昨日はメーデー、の巻 [今日の暦]
昨日の雨が上がり、今朝はよく晴れましたが、季節が後戻りしたような肌寒さでした。
朝散歩で見る麦畑は心なしか黄金色が増したようです。
麦畑の向こうに連なる双子の山は麦飯山(むぎいいやま)、とだじゃれを一つ。
このねたは、4月26日の散歩で思いつきました。その時の写真はこちら。
毎年のことですが、こんな麦の写真を何枚も撮ってしまいます。
昨日はメーデーでした。
あいにく朝から冷たい雨でした。
メーデー関連の記事を書きかけていたのでしたが、中途のまま日が変わりました。会場の近くには行っていたのですが、別の用事があって、せっかくのメーデーには参加できないままでした。メーデー帰りの方には何人かお目にかかり、様子はうかがったのでしたが。
そんなことも記事には書けたはずなのですが、取り急ぎ差し迫った仕事もあり、投稿は諦めました。その「差し迫った仕事」を、ほとんど今日一日かけてほぼ終わらせましたので、準備しかけていた投稿を、急遽一日遅れでUPします。
メーデーについては、以前こんな記事を書いています。
「すばらしい野天の五月のお祭りだ」、の巻:ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp) 2016-05-01
今日は5月1日 メーデーの日です。
1886年5月1日に、合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟、AFL)に結集するアメリカの労働者が、8時間労働制を要求してストライキに立ち上がったことがメーデーの始まりといわれます。
10数時間もの長時間労働を強いられていた労働者が、「仕事に8時間を、休息に8時間を、おれたちがやりたいことに8時間を!」(「8時間労働の歌」)と叫び、シカゴ、ニューヨーク、ボストンなど万人以上の労働者が、ストライキに立ち上がり、その結果、20万人あまりの労働者が8時間労働制をかちとったのでしました。
しかし、資本家側は8時間労働制が広がることを警戒し、権力をつかって反撃を強めます。運動の中心地だったシカゴでは、2日後の5月3日に機械労働者4人が警察官に射殺され、翌4日にはヘイマーケット広場で労働者の集会が襲撃を受け、多数の犠牲者が出るなどの事件が続いたのをきっかけに、資本家側は8時間労働の約束をほごにします。
労働者側は、これにひるまず戦線を立て直し、ふたたびゼネストでたたかうことを決め、世界に共同行動を呼びかけました。これをうけて、「第2インターナショナル」は89年7月の結成大会で、1890年5月1日をアメリカの労働者と連帯し、世界各国で一斉に集会やデモをすることを決め、アメリカ、ヨーロッパ、中東欧、オーストラリア、ラテンアメリカなど世界各地で数十万の労働者が集会とデモをくりひろげました。これ以降、毎年5月1日に世界各国でメーデーが開催されるようになった。この日を「法律で8時間労働日を決めるよう要求する国際デモンストレーションの日とする」と決定しました。これが第一回メーデーでした。
(中略)メーデーとなると、この詩を思い出します。
明日はメーデー
槇村浩
古ぼけたぜんまいがぜいぜいと音を立てて軋(きし)る
もう十二時になるのに
あなたはまだ帰ってこない
くすぶった電球の下で
私はもう一度紙きれを拡げてみる
―――八時までにはかならず帰る
待っていてください T
前の道路を行くヘッドライトが
急に大きく
ぽっかりと障子にうつる
私はぎっくりして
寒い下着の襟をかき合わす
あなたはもう帰ってこない
あなたはセンイのオルグ
朝の四時
氷柱(つらら)を踏んで私たちが工場へ急ぐ時
あなたはニコニコ笑いながら
電柱のかげからビラを渡してくれた
――賃銀三割値上げしろ!
――労働時間を七時間に!
――鬼のような見番制を廃止しろ!
――外出、外泊、通信の自由をよこせ!
――全協日本センイ××(1)分会の確立へ!
