驚きの「緊急連絡」、の巻 [日録]
高知在住のN先輩から、「緊急連絡」と題するメールを頂戴しました。
学生時代以来の知己の面々に、高知でのニュースを知らせてくださったのです。
それは、以下の報道にあるとおりの驚きの内容でした。
県知事選に元県議会議員 米田氏立候補表明(10月24日NHKNEWSWEB)
任期満了に伴って来月行われる高知県知事選挙に元県議会議員の米田稔氏が共産党からの推薦を受けて、無所属で立候補することを表明しました。
米田氏は、24日、高知市で記者会見し、「高知から政治を変えようといううねりを巻き起こすのかが問われる大事な選挙になっている。格差と貧困、生活苦はいっそう深刻さを強めており、手厚いケアが求められている。そのために、4つのシステムチェンジで高知の力を引き出す地域循環型社会を作り、住民参加型の課題解決先進県、高知へ挑戦する」と述べ、来月の高知県知事選挙に共産党の推薦を受けて無所属で立候補することを表明しました。
米田氏は兵庫県出身の71歳。
高知市の市議会議員を経て、平成10年に行われた県議会議員の補欠選挙で初当選し、ことし4月まで務めていました。現在は、共産党高知県委員などを務めています。
県知事選挙には、このほか、いずれも無所属で自民党と公明党が推薦し2期目を目指す現職の浜田省司知事と、ともに新人で飲食店経営の中島康治氏と元リサイクル業の西内秀雄氏がすでに立候補を表明しています。
県知事選挙は、来月9日に告示、26日に投票が行われ即日開票されます。
【高知県知事選挙】元共産党県議・米田稔さんが無所属での出馬を表明(高知さんさんテレビ)
11月9日に告示される県知事)選挙への出馬を表明したのは元共産党県議で現在、党の県委員を務める米田稔氏(71)です。
(米田稔氏)
「浜田県政にこのまま対峙することなく、選挙をやらないという選択はないので、私でよければということで、決意をさせていただいた」米田氏は今年4月まで7期25年、共産党の県議を務めていました。共産党・高知憲法アクションなどの推薦を受け、広く支持を集めるため無所属で出馬する意向です。
米田氏は浜田県政について「国の言いなり」と批判し、県民の暮らしの質を向上させつつ地域で循環する経済社会を作っていきたいと訴えています。
県知事選は11月9日告示、26日に投開票が行われます。これまでに現職の浜田知事、西内秀雄さん、中島康治さんが出馬を表明しているほか、香美市の男性も出馬の意向を示しています。
学生時代の同期生である米田稔君については、当ブログでも度々ご紹介したことがあります。最初の登場はこの記事でしょうか。
夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて(2013-08-27)
「友が皆 我より偉く 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻と親しむ」という啄木の歌が、ことあるたびに念頭に浮かびます。でもそこに、自虐や自嘲の感情が入り込む余地はなく、ただ、感嘆の想いが募るばかりです。この日も、この歌が脳裡を幾たびも駆け巡りました。
この日、高知に一泊で出かけたわけは、学生時代のサークル(教育系の研究サークル)の同窓会に参加するためでした。
1950年代から1970年代まで、50名参加の大盛況で、旧交を温めたり、大先輩の経験談に耳を傾けたり、懐かしい、エネルギー充填のひとときは、瞬く間に過ぎました。(中略)
閉会挨拶をしているのは、高知県議米田稔氏(公人なので公表しておきましょう)。彼も同期で、教育学部中学校課程の出身。学生時代、アパートに泊めてめてもらったり、箱買いのインスタントラーメン(実家からの仕送りらしい)を食べさせてくれたりしました。「ラーメン食う?」という、独特の声音が今も耳に残っています。
英語教師への道を断念して、社会運動に身を投じ、市会議員を経て県会議員を五期勤めています。
ちなみに、7月の参議院選挙で東京選挙区から立候補して見事当選した吉良よし子さんのお父さんが、米田氏の同僚県議の吉良富彦氏。お母さんも、学生時代の年下の友人です。何も私の手柄ではないですが、テレビや新聞で注目を浴びる姿は「キラキラ」まぶしくて、我がことのように誇らしい気がします。
最近ではこの記事参照。
とほほの旅を今日も行く、の巻(2023-05-15)
コロナのために間隔の開いていた,高知での恒例の同窓会が、今年は開催されることになり、心ウキウキと参加してきました。
第1回目はこの記事に書きました。夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて
(中略)
10年前のことでした。
