「つまり、蕎麦を食べたということなんですよ」と僕は言った
「なるほどなるほど、それはよかった」と先輩は言った。
「鶴丸は、大垣が誇る至高の名店なんだよ。わかる?昼ごはんをもう食べているかどうかはというのは擬似的な問題であって、目の前に鶴丸があるということが真の問題なの」
大学の先輩は東海地方の出身で、大垣に通暁していた。
鶴丸は、岐阜県は大垣市で135年続く老舗の定食屋だ。とにかく、大垣に来てこの店に来ないことはありえないのだという大垣偏愛者であるところの先輩の語気を前に、僕は昼ごはんをすでに食べていたのにもかかわらず、おやつにラーメンを食べることになってしまった。
老夫婦が店の奥から出てきて注文を聞いてくれた。僕はオーソドックスに、中華そばを注文した。
生活の中で、ふとした瞬間に、影が青く見えることがある。フィルム写真の中のような、北野武の映画の中のような、そんな感覚である。鶴丸はそういう感覚が広がる店だ。
「うまいんですか?」僕が聞くと「うまいよ」と先輩は答えた。先輩の表情は、135年の悠久の歴史を前にうまいまずいの話をするのかこの卑劣漢は!といった含意を持っていた。先輩は古きものを実直に愛していた。
店は柔らかな陽が差し込み、穏やかであった。壁にはべたべたとメニューやらカレンダーやらが張り付いており、中華そばが来るまでぼーっとそれらを眺めていると、うどんそばのねだんの移り変わりなる紙が目に入った。
この間、戦時配給統制の為休業の文字が太字でびしっと書き込まれている。物価というのはこんなに大きく変わってきたのだなあ。135年も店を開いていれば、これはひとつの立派な歴史だ。
ひとのよさそうな店員の老婆が、ゆっくりとした足取りで中華そばを運んできてくれた。まるで商品サンプルであるかのような、清く正しく美しい、保守本流の正統派中華そばが卓の上でゆらゆらと湯気を立ちあげていた。
全くお腹はへっていなかったが、ここまできたら食べるしかない。すーっと湯気を吸い込む。こちとら、酸いも甘いも嚙み分けてきたんだからね!といった感じのなまめかしい匂いがした。
スープは甘めの醤油でやさしい味がした。チャーシューは肉々しく、食べごたえがあった。ねぎの青い香りが鼻に抜ける。素朴な味だけれど、まとまりがあって美味しかった。
「はーこれだよ、これ。うまいねえ」
先輩は、悦びの瞬間はこれであるといった表情でひたすら吐息をこぼしていた。誰もいない店内で、静かに麺を啜りあげた。
「なんだか、大垣の街っていうのは渋い感じなんですね。木造っぽい家が結構残ってますよね」
「そうなんだよ、大垣は古いものが適切な割合で残っていて、きわめて散歩向き街なのだよ。そして、過度に観光地じゃないというのがいいところだよね」
「たしかに、生活の空間ってかんじですよね」
商店街は駅前からずーっと長く続いていた。
「結構、活気がありますよね。わりと経済が強い街なんですか?」
「そうなのよ、人口15万都市なのに地場の百貨店があるくらいだからね。あれあれ」
ヤナゲンが交差点の縁にそびえ立っていた。
立派な地場の百貨店ヤナゲンは、しかし、今年の夏に閉業となってしまうらしかった。先輩は僕に、最後の勇姿をしっかり撮っといてと言った。僕はとりあえず、気合いを入れてシャッターを押した。しかし、カメラのモニターにはなんでもない光景が映っていた。
ある時、横を通り過ぎていった地元の中学生の「ヤナゲン潰れるだって?」「たぶんなー」という会話が耳に入った。1961年創業の地域とともに営業を続けてきた百貨店が今まさに息を引き取ろうとしているのだ。店内に少し入ってみた。人気も少なく、ガランとしてた。長い長い役割を終えたのだなあと思った。街並みはたえず変わっていくものなのである。
土曜、日曜で大垣まつりが開催される。アーケードには幕が垂れてた。祭りの準備をしている人たちがたくさんいて、なんだか、街全体がそわそわしているような感じがした。
「大垣って城があるんですよね?見に行きましょうよ」
「ああ、城はもうすぐそこよ。ここ、郭(くるわ)って書いてあるでしょ。郭ってのは城のまわりによく使われる地名なの」
めちゃくちゃいい雰囲気のビリヤード上を横切っていく。
玉突!!