ゴジックで大きく書かれたその文句は
焼けつくように私の眼頭(めがしら)にしみ込んだ
毎日毎日
あなたは電柱のかげに立っていた
氷雨(ひさめ)の降る朝でも
破けた傘にチビけた駒下駄(こまげた)をはいて
あなたは根気強くビラを渡してくれた
「ありがとうよ」
そういってビラを取る私たちの胸に
あなたの姿はなんというなつかしい印象を残したか
字なみの揃ったインクのかおりは
苦しい生活のなかで
どんなにか私たちを力づけたことか
そして私たちの分会ができた!
乾燥場の奥で私たちは最初の会合を持った
私たちのただ一つの組合である
全協!
その署名を見るたびに
私たちの胸には何かしら熱いものがこみ上げてきた
私たちはこの二字のなかに
全国の同じ工場のなかで
つきのめされ、疲れ切って
資本への憎しみにかたまっているおおぜいの兄妹を見た
旗をかかげ
腕を組んで
最後の日までのたゝかいに突き進む
何万の同志らの叫びを聞いた
私たちは集まって工新の発行を協議した
名前は「セリプレン」ときまった
「セリプレン」は二度めには百部出た
その時から
監督の顔色が険(けわ)しくなり
スパイが工場のなかをうろつき始めた
毎日
不眠で眼をまっかにはらした見番が
何人かの名前を読み上げた
そして
フミちゃんも
しづちゃんも
呼び出されたきり帰ってこなかった
「赤い」というのを口実にしてそろ/\首切りも始まったし
おまけに一時間の居残り労働
積立金はビタ一文くれないで
「お国のために」しがない給料から天引きせねばならんという
「戦地にいる兵士のことを思って」とぬかしやがった社長のハゲチャビンめ
だれが働き手を戦場に連れ出したんだ
だれがもうけるために戦争を始めたんだ
アジビラは[#「アジビラは」は底本では「アシビラは」]毎日のように出たし
分会員の数は三倍にふえた
そこへ二割賃下げの発表だ
工場は急にどよめき出した
レンラクにいそいそとアジトへきた私なのに
立ち上がる日の近づいたという吉報をもって
あなたをよろこばせようとした私なのに
あなたはもう帰ってこない
どの街角であなたはあげられたのか
そして今夜
吹きっさらしの部屋のなかで
どんな拷問にあなたは耐えているのか
手紙を焼き
ガリ版をフロシキに包んで私は外へ出る
この寒空に
張っているパイ公もいないらしい
なつかしいアジトよ さようなら
あなたは帰ってこないが
あなたは後にたくさんの若芽を残した
さあ今夜はビラまき
夜が明けたら
すばらしい野天の五月のお祭りだ
フミちゃんやしづちゃんや
そしてあなたへの復讐に
私たちの解放のために
みんな!
がっちり腕を組んでストにはいろう
――明日はメーデーだ―一九三二・三・一七―
(1)片倉
底本:「槇村浩詩集」平和資料館・草の家、飛鳥出版室
2003(平成15)年3月15日
入力:坂本真一
校正:雪森
2014年9月11日作成
青空文庫作成ファイル:(中略)
今日のメーデー。
雲一つない五月晴れに恵まれて、文字通り「すばらしい野天の五月のお祭り」になりました。
また、比較的最近の記事では、こんなことも書きました。
片付けあるある(2) 「二つのメーデー」、の巻:ナードサークの四季 vol.2:SSブログ (ss-blog.jp) 2022-01-29
前回に続けて、職場新聞縮刷版の冊子をひもといて、当時の時代感を彷彿とさせる記事を、もう少しご紹介しておきます。
先に引用した号を少しさかのぼって、1989年4月21日付 NO.437には、こんな囲み記事があります(編集担当の一人だった私が執筆したような覚えがあります)。
今週の新聞から
◎竹下内閣支持率ついに3.9%に。(共同通信社調べ)。
消費税の税率を下回るのも時間の問題?◎ 高石 全文部次官起訴。汚れた文部官僚大量更迭。「上司は更迭、文書も押収されて仕事ができない」とは下級役人の嘆き。いっそ、いらぬ仕事はよしにして、学校現場にお任せになっては?
