったり、あるいはゲームごとサ終したりといった状態になってしまったというわけでありんす。

 

具体的なタイトルで行きましょう。

・グルコス(AC版)

サ終しました。🤯

サ終するとどうなる? 知らんのか。まず、新曲が入らなくなる。それによって、好きな曲を一通り触った後に、もうやることがなくなる。

そしてもうひとつ、オフライン状態でまだ置いていてくれるゲーセンもあるが、プレイヤーが減るのでメンテが悪くなっていく。珍しくグルコスが3台以上もあってお世話になったあのゲーセンも、今や全ての台がそれぞれ何らかの不調を抱えるおじいちゃんホーム状態となり、ちらっと立ち寄って100円玉を入れてちゃんと100円分の満足が得られるということはほぼなくなってしまった。こうなるとまあさすがに、好きなゲームだったとしても足が遠のいてくるわね。

グルコスが楽曲追加を続けていた世界線は、一体どんなトレンドが取り入れられていたんだろうね。っ神威 😦ガッ

 

ドラムマニア

元々俺は生のドラムを弄っていた時期が短いながらあったので、ドラマニに参入した理由としては「一人ぼっちでもあのバンドソングを演奏して青春っぽくなりたい!」というのがあった。つまり、ドラマニに「夜に駆ける」とか「うっせぇわ」みたいな有名楽曲を期待していたわけね。そんで実際ハマったと。

しかしどんな音ゲーでもそうであるように、流行りの有名楽曲は新規を引っ張るための入口としてたま~に収録されるのみで、その他の大部分の収録楽曲はオリジナルが多い。そして、これはドラマニ特有の事情なんだけど、演奏シミュレーターではなく音楽ゲームとしてのやり応えやバリエーションを追求する以上、オリジナル楽曲の譜面は高難易度かつ脳トレ気味で「演奏感」から離れていく傾向にあるんですね~。

つーわけで、最近追加された「青春コンプレックス」や「テレキャスタービーボーイ」みたいな数曲の有名曲もあらかた遊んだし、まあBENAMIオリジナルは興味湧かないからしばらく置いとくか、で放置し続けていると。

 

・Arcaea

スコアを990から995に伸ばすのと、995から1000に伸ばすのとでは全く違う。一時期わりとガッツリArcaeaにコミットしていた俺も、やがてそういうひとつの壁にぶつかった——ある意味では当時の自分にとっての到達点に届いたとも言える。ちょうどいい満足どき、あるいは飽きどきということで、ダイワスカーレットに浮気するなどして体よくArcaeaと距離を置いたのだが、とはいえ別に嫌いになったわけではないし、友達のArcaea民がいつも楽しそうにしているのも見ているので、たま~に気が向いたら復帰を伺ってアプリを開いてみるなどしている。が、しかし。

……アーケアさん、自分愚痴ひとついいッスか? \イイヨー/

 

今のアーケア、ちょっとごちゃごちゃしすぎでしょう……!!

 

 

【楽曲の販売方式】

テーマや時期ごとで数曲を一セットにまとめたパック売りの曲。買ったパックの中に、さらに別枠で追加購入するパック(無い場合も、後追いで複数追加される場合もある)(追加パック単独では買えない)。二十回ほどのイベントを走り切って個別で獲得するか、二十曲をまとめて購入解禁するかのパック(イベントは長期間に渡ってじわじわ解禁される)。あと、一曲単位で購入できる曲。単曲の中でも、購入はできるがプレイするには特定の大型パックの曲をクリアしなければならない曲。

