H27.3.4人吉城 : ダンちゃんのデジカメ日記
人気ブログランキング | 話題のタグを見る

H27.3.4人吉城

H27.3.4人吉城

【人吉城の歴史】
◆人吉城は、もともと平氏の代官がいた城であったが、遠江国(静岡県中部)相良の出身で人吉庄の地頭として着任した相良長頼(さがら ながより)が、平頼盛の代官矢瀬氏を滅ぼして建久9年(1198)に城主となり、翌年より修築したと伝えられている。その修築の時、三日月の文様のある石が出土したので、別名を三日月城あるいは繊月城とも言われている。実際には応仁の乱後の文明2年(1470)頃、第12代当主、相良為続(ためつぐ)によって築城されたようである。
◆豊臣秀吉の天下統一後、天正17年(1589)に第20代相良長毎(ながつね)は豊後から石工を招き人吉城の整備を始め、慶長6年(1601)には御本丸・二の丸・堀・櫓御門(中御門と推定)まで完成。慶長12年(1607)から川沿いの石垣を築き始め、寛永16年(1639)に幕府に気がねして石垣工事は中止されたが、このときには近世人吉城はほとんど完成していたと考えられる。尚、相良氏は、長頼を初代にして、35代におよぶ城主の家系である。

◆人吉城は、2度の大火にあっており、文久2年(1862)の「寅助火事」では、城内の建物がほとんど焼失。御館北側に位置する「武者返し」と呼ばれている石垣は、「はね出し」という工法で、防火のために造られた。この工法は、函館の五稜郭や江戸湾台場など日本では数例見られるヨーロッパ式の石垣。明治4年(1871)の廃藩置県によって城内の建物は立木とともに払い下げられ、石垣だけが残る。

▲地下室遺構<人吉城歴史館にて>
全国的に類例のない井戸を備えた特殊な石造の地下遺構。東西が6m、南北が5.2m、深さは3m。地下室には北東角と南西角に石階段の出入口がついている。西側中央部には湧き水を湛える深さ2.3mの井戸があり、その底には日本刀一振が沈められていた。寛永17年(1640)の人吉城絵図にある相良清兵衛屋敷内の二階建て「持仏堂」の位置に相当する。建造当時の姿に石積みを復元している。
城内に人吉が生んだ偉大な音楽家「犬童球渓」の記念碑がある。「旅愁」や「故郷の廃屋」が有名。




by k-dantyan | 2015-03-16 15:02 | 城跡巡り | Comments(0)