◎米下院議長ライト氏 、1900万円の献金で倫理委員会全員一致「規則違反」認定。竹下さんのリクルート献金はその10倍なのに、異常なのはどっちの国?
◎中央メーデー会場を巡る怪。東京都、遅れて申し込んだ「連合」に代々木公園の使用許可。従来の先着順のルールを無視した口実は、抽選でもじゃんけんでもなく”実績!”。
だが、これまで「連合」が代々木公園を使った実績は一度もない。片や我が統一労組懇・「軍事費を削って、くらしと福祉・教育の充実を」国民大運動実行委員会は、何度もそこで集会を成功させた実績があるにも関わらず不許可とは--- ---。その上、メーデーの運動会化を主張する「連合」は、既に別途サッカー場を借りてある。メーデーを分裂させた「連合」の半端じゃない横車に「待ってました」とエールを送る自民党都政の合作劇。だが。これで正体がよくわかった。
続く4月28日付 NO.439では 「変質許さず第60回メーデーの成功を」という 大見出し のもと こんな記事があります。
俺たちは世直しをするつもりだ。骨折り損のくたびれ儲けにゃもうあきた。食いつなぐのにやっとこさ、考える時間なんて1時間もない。俺たちは陽の光を浴びたいのさ。俺たちは花の香りを嗅ぎたいのさ。 神様だってきっとそうしたいとおっしゃっている 。(中略)仕事に8時間を、休息に8時間を、後の8時間は俺たちの自由に。
1886年の5月、 シカゴをはじめとするアメリカ各地の労働者はこの「8時間労働の歌」を口ずさみながらゼネストに決起。十数時間という過酷な長時間労働の解消を求めるこのたたかいには、厳しい弾圧が加えられましたが、たたかいは米全土へ全世界へと広がりました。これがメーデーの起源。
戦前の絶対主義天皇陛下の日本でも、銃剣と死刑法による弾圧に抗して「労働者の生活・権利を守れ」の声は五月の空にこだましました。戦後においても、生活向上と権利の擁護、その時々の国民的課題を掲げて、労働者・国民の要求実現に大きな役割を果たしてきたのが、メーデーの歴史です。ところが、今この伝統を断ち切り、「メーデー近代化」と称してその変質をはかる動きが全国で強まっています。 岡山県でも従来のメーデー実行委員会加盟組織にもはからず、総評・同盟・「連合」の3者による実行委員会を結成。「バザール・スポーツ・歌謡ショー・カラオケ大会」などを中心とするお祭りメーデー化を策しています。
これに対し、高教組、医労連、国労などが呼びかけて「第60回岡山県中央メーデー実行委員会」を結成。メーデーの歴史と伝統を守る「県中央メーデー」を実施します。
高教組は全ての分会が 分会旗を持ってこれに参加するよう呼びかけています。
さらに5月2日付NO.440 では「違いくっきり第60回メーデー」の見出しで次の記事が載っています。
「連合」 による変身と分裂の動きの中で取り組まれた第60回メーデーは 、労働者・国民の利益の守り手が誰であるかをくっきりと 浮き彫り にしました
東京での中央メーデーは、「連合」と当局による会場妨害に抗して、急遽設定された江東区「辰巳の森公園」に、統一労組懇組合員を中心に23万人が結集。たたかうメーデーの伝統を受け継ぐ労働者の 気概とエネルギーを天下に示しました。また「連合」路線反対を掲げる都労連も、日比谷公園で3万人の独自集会を展開し、「連合」によるメーデー変質策動に批判の意思を表明。
一方「連合」・総評・同盟の「近代化」メーデーは代々木公園・サッカー場の両会場を合わせても「19万人」との主催者発表に失笑が漏れるほど閑散として白けムード。ゼッケン・プラカードならぬ自社のコマーシャルポスターを掲げて参加する同盟系労組の姿も見られ 、労資一体の面目躍如。岡山県でも高教組・国労などの呼びかけによる「第60回県中央メーデー」に2200人が参加。雨の中、旭川河原での集会に続いて、約2 km の市内デモへ。思い思いのゼッケン・プラカード・横断幕による示威行動に市民の共感が寄せられていました。
そしてこの職場新聞記事には、「朝日新聞」ローカル版5月2日付記事の切り抜きが 添えられています。 興味深いので 引用します。
二つのメーデープラカード比べ
「連合岡山」と「岡山統一労組懇」がそれぞれ開いた集会は、二つの労働団体の路線の違いがくっきり現れた。 連合の組合員等が持っていたのは自分たちの組合旗がほとんどで、政治的要求を掲げたプラカード類は20本程しかなかった。統一労組懇系の組合員は、政治要求・組合要求を書き込んだゼッケンを着け、プラカードは 百本を超えた。 横断幕なども多彩で、内容も消費税、リクルート疑惑、農政と、今日の政治の関心事や要求が並んだ。
連合系と統一労組懇係がプラカード などに掲げた批判や要求を比べると、政治的色彩を弱めようとした姿勢と、強めようとした姿勢が浮かび上がってくる消費税粉砕機械加工掃除など消費税批判
連合4
統一労組懇28
「汚染議員を許すな」などリクルート疑惑追及
連合1
統一労組懇13
「竹下内閣糾弾」など内閣や与党に対する批判
連合0
統一労組懇 8
「ご飯を食べよう」など農政に関する要求
連合2
統一労組懇2
「年金改悪反対」など福祉に関する批判や要求
連合0
統一労組懇13
「賃金あげよ」など 労働条件に関する要求
連合1
統一労組懇3
「祝メーデー60回」などメーデー開催を祝う
連合14
統一労組懇5
「国鉄労組の雇用を確保せよ」など JR に関する批判や要求
連合0
統一労組懇20
「核はいらない」など反戦平和の主張
連合0
統一労組懇2
野党批判や婦人問題などその他の 批判 や要求
連合0
統一労組懇16〔中略)
「統一労組懇」は「トウイツロウソコン」と読み「統一戦線促進労働組合懇談会」の略です。簡潔な説明や紹介がないだろうかと、NET上の用語辞書や毎度のウィキペディアなどで調べてみましたが、どうも不正確でわかりにくいので、自分なりの説明を加えようかとも思いましたが手に余りますので、「一次史料」をお示しするのが最上と思い、統一労組懇自身の表明を引用して紹介することにしました。
統一労組懇「労働戦線の真の統一のために」統一労組懇「真の労働者の利益をまもるナショナルセンターのあり方について全国的討論を」 | 自治労連Webアーカイブ (jichiroren.jp)
(中略)
ところで、連合設立から30年余、初めての女性会長ともてはやされている芳野友子サン、先の衆議院選挙の投票日前にも選挙後にも一貫して、「立憲と共産の共闘あり得ない」などとする特異な主張を繰り返し、これまで大切に育ててきた市民と野党の共闘に、外野から冷水を浴びせています。
今年の連合メーデーでは、昨年に引き続き岸田首相が来賓として登壇、お互いに接近を誇示するような匂いが不快に思えます。
下の表はどこからコピーしたものでしたっけ?ごめんなさい、忘れました。
連合岡山のメーデー下記の通り実施されたようです。MAYDAYなのに4月に実施するのはなぜ?などと突っ込むのは野暮としても、徹頭徹尾「フェスタ」なのはがっかりです。確かに労働者のお祭りではありますが・・・
一方、私が参加したかった県労会議のメーデーはこんな様子だったそうです。IさんがフェイスブックにUPされているお写真を無断借用させていただきます。
今日はこれにて。
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