ミニクルで行く47都道府県制覇の旅
2022年7月12日に海岸線ルートで日本一周を達成したので、次の旅の目的を日本の真ん中を旅する「日本縦断の旅」に決定。
【旅の概要】
1.北海道を一周してきたばかりなので、最初は海岸線ルートで走行しなかった、海のない8県を旅することで、47度道府県を制覇します。
2.2022年11月から8県全部を旅するのは、時期的に山間部の道路凍結が想定されるので、冬用タイヤに履き替えてまで、慣れない雪道を旅をするのは危険なので、今回は5県に絞って旅することにしました。5県の内訳は、近畿・中部地方の奈良県・滋賀県・岐阜県・長野県・山梨県です。
3.実施日は、道路凍結しないと想定したギリギリの、2022年11月5日~11月20日の16日間で、走行距離は4,100kmで計画。また北アルプスと富士山の冠雪も見たいので、コースに組み込みました。
4.関東地方の3県(埼玉・群馬・栃木)は、次回挑戦する「日本縦断の旅」で制覇する計画です。
4.関東地方の3県(埼玉・群馬・栃木)は、次回挑戦する「日本縦断の旅」で制覇する計画です。
2022/11/12(土)
”かずタビ”のご訪問ありがとうございます。
今回は、「彦根城」から「彦根市内」を旅しました。
【立ち寄りスポット】
1.彦根城楽々園
2.彦根城玄宮園
3.夢京橋キャスルロード
4.四番町スクエア
5.京橋口駐車場
【移動ルート】1.彦根城楽々園
2.彦根城玄宮園
3.夢京橋キャスルロード
4.四番町スクエア
5.京橋口駐車場
1.楽々園
旧彦根藩主の下屋敷で「槻御殿」の名のほかに、黒門外(前)屋敷とも称されましたが、現在は「楽々の間」にちなんで「楽々園」と呼ばれています。
1677年、四代藩主・井伊直興により造営が始まり、1679年に完成。その後数回にわたり増改築が行われ、往時には能舞台を備えた広大な建物でしたが、現在では、書院や地震の間、雷の間、楽々の間等の一部が残るのみです。
楽々園案内板。
下屋敷「槻御殿」。
縁側に飾られた陶器。
上之後間。
2.玄宮園
玄宮園は、江戸時代には「槻之御庭」と呼ばれていました。隣接する楽々園は槻御殿と呼ばれ、延宝5年(1677年)、4代藩主井伊直興により造営が始まり、同7年に完成したと伝えられ、昭和26年には国の名勝に指定されています。
玄宮・楽々園案内図。
美しい庭園が広がっていました。
玄宮園は、広大な池水を中心に、池中の島や入江に架かる9つの橋などにより、変化に富んだ回遊式庭園となっています。池の水は、湧水の豊富な外堀からサイフォンの原理により導水して供給し、小島の岩間から水を落として滝に仕立てています。池には船小屋があり、園内で風流に舟遊びの一興を催すこともありました。また、松原内湖に面した庭園の北側には水門が開き、大洞(おおほら)の弁財天堂や菩提寺の清凉寺・龍潭寺への参詣、あるいは松原のもう1つの下屋敷である御浜御殿への御成りには、そこから御座船で出向いたようです。
美しい庭園をWebサイトから掲載。
彦根城を観光した後は、「夢京橋キャスルロード」と「四番町スクエア」へ移動。
3.夢京橋キャスルロード
彦根城の石垣を抜けてお堀にかかる京橋を渡れば、その先にまっすぐ続く通りがあります。愛称を「夢京橋キャッスルロード」といい、江戸時代の城下町をイメージした通りで、白壁と黒格子、いぶし瓦などの町家風の店が軒を連ね、風情たっぷりです。お土産を買ったり、ランチを食べたりして楽しめます。
夢京橋キャッスルロード店舗マップ。
彦根城前の信号機を直進。
キャッスルロードの案内板がありました。
道路沿いの左右に店舗が並んでいます。
土産店や食事処が沢山ありました。
途中で食べた昼食は、「近江牛カルビー丼」を注文しました。
昼食でトイレに行ったら、広場で「ひこにゃん」に遭遇
見物人が多くて、上手く撮影できません。
「ひこにゃん」が帰った後の観光広場。
「ひこにゃん」人形も多いです。
鮭、たら子、にしん、牛のロール巻き。
近江の「鮒ずし」。
購入しましたが、しょぱくて口に合いませんでした。
4.四番町スクエア
四番町は、明治12年~昭和44年の町名・大字名です。
江戸時代から続く「白壁町・内大工町・寺町」が合併して成立し、明治22年犬上郡彦根町の大字となり、昭和12年に彦根市四番町となりました。昭和44年、住居表示の実施により、現行の中央町・本町一丁目の一部となり、彦根の台所と呼ばれた市場商店街を中心に地元の人々に親しまれてきました。
「四番町スクエア」は、国宝彦根城や夢京橋キャッスルロードに隣接するエリアにあり、大正ロマン漂うまちとして21世紀に新しく生まれ変わろうとしています。
四番町スクエア店舗マップ。
洋風の建物が目立ちます。
四番町スクエアの案内板。
「ひこにゃん」の像もありました。
「ひこにゃん」と遭遇した広場です。
牛丼専門店。
「四番町スクエア」の路地から「夢京橋キャッスルロード」に戻って来ました。
彦根城前の交差まで戻り、観光終了。
旧彦根藩主の下屋敷で「槻御殿」の名のほかに、黒門外(前)屋敷とも称されましたが、現在は「楽々の間」にちなんで「楽々園」と呼ばれています。
1677年、四代藩主・井伊直興により造営が始まり、1679年に完成。その後数回にわたり増改築が行われ、往時には能舞台を備えた広大な建物でしたが、現在では、書院や地震の間、雷の間、楽々の間等の一部が残るのみです。
楽々園案内板。
下屋敷「槻御殿」。
縁側に飾られた陶器。
上之後間。
2.玄宮園
玄宮園は、江戸時代には「槻之御庭」と呼ばれていました。隣接する楽々園は槻御殿と呼ばれ、延宝5年(1677年)、4代藩主井伊直興により造営が始まり、同7年に完成したと伝えられ、昭和26年には国の名勝に指定されています。
玄宮・楽々園案内図。
美しい庭園が広がっていました。
玄宮園は、広大な池水を中心に、池中の島や入江に架かる9つの橋などにより、変化に富んだ回遊式庭園となっています。池の水は、湧水の豊富な外堀からサイフォンの原理により導水して供給し、小島の岩間から水を落として滝に仕立てています。池には船小屋があり、園内で風流に舟遊びの一興を催すこともありました。また、松原内湖に面した庭園の北側には水門が開き、大洞(おおほら)の弁財天堂や菩提寺の清凉寺・龍潭寺への参詣、あるいは松原のもう1つの下屋敷である御浜御殿への御成りには、そこから御座船で出向いたようです。
美しい庭園をWebサイトから掲載。
彦根城を観光した後は、「夢京橋キャスルロード」と「四番町スクエア」へ移動。
3.夢京橋キャスルロード
彦根城の石垣を抜けてお堀にかかる京橋を渡れば、その先にまっすぐ続く通りがあります。愛称を「夢京橋キャッスルロード」といい、江戸時代の城下町をイメージした通りで、白壁と黒格子、いぶし瓦などの町家風の店が軒を連ね、風情たっぷりです。お土産を買ったり、ランチを食べたりして楽しめます。
夢京橋キャッスルロード店舗マップ。
彦根城前の信号機を直進。
キャッスルロードの案内板がありました。
道路沿いの左右に店舗が並んでいます。
土産店や食事処が沢山ありました。
途中で食べた昼食は、「近江牛カルビー丼」を注文しました。
昼食でトイレに行ったら、広場で「ひこにゃん」に遭遇
見物人が多くて、上手く撮影できません。
「ひこにゃん」が帰った後の観光広場。
「ひこにゃん」人形も多いです。
鮭、たら子、にしん、牛のロール巻き。
近江の「鮒ずし」。
購入しましたが、しょぱくて口に合いませんでした。
4.四番町スクエア
四番町は、明治12年~昭和44年の町名・大字名です。
江戸時代から続く「白壁町・内大工町・寺町」が合併して成立し、明治22年犬上郡彦根町の大字となり、昭和12年に彦根市四番町となりました。昭和44年、住居表示の実施により、現行の中央町・本町一丁目の一部となり、彦根の台所と呼ばれた市場商店街を中心に地元の人々に親しまれてきました。
「四番町スクエア」は、国宝彦根城や夢京橋キャッスルロードに隣接するエリアにあり、大正ロマン漂うまちとして21世紀に新しく生まれ変わろうとしています。
四番町スクエア店舗マップ。
洋風の建物が目立ちます。
四番町スクエアの案内板。
「ひこにゃん」の像もありました。
「ひこにゃん」と遭遇した広場です。
牛丼専門店。
「四番町スクエア」の路地から「夢京橋キャッスルロード」に戻って来ました。
彦根城前の交差まで戻り、観光終了。
”かずタビ”を最後まで読んでいただき、ありがとうございました
ブログは月曜と木曜の朝に更新していますので、次回も読んで下さいね
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