【楽曲の解禁方式】

買ってすぐに遊べる曲。同じパックの下位曲をクリアすれば遊べる曲。ワールドモード数十マス登り切ることで追加される曲(条件なしのマップと、特定のパックまたは曲を購入すれば登れるようになるマップがある)。仕様が異なるワールドモードで、曲ひとつではなく特定の難易度の譜面を解禁するマップ。単曲で購入できるがプレイするには特定の大型パックの曲をクリアしなければならな(以下略)。パックを買った時点では伏せられて(もしくは存在が隠されて)いて、ゲーム内のあらゆる機能や特定のプレイを用いた難解な謎解き(しばしばノーヒント)で解禁される曲(解禁に伴って派手な演出や長い文章がついてくる)。謎解きに次ぐ謎解きで、もはやほとんど全曲が伏せられた状態になっているパック。

【楽曲の格納方式】

FUTURE(いわゆるHARD)の上に2種類の異なる難易度表現がある。片方はFUTUREの上位互換だがFUTUREと同じ一覧に並ぶ(したがってFUTUREだけ全譜面数が全曲数からズレる)。もう一方は別枠の上級譜面で、デフォルトの一覧とは異なる特別な一覧に隔離されている。この2種類はUI上は同じところに表示される。そもそも存在しない場合もあり、いまデモ表示されている曲に依存して、同じところをタップしたときの挙動が変化する。その他、特定の条件でアレンジ版に切り替わる譜面(通常版と同じ画面で一覧することはできない)など。また、購入済みの楽曲か、購入しているが未解禁の楽曲か、解禁済みだが未プレイの楽曲かは、パッと見で確信を持って判断できるほど明瞭には表示分けされない。

 

エアプ黄猿音ゲーというコンプリート癖に訴えかけるゲームなら、頑張って取った立派なスコアを統一されたフォーマットでズララ~っと並べて、まるで読了した文庫本を本棚に綺麗に並べて悦に入るように、この一覧が俺の功績の全て、な完全無欠の状態にしたいでしょうが……。なんというかもっと、一覧性とか一目瞭然とか、そういうのってあるでしょう……!「今どの曲を持っていて、どういう解禁状況で……てかそもそも解禁条件なに?(隠し曲の存在に一生気づかない)」みたいなのはなんだか落ち着かない、端的に言って美しくないでしょうが……! そりゃいろんな謎とか演出とかがコアなファンにウケるのは分かるし、年々そういう要素がどんどん手の込んだものになっていくのも理解できるけれども……! あまりにガラパゴス化しすぎて、何やこれスパゲティみたいな状態すぎやしませんか……! 最新アプデの演出カッコよかったけどさあ!」

 

 

ごほん、失礼。エアプ黄猿に熱が入り過ぎました。てか、本題忘れた。なんだっけ。……そうだ、音ゲーのモチベ下がりすぎ~って話でしたね。そうだった。

れいせれいせ冷静に突っ込むと、何らかのモチベが下がっているときに無理矢理上げる必要はないんだし、じゃあ別にモチベが下がっている理由を研究ほっぽって長々と考察する意味もないんですよね。それじゃ、なにゆえこんなことを述べ延べしてきたんですかね? そんなの理由はひとつ。

復帰したいからですよ。

 

Arcaea全曲買うのでお金ください

 

1202日目 ぴたぴた雨

 

ぴたぴた濡れたアスファルトの上を行く。降ってるのか止んでるのか分からんぱつぱつした大気。

初めての一人暮らし、橋のたもとのマンション。夜中のセブンイレブンに、170円のフィッシュバーガーを求めて。

郊外へ引越し、虫が湧く小さなアパート。ローソンを出てからあげクンを口に放る。見上げた霜月の夜空は星がよく見えて。

東京へ踏み出して、商店街のはずれのアパート。愛想の悪いファミマの店員が、却って親しく思える頃に日が回る。

ぱらぱら雪が降る師走も近い。もう何年もずっと、降ってるのか止んでるのか分からんぱつぱつした逃避の中にいる。

 

1201日目 げらげら

 

うちのきょうだいは仲がいい。いいと言っても今やみな成人、ばらばらの方角に地元を離れてそれぞれが主人公の暮らしを生きているので、もう長いこと戯れを話す機会も無いのだが。

歌好きで朗らかな姉のことももちろん気に入っていたが、より長く少年期を共に過ごした弟とは、同性ならではの友情のようなものを築きあっていた。風呂が沸くまでのちょっとした暇にオモチャのバットを引っ張り出して、自宅の短い廊下で一対一の野球に勤しんだことは忘れない。

兄弟間でちゃちな漫才のような戯れをしていると、本当にしょうもないフレーズが変にツボに入って、声が出なくなるほど笑い転げてしまうことがある。それこそ「お前それ……ケツやんけ」みたいな何ら捻りのないツッコミが、無尽蔵にずっと面白くフラッシュバックしてくる。……そんなときに限って、階下から夕飯の集合がかかるのだ。

食卓について、甚く平然とした顔で箸を動かし、それとない会話を母と交わしながら、ふとした瞬間に弟と目が合う。ぐにゃ、と口角が歪む。するともうダメなのだ。「ケツやんけ」。サブリミナルのように蘇る最もバカな言葉。ぶふっと噴き出すのをこらえて俺たちは苦しく箸を動かす。平静を装ってテレビに目を向け、あらぬ天井にチラッと目を移し、そしてまた弟と視線がかち合う。「ケツやんけ」。ダメだ。面白すぎる。今、世界一面白すぎる。ぐふぐふと咳き込むように俺たち兄弟は笑ってはいけない食卓の生放送に突入する。しまいにはどちらからともなく決壊して、お前ふざけんなよと互いに心の中で指を差し合いながら、呆れた顔をする母を尻目に、俺たちはげらげらと涙が出るほど笑うのだった。

 

1200日目 節目だョ!総員退却~

 

びゃーーっ!! びゃーっと寒いね。爪まで寒い。サムネイルです。

こんばんは。きりちにです。きりちにっき節目の1200日目ということで、直近100日間をダイジェストで振り返ります。以上。さっそく見ていきませう!

 

こののどかで非凡な商店街の愛おしい暮らしがぴったり2年間で終わることは元から分かっていたことですが、とはいえもう1年と8か月が経ってしまったのかと思うと、あまりに早かったと思うほかはありません。

ただ「そこに暮らしていた」というそれだけのことが、後から懐かしく思い出される。そんな健やかで好ましい町が、この大都会の片隅にはあるんです。

 

今まで3回くらいその1000円カットに行きましたが、どうしてだかいつも同じご機嫌おじさんが担当してくれます。そんで、満足な出来栄えになるか明らかに失敗するかのどちらかです。月イチでギャンブルでもやりにいってるのか?

 

たまには思いついたように妄想書き書きオタクアピールをするのが良いとされていますよ。類友の暇つぶしと、投げ銭稼ぎのために。アザーッス!○))

 

買ってきた藤田ことねのアクスタ、ディスプレイに飾った途端に一切目に入らなくなりました。やっぱ置いておくだけのアクスタやフィギュアやプラモデルはわくわく感の目減りが早すぎるわ。もっと長続きする充足感を得るには、飾るオタクグッズよりも使うオタクグッズを買うに限るね。

 

サウナに5分入って死ぬかと思ったよ、と後輩に言ったら「針が一回りするまで入んないと”本当”の外気浴は味わえませんよ」と返ってきた。修行僧か? 本当に、サウナーってのは死にたがりのマゾの集まりなのか? とまで言うわけにもいかない。飲み代を半分奢りました。颯爽と伝票をかっさらうワイ。く~っ! これがやりたかったんだ!

 

まあ、CoDなくしてこの100日間の後半は語れません。MWIIIからCoDの世界に入ってまだわずか2ヶ月弱ほどですが、既に累計プレイ時間は130時間くらいになったらしいです。すげぇや。下手したらこの2ヶ月で学業に取り組んだ時間より長いんじゃねぇか(それはもっと集中してください)。ちなみにBATTLEFIELDシリーズは3年半ほどゆっくりやって160時間弱です。恐るべきCoDの中毒性よ。

こうも毎晩のようにやっていける才能があるとなると、もう少しトレーニングを意識しながら遊べばぐんぐん上達するかもしれない。まあ、没頭が努力に変わった途端に飽きちゃうだろうけども。

 

オチがないなら淫紋を描けばいいじゃない

 

 

夜はますます冷えまして、年の瀬が近づく実感もとい修論の〆切が迫る恐怖感に背筋がピンと凍ります。やわらかいお布団とあたたかい妄想に包まれるなどして穏やかに眠りたいですね。

それでは🤟😏

 

 

1199日目 終末に憧れても

 

心にちいさなペシミズムを飼っている人、甘い孤独を育てたことのある人なら、一度はきっと「終わりゆく世界」への憧憬を浮かべたことがあるだろう。退廃しゆく都市、あるいは廃墟となって森林と同化したビル群。人が死に絶え、朽ち行くばかりとなった静かな地を、ぷらぷらと足を宙に揺らしながら眺めたい。そのまま何をするでもなく、ただそこにいるだけでいい。そんな、終末世界への願望を。

もちろん、今夜目を閉じて再び目を覚ましたときに、眼前にそんな平穏な世界が広がっているということはきっと無い。だからせめて、精巧にシミュレートされた世界に浸ってみるくらいはしたいと思う。つまりはゲームだ。世の中には未知の廃墟や巨大な遺物を描くことに憑りつかれているイラストレーターもいて、彼らが「こんな世界を旅するゲームがあったらいいのに」と投稿する美麗な風景画には、何千何万もの共感が届く。多くの人が同じことを夢見ているのだ。

しかし、滅びゆく/滅んだ後の世界をリアルに表現したゲームは、全くないというわけではない。Cyberpunk 2077のナイトシティに赴けば、倫理の腐敗に満ちた未来の科学都市のバーで、サイボーグの店主がなみなみとウイスキーを注いでくれる。ニーアオートマタの地球に降り立てば、ツタが生い茂り野生動物が草を食んでいる廃墟都市や、砂漠と化した巨大なアパート群の成れの果てを前に佇むことができる。コンセプトアート集を開いてみると良いだろう。ほの暗い世界観を初めに描いた作家が、我々と同じ憧憬を抱いていることが分かる。そして憧憬はオープンワールドの中で精緻に再現されている。

ところが……往々にして、我々はその世界を「ただ見ている」ことを許されない。心を甘い喪失感で満たしたまま何もせずに朽ちるときを待つという祈りは、ゲームの設計の前提にある「行動を起こして、何かを得て先へ進む」というモチベーションと根本的に食い違う。ナイトシティを牛耳る巨大企業のビルをライフル片手に荒らし回るとき、あるいは宇宙から遣わされたアンドロイドとして地上の新支配種を殺戮するとき、そこには確かに名作ゲームらしい手応えと充実感がある……しかし、壮大な全てを終えてスタッフロールを見ているときにふと、自分が本当に抱いていた切ないもの、すなわち消失願望のようなものを、いつの間にか追いやって踏みつけていたことに気がつく。

非常に残念なことに、たとえ妄想の中では遥かなる安寧を望んでいたとしても、実際にそれが可能な状況に身を置いた我々の脳は生意気にも「手持無沙汰」を覚え、早々と次なる刺激を探してしまうようだ。何も終末世界に限ったことではなく、例えば休暇を取って旅に出て、まるで別世界のような大海原や山村の景色へ身を置きにいったとき、あなたは「このままずっと世界の日が暮れるまでここにいよう」と思うよりも先に一定の満足感を覚え、夜は何を食べよう、宿には何時に着くだろう、恋人への土産は何がいいだろう、なんて現実的な未来のことを次々に考え始めるだろう。

いや……私だけなのか?