2016年 03月 31日
H28.3.28 箕郷町堅志田城跡

築城年代は定かではない。 阿蘇惟長は大宮司職を弟の惟豊に譲り、自身は肥後国守護の菊地家を継いで菊池武経と称した。しかし、惟長は菊地家の家臣をまとめることができず、隈府城から矢部へ戻り弟に譲っていた大宮司職を取り戻すため、島津氏と結んで惟豊を日向へ追いやり子の惟前を大宮司職に付かせた。
しかし、日向に追われた惟豊は甲斐宗運の力添えで矢部を回復し、天文12年(1543年)には阿蘇惟前の籠った堅志田城をも落とし、惟前と子の惟氏は八代へ追われた。
その後、島津氏が堅志田城を狙って阿蘇氏と対立し幾度か攻防が繰り広げられ、天正13年(1585年)には島津氏が攻め落とした。
説明
城は梅林神社から南西の尾根に築かれている。 尾根の中腹に主郭があり、北東と南東に伸びる尾根、そして南東へ登る尾根にも曲輪や堀切が配置されており、比較的大規模な山城である。
主郭から北東に伸びる尾根は、堀切を隔てて二の丸があり、さらに二重堀切を隔てて小郭が続く。 主郭の南東背後へ続く尾根には堀切が連続しているが、それぞれ端に土橋があり、蛇のようにくねくねとした道になっている。ここから更に堀切と曲輪が連続して山上に続き、最後の堀切を確認した所まで登ると主郭との比高は約50m程に達する。


by k-dantyan
| 2016-03-31 14:57
| 城跡巡り
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