酒器を持ち、寝台特急サンライズに乗り込んで、香川でうどんをたらふく食べる - 今夜はいやほい

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酒器を持ち、寝台特急サンライズに乗り込んで、香川でうどんをたらふく食べる

夜行というのはなんだか不穏な響きがある。これは、寝て起きたら、全く知らないところに突然放り出されるということに起因するのではないかと思う。

 

赤い車体がなおのこと怪しい印象を強める寝台列車サンライズ瀬戸に乗り込んだ。東京から高松へと向かう便である。ライトに照らされた細い通路が奥へ奥へとと続いている。入り口すぐのところが、どうやら僕の部屋であるらしかった。

 

 

乗車前日、ビールについていろんな作家が何事かを書いている本を読んでいた。パラパラページをめくっていると、恩田陸の文章に目をひかれた。何やらその文章を読んでいると、旅先の列車の中で飲むビールに勝る幸福はない、その際、ただの紙コップで飲み始めるなどというのは、旅情を解さない者のやることで、ちょっと気の利いた酒器のひとつでも持ち込んでいるのであれば、その幸福は一段も二段も高まるものなのであると、自信ありげに書かれていたのだ。

 

 

旅行も好きで、酒も好きであるにもかかわらず、今まで酒器を持参するという観点がまるでなかったという事実に、自らの不明を恥じた。どしっと腰の据わったうつわに浮かぶ酒ほど心強いものはないではないか。棚におくゆかしくしまわれたお気に入りの酒器をリュックに放り込み、サンライズ瀬戸に乗り込んだのであった。

 

小さなボックスのベッドシーツはしわひとつなくピンと張っていた。小学校の頃の、体操のマットを彷彿とさせる。立って半畳寝て一畳なる慣用句はまさにこの状況のためにある言葉であると言える。荷物を下ろし、ベットに腰をかけた。

 

無数の人と雑魚寝のハードなタイプもあったのだが、コロナもあるし、一応個室にしておくかとこの部屋をとったのだ。

 

大きな車窓からは、忙しなく行き交う人々が見える。外から丸見えなので、われ、旅立ちの時なりといった神妙な雰囲気を作ってみる。皆それぞれ忙しく、こちらを見る人は誰もいないようだった。

 

 

体操マット型ベットに寝転がり、しばらくぼうっとしていると、サンライズ瀬戸は緩やかに進み始めた。背中に振動が伝わってくる。車体はどんどん加速していく。東京駅のホームを抜けると、あたりは一気に暗くなった。部屋の電気のスイッチを切った。窓一面に東京が浮かび上がった。

 

 

僕は、静かに興奮していた。ビルビルビル、とにかくビルである。なんでこんなにビルが立っているのだろうか。東京というのは過剰な都市である。電気のついているビルもある、仕事している人もいるんだろうなあなどと思う。することもないのでじっと外を見ていると景色がどんどん曖昧模糊としたものに見えてきた。

 

 

20分ほどベッドに転がって、水を買いに行こうと部屋を出た。

 

 

通路はとにかく細い。僕はホーチミンに行った時に体験したベトナム戦争の頃作られた暗く細い地下トンネルのことを思い出した。じとっとしていて、硬い土壁が凄まじい閉塞感を感じさせた。それに比べれば、こちらは大変に明るく清潔なのだが、なんとなくベトナム地下トンネルを思わせるところがあった。列車は結構揺れるので、壁に手を着きながら進んだ。

 

 

途中のラウンジでは、窓に映る夜景を肴に若い男女がな仲むつましげに肩を寄せ合っているようであった。すべての席は等しく男女で埋められていた。ここは僕のいるべきところではないらしいことを悟り、水を買い、ひっそりと、自分の部屋へと戻った。

 

師・恩田陸によると、列車で飲む時、おすすめされるおつまみはタンドリーチキン、もしくは、シュウマイなのだという。作家というのは、やはりどこか浮世離れした感覚を持つのだろう。おつまみにタンドリーチキンである。列車に持ち込むおつまみとしてはかなり異様なものであるように思われる。列車でどこからかタンドリーチキンの香りが漂ってきたら、まじまじと見てしまいそうである。

 

東京駅で実際に探してみたのだが、カレーは無数にあるものの、タンドリーチキンは全くどこにも見つからなかった。駅で調達をするというのが間違っていたのかもしれない。偶然見かけたシュウマイを買い、持ち込むことができた。

 

 

ビールにすると、トイレに行きたくなりそうだなと思い、ウイスキーを買った。正直、ニッカの安いボトルでいっかと思いながら、小さなボトルをさがしていたのだけど、どこの店にも、安ウイスキーがなかった。東京駅というのは出張にいくそこそこ金を持った労働者が多いのだろうか。仕方なく、やや高いが知多を買った。

 

 

これが、師・恩田陸の天啓によって持ち込まれることとなった酒器だ。江戸後期か明治初期の頃に作られたという触れ込みで骨董屋で買ったものだ。本当なのかは全く不明である。雑草のような花がなんとなく気に入っている。

 

 

寝台特急というのはただの列車なので、結構な勢いで揺れたりする。ところがしかし、この器であれば、多少の揺れでは、びくともしないのである。これはよいなと思った。紙コップは倒れかねないし、やはり、なんとなく紙コップで飲むよりもちゃんとした酒器で酒を飲んだ方がうまいのである。

 

僕は、体操マットのようなベッドに横たわり、窓辺に酒器を載せて、その柄などをしげしげと眺めながらシュウマイつまみに、舐めるようにしてウイスキーを飲んだ。

 

 

だんだんと体が温まってくるのを感じた。タンドリーチキンは冷めたら悲劇的だが、シュウマイは冷めてもそこそこ美味い。醤油と辛子で味を時々変えながら、酒を飲む。たしかにシュウマイは、つまみになかなか悪くない。

 

備え付けの寝巻きに着替えた。スマホがぶぶぶと震えた。母の体調があまり良くないのだという報が父から届いた。誰もがみんな歳をとってしまった。どこからかタバコの香りがしてきた。間違えて喫煙可の部屋をとってしまったようだ。ああ、煙草だなあ、匂いがつくかな、まあいいかとかなんとか考えていたら眠りに落ちていた。

 

 

起きると高松駅にいた。腹が減った。今回の目的は、うどんである。

 

 

あまり調べずに来たので、朝意外とうどん屋が空いていないこと知った。グーグルマップで検索していると、役所の近くに、割と評判の良さそうな店が開いていることがわかった。

 

さか枝うどん

 

まだ8時頃だったので、客はあまりいなかった。サンライズはすれ違う電車がいると空気圧でバコーンと轟音がなるので、やや眠りが浅く、頭がぼんやりしていた。とりあえずエネルギーが出そうなものがいいなと思った。店員のおっちゃんに肉うどんお願いしますと伝えた。

 

数秒待っていると、すぐに、どんぶりがやってきた。そこのやつで出汁を入れてねと言われた。巨大なビールサーバーのような出汁サーバがあった。テカテカである。あの押し売りウォーターサーバーも、水、熱湯に加え、出汁が出る必要があるのではないだろうか。などと不毛なことを考えながら、サーバの蛇口を捻ると、肉うどん目がけて豊かなだし汁がじょぼじょぼと流れ出し、淡い香りとともに、うどんをぷかぷかと浮かべるのであった。なんとも恍惚としたシーンである。

 

 

すっからかんの胃がうどんを呼んでいる。

 

 

ネギをぼんとのせる。麺をずずずっとすすり上げた。麺はもちもちで、出汁のなんと香りの良いことか!いりこの香りが舌にじんわりと残り、長く持続した。肉に絡める。甘めの味付けでネギとの相性がよい。大変美味いので、一瞬で食べ終えてしまった。

 

 

高松市内を散歩する。アーケードが長く続いている。

 

 

猫は退屈そうである。

 

 

昼には麺どころ綿谷という店に。一件目は、暖かい肉うどんだったので、次は冷たいぶっかけを注文した。

 

 

冷えた状態だと、コシがつよく、食べ応えがある。ちくわをつゆに浸し、柔らかくして食べる。卵をくずし、うどんに絡めて味をかえるのもよい。うどんはいいものである!

 

 

店を出る。近くに教会があった。桜の花びらがぱらぱらと散っていた。老婆が教会前の道のど真ん中で一人ぶつぶつと祈りを捧げていた。僕は老婆がひかれないことを祈った。

 

 

少し用事があったので、電車に乗る。電車の中はどこかで取り込んできたのか、野焼きの香りがした。右隣の老夫は、ソ連芸術の本を読んでいた。左隣の老夫は連れ合いに、歳をとると泣くのを我慢してはいけないねと独りごちるように呟いた。僕は本を読む振りをして、その老人の話をこっそりと聞いた。

 

夜、再び中心部に戻りアーケードを歩く。高松のアーケードはかなり立派である。

 

 

最後は釜玉うどんを頼んだ。天ぷらもつけてしまった。3杯目だけれど、全然飽きていない。

 

 

あつあつのうどんに卵がどろどろに絡んでいる。醤油を表面に少し垂らす。醤油が表面をつーっとつたっていく。かき混ぜると熱々のうどんが蒸気を立ち上げ、醤油の香りが立ち込める。ああ、うどん食べたなあ〜 今日はよく寝れそうだと思った。