2回目はこちらの記事。夏の終わりの土佐の旅、の巻(その1)(2016-08-29)
実は、昨日、一昨日の土日に、高知まで一泊旅行をしてきました。
その目的は、三年前にブログを始めたばかりの書いたこの記事(◆夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて)から3年を経て、また開かれる同窓会に参加すること。(中略)
3年前の記事でもご紹介しましたが、大学同期の米田稔君(高知県議会議員)は、この会の実行委員の一人で、今回も閉会挨拶をしてくれました。
上の記事は5月15日付ですが、この日付にちなんだ記事で、米田稔君のことを書きました。
またもやフライング,の巻(2022-05-15)
今日は,沖縄が本土に復帰してから50年の記念日。テレビ、ラジオ、新聞などで、色々な特集が組まれています。
ああ、もう50年か!の感慨もありますし、50年で何が変わり、何が変わらなかったか?!を思うと複雑な心境に囚われます。
過去記事でも、沖縄について色々書いてみました。その中でも、1972年5月15日にまつわる記憶を、この記事に書いたことがありました。
強行採決にまつわる記憶のエトセトラ、の巻(2015-09-18)
ふと思い出したのは、初めてデモに参加した頃の記憶です。
大学入学したての頃、70年安保、沖縄返還、ベトナム戦争反対などを主要テーマに、デモや集会を含む学生の運動が連日のように取り組まれていました。全くの初体験の私も、そのデモの後尾につながって、おそるおそる歩きました。
当時、アメリカ占領下にあった沖縄の日本返還にあたり、「核も基地もない、緑の平和な沖縄を返せ」という願いは、切実で道理のあるものでした。ここでボタンの掛け違いをしていなかったらならば、今日の「沖縄問題」の過半はとっくに解消できていたはずと、今も改めて思います。
しかし、当時の佐藤内閣は、この願いに反し、アメリカ言いなりの、核付き、基地付きでの返還協定を結び、1971年11月に強行採決で成立させました。
因みに、佐藤栄作氏はこの「沖縄返還協定」のお手柄と、彼の唱えた「非核三原則」の政策などが評価されて、1974年にはノーベル平和賞を受賞します。これについて、ウィキペディアに興味深い記事が掲載されていますので引用させて戴きます。平和賞を選考するノルウェーのノーベル平和賞委員会は、2001年に刊行した記念誌『ノーベル賞 平和への100年』の中で、「佐藤氏はベトナム戦争で、米政策を全面的に支持し、日本は米軍の補給基地として重要な役割を果たした。後に公開された米公文 書によると、佐藤氏は日本の非核政策をナンセンスだと言っていた」と記し、受賞理由と実際の政治姿勢とのギャップを指摘した。この記念誌はノルウェーの歴史家3名による共同執筆で、同年8月の出版記念会見の際にその一人のオイビン・ステネルセンは「佐藤氏を選んだことはノーベル賞委員会が犯した最大の誤り」と見解を述べて当時の選考を強く批判し、「佐藤氏は原則的に核武装に反対でなかった」と語ったという。
(中略)
時々思い出す情景があります。
1972年5月15日、沖縄返還協定が発効する日、私たちはデモを終えて高知城のたもとの広場に集まっていました。
おとなしく真面目な、同期の友人Y君が、マイクに向かい、発言しました「屈辱のこの日を忘れない。今日は自分の誕生日です。」Y君とは、2年前のこの記事「夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて」 でも紹介した米田稔君です。周囲の誰もが適職と見て疑わなかった教職の道に進まず、現在、高知県議(日本共産党)6期目を頑張っています。個人名と誕生日などという個人情報を出すことは、いったん躊躇しましたが、公人でもあり、ネット上にも公開されている事実ですので、許されるかな?
(中略)
一つだけ付け加えをしておきましょう。米田君は、県議7期を勤め上げ、次の改選で勇退されるそうです。お疲れ様でした。
「核も基地もない緑の平和な沖縄」を求める沖縄県民、及び本土の人々の願いに反して、「本土並み返還」の口約束は反故にされ続けて50年。「辺野古」問題の推移は、それを象徴していますし、元首相が「核共有」まで高言する事態には、危惧された「本土の沖縄化」ここに極まれりと嘆かずにはいられません。
今年4月の県議選挙で後継にバトンを継ぎ、ほっと一息ついておられることだろうと察し、「お疲れ様でした」の言葉を心に繰り返したことでした。前にも書きましたが、細君は、実は私とは同郷の幼なじみで、幼稚園から小・中・高・大学とずっと同じ学校という、希有な友人です。その心情を慮れば、ようやく安堵のひとときを得たばかