原城址(長崎旅行・6)
どこまでも、広く、高く、青く!
加津佐の海から、島原半島を時計回りの反対、南から北へ走ります!
私たちは島原半島から、島原湾をひと跨ぎ。これから「火の国」阿蘇に向かってます。
イルカさんたち、しっかり堪能して車の中はチョッピリ興奮気味!
フェリーはお盆の事もあり、混雑を想定して12時過ぎを予約。移動しながら、携帯は便利です
どんなところを走っているのか!見てください!
海がとってもきれいでしょ!!! あの赤い車でここまで来ました。
![半島めぐり_f0088569_8481415.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201209/03/69/f0088569_8481415.jpg)
私流に紹介しましょうね。
正面の海は島原湾です。向かいの山は熊本県側です(今日はこの海を横切ります)
右(?)は鹿児島 左は佐賀県、海も右は八代湾(不知火海)、左は有明海となります。
この地図をみてください。黄色い部分が長崎県。
(軍艦島は,現在地と書かれた左側、長崎半島の先っちょ、野母崎の沖合の端島です)
![半島めぐり_f0088569_9122382.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201209/03/69/f0088569_9122382.jpg)
あまり美しい、空と海だったので、車を置いてここまで上がってきました。
右を見ても、左を見ても、ここは三方を海に囲まれている小高い丘の上なんです。
振り返ると・・・
![半島めぐり_f0088569_904727.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201209/03/69/f0088569_904727.jpg)
なんの変哲もない、夏草の生すこの小高い丘こそが「原城祉」なんです。
石垣はすべて取り去られています。島原城築城に使われたとのこと。
フェリーまで時間があるので立ち寄ることにしました。
![半島めぐり_f0088569_931131.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201209/03/69/f0088569_931131.jpg)
1937年、天草四郎時貞の「島原の乱」
知ってる、飢きんと重税、重い年貢米に島原の人々は天草の人たちと一緒になり一揆を
88日間で3万8000人もの人が死んだそうです。
![半島めぐり_f0088569_975511.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201209/03/69/f0088569_975511.jpg)
背高のっぽの十字架のそばに天草四郎さんが立っています。
![半島めぐり_f0088569_9142333.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201209/03/69/f0088569_9142333.jpg)
ちょっと、桃太郎さんに似ているので、心が和らいだアタシです。
供えられた花は、真夏の炎天下の元、瑞々しかったです。人々の温かさを感じました。
痛ましき 原の古城に来てみれば ひともと咲けり 白百合の花
言語学者・新村出(にいむらいずる)の歌が添えられていました。
「白百合の花」ではなく、真夏の百日紅に見守られていました!
![半島めぐり_f0088569_9185714.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201209/03/69/f0088569_9185714.jpg)
原城跡は、1938年(昭和13)、国の史跡に指定されました。発掘調査によって、
人骨とともに、鉛の弾丸や十字架、ロザリオの珠などが出土しています。
炎天下の元、数人の人たちが発掘してました。しばらく見てましたが、その暑い事!
![半島めぐり_f0088569_9272797.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201209/03/69/f0088569_9272797.jpg)
ここ原城址に立つと、三方が海なのでどこからも美しい島原湾がみられます。
蒼く、高く、澄み渡って美しく、何事もなかったように拓けます。
天草四郎時貞も見たこの海を、私は感慨深く眺めていました。
ここだけの話!(ナイショヨ~♪)今回の旅行で一番心にのこった原城祉になった私です!
島原半島は17年前、普賢岳の火砕流を見に来たことがあります。
その時「原城祉」は、時間がなくって見残していたのです。息子達はあまり興味がなさそうだった
でもでも、良かったぁ~~^^♪
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雲仙普賢岳火砕記念館
さて
息子たちの旅は、お土産屋さんに立ち寄っての・・・時間が結構多いです。
だいたい、私は旅行に出てもみやげ屋さんに縁の薄い方です。
欲しくないといえばうそになりますが、どこからどこまでの線引きをしても。お土産物の数が^^;;
てなわけで船の時間を見ながら、それでも寄って買い物をしましたよ!
「頼まれモノのおみやげ」これが曲者なんよね。何でもいい・・・・と違って。
なにが、どうして、こうなってと。中々思うようにはいかないのよね^^^;;
「長崎に行くなら」と頼まれた、なにか不明瞭なクッキーを探していましたよ。
フェリー乗り場近くで、この記念館に寄りました。
![半島めぐり_f0088569_1154493.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201209/03/69/f0088569_1154493.jpg)
普賢岳の火砕流では43名の犠牲者が出ました。
私が訪れたのは平成7年の初夏でした。事故から4年経っていました。
事故現場に立って普賢岳の頂上を眺めました。転々と家が埋まっていました。
生々しい光景を見たものです。今はこうしてドームの中でした。
![半島めぐり_f0088569_120571.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201209/03/69/f0088569_120571.jpg)
あの日から21年も経つのですね!今回こうして、月日を経て見させてもらいましたが
足がすくみます。暑い火砕流が一瞬の間に包むのですね。
フェリー乗り場は、お盆休暇(8/16)の沢山の人と車でごった返していました。
![半島めぐり_f0088569_12113159.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201209/03/69/f0088569_12113159.jpg)
フェリーに乗ってから普賢岳を振り返ってみました。真中の山
若草色の部分が、火砕流の流れた後かなぁ~!
「昨日、軍艦島へいってなかったですか?」
甲板で写真を撮っていたら声をかけられました。若い学生風のお兄ちゃん。
赤い服が印象的でした。と言われて楽しく会話が続く。
![半島めぐり_f0088569_121424100.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201209/03/69/f0088569_121424100.jpg)
静岡から新幹線で小倉まで、そこから輪行で持ち込みの自転車に乗り換え
「まぁ、今日はあの雲仙を横切ってフェリー乗り場まできたの!」と話が弾む。
今日は熊本にとまって、明日は静岡へ帰る、短いお盆休暇でねって^^♪
自転車で、全国を踏破してしている元気で若い学生さん。天草四郎がチョッピリ重なった私!
1時間の船旅で、島原湾を横切ると、熊本上陸でした。時間短縮で便利だなぁ~!
ユニフォーム