大垣城はほんとうにすぐ近くにあった。
小ぶりな城が立っていた。
「結構有名な城なんですか?」
「関ヶ原から近いからね。東国と西国がぶつかる時の要所ではあるよね」
「ああ、なるほど。たしかにすぐ向こうが滋賀・京都ですもんね」
「ちなみに、戦争の時の空襲で焼けちゃって、戦後立て直したやつね、これ」
大垣偏愛者の先輩は異常に大垣について詳しかった。
城の周りを歩いていると、なんだか怪しげな、喫茶店があった。
喫茶古城
「これ、めちゃくちゃいい雰囲気ですね。廃墟の喫茶店……しかも、なんといっても店名が古城ですからね。そして。この壁の色。渋いですね……」
「いやあ、きくちくん、この看板の傾きがすばらしいよ!」
いつ頃廃業に至ったのだろう。もう数十年前の話なのかもしれない。むかしは、色々な人が出入りし、色々な会話が吹きこぼれた場所なのだろうなあ。
「岐阜は本当にたくさん喫茶店ありますね。これは徹底的に喫茶店にいく必要があるのではないですか」
「そうだね、明日、喫茶店にはたくさん行こう」
喫茶店の横にはこれまた、近代を生き抜いてきたんだぞ!!という風情の厳かな建築物が立っていた。
手芸教室。
岐阜といえば、繊維である。手芸教室もたくさん見かけた。洋裁が趣味なんて素敵だとは思いませんか?
街をぶらぶらして、気がつけば街は夜。適当な居酒屋に入った。壁が茶色にくすむ年季の入った居酒屋だった。ふたりで機嫌よく日本酒を飲んでいると、近くに座っていた老人たち三人に話かけられた。
「君たち、大垣なにしにきたのよ」北大路欣也風の老人は白髪を揺らしながら僕たちに問いかけた。
「明日、まつりがあるじゃないですか。それを見にきたんです」
僕が答えると、欣也風の老人は「へえ、どこからきたの?」と言って上品な手つきでくっとビールを飲んだ。
「東京からきたんですよ」と先輩が答えた。別卓では、地元の若者がどんちゃん騒ぎを始めていた。まつりの前日なのだ。気もたかぶるのだろうなあと思った。
「そうなのかい。遠いところからきたんだねえ。まあ楽しんでってくれよな」田中邦衛風の老人は焼売!と店員に注文を告げた。
「あ、この人たちのぶんも持ってきてあげて」
優しくなった泉ピン子のような老女が言った。優しそうなピン子は邦衛の妻であるようだった。
「え、いいんですか?すみません、ありがとうございます!!」
なんだかよくわかないけど、地元の老人たちにご飯を奢ってもらえることになった。
焼売は大変に肉厚であった。パンパンに張った皮。うまい、うまい!!とすぐに食べ終わった。焼売が終われば、刺身、漬物、ハムカツ、チャーハン、オムレツ……老人たちは無限に注文を続けていき、机の上は一瞬のうちに満漢全席状態へ突入した。老人たちは、自分たちはほとんど何も食べず、さ、若いんだから食べて食べてと僕たちを煽った。酒は無尽蔵に運び込まれた。
「大垣まつりってのはね、なんのためにあると思う?これはつまりね、酒を飲むためだからね」
北大路風老人は、そんなことを言いながら、スマホでオムレツの写真を撮った。
「おいしいですね!よくこの店はいらっしゃるんですか?」
僕は、日本酒をごくごく飲みながら聞いた。
「そうだね、わりとよく来るね。いろいろこの店は無理聞いてくれるからねえ」
北大路風老人はやはり、スマホで届き続ける料理の写真を撮っていた。ハイカラな爺さんである。
「大垣まつりってのはね、ユネスコの無形文化遺産にもなっていてね、ほら、横に高山のまつりがあるでしょ、あんなのより、全然こっちの方がすごいんだからね。これは、君たち、慧眼を持っていたといえるね。大垣に着目するんだからね」
続けざま、邦衛風老人は滔々と自分たちの街の誇らしさを語り始めた。
「川がたくさん流れているのを見たと思うんだけど、大垣っていうのは、水の街なんですよ。日本酒もおいしいでしょ、君が飲んでるやつも地酒だからね。白雪姫ね」
優しいピン子はひっそりと笑っていた。
そんな感じで2時間ほど老人たちによる歓待は続いた。日本酒は6〜7合は飲んでいるような気がした。店の明かりがぼやんとしはじめ、ああだいぶ酔ってきているんだろうなと思った。昼にそば、夕刻にラーメンを食べていた僕の腹は限界寸前だった。腹部が前代未聞に膨れあがっていた。トイレに入り、先輩にラインを打った。
「これいつ終わるんですかね…?」
トイレから帰ると、先輩がトイレにたった。
「きっと、たぶん、そろそろ終わる」
欣也風老人による「食べて、食べて」攻勢が8回を超えた頃、邦衛風老人の「そろそろお開きで」の一声に、僕たちはついに解放されることになった。老人たちは、いいのいいのと気前よく全額を払ってくれた。
店を出て、10メートルほど歩き、じゃ僕たちはこれでと爽やかに旅の一期の出会いに別れを告げようとした。欣也は言った。
「僕の行きつけの、スナックがあるからね。まあ、そういうのもあるからね」
大垣のほのかな街灯の下で、不敵な赤ら顔を浮かべながら、欣也はあくまで酔ってないのだ、理性的お誘いなのだ的な態度でそう言った。
返答を待たずして、僕たちは、スナックへと連行された。川沿いにある雑居ビルの1階、70〜80代とおもわれる老人だらけであった。ふだんは通り過ぎる、怪しげな紫色のネオンの看板を掲げた店の中。薄暗い店内にカラオケのスクリーンがぼやんと光り、うすく饐えたような油の匂いがした。
老人たちは、目を細め、限りある命を燃やすように歌声を響かせていた。老人しかいないので、店内はなんだかゆっくりとした時間が流れていた。それは、あまりにも正当な、場末のスナックであった。
「スナックだ……ドラマの中に出てくるような、老人の社交場であるところのスナックだ……」
僕はあまりの場違い感に慄いた。
「あ〜そうですよね」
社交性の高い先輩は欣也のセリフに逐次適切に相槌を打っていた。
70代くらいと思われる、いわゆるママと呼称される立場である着物を着込んだ老女が「あら、お若いかたたちね」とマンガのようなセリフを放った。これはスナックだ……まごうことなきスナックだ……と震撼した。
欣也は、人生の黄昏に寄り添うように、ブランデーを傾けた。僕たちは、なんだかよくわからない演歌に耳を傾け、よそよそしく店の端に居座った。右から、欣也、先輩少し曲がって、僕という席順でカウンターに座ったので、欣也は先輩へと話かけ続け、僕は、カラオケライトの交差する、めくるめく演歌スナック空間に一人取り残されていった。
左には、80歳ほどの老人が特に何を話すでもなく、二人で 肩を寄せあうようにしてひっそり焼酎を飲んでいた。ひとびとの生活の場なのだなと思った。僕の老後は如何様にしてあるのだろうか、まだかけらの想像もつかない。僕はおつまみのチョコレートを口の中で溶かした。
「はは〜そうですよね」
先輩はやはり適宜適切に相槌を打ち続けていた。
手持ち無沙汰にかまけて、ウイスキーをくっくっと流し込んでいると、僕の意識は激しく混濁した。激しい眠気が襲ってきて、空間が歪み、意識が飛んだ。気がつくと眠りに落ちていた。すぐだったのか、そこそこの時間がたったのか。日付が変わろうとする頃、散会し僕たちはスナックを抜け出した。
水の街、大垣の夜はたおやかに輝いていた。川の水面にうつった街灯がゆれる。夜風が心地よい季節だ。僕は、老人たちによる飲めや食えや攻勢によって、魂が根本的に疲弊していた。
ホテルはいったいどこだ……とさまよい歩いた。アルコールが効きすぎて、前後不覚状態だった。
ホテルにたどり着けず、古城に戻ってきてしまった。
路地は静まり返っていた。
ホテルはどこだ…
酩酊の極みのなか、ホテルまで10分の道を30分かけて歩いて帰った。大垣の夜はいよいよ静寂を湛えていた。混濁する頭に、祭り前夜、放蕩の限りを尽くす豪放磊落な老人たちがフラッシュバックした。祭りはすごいものなのだな……祭りの前日から疲れたな。でも、とても楽しかったなと思いながら、僕は気絶するようにベッドに倒れ込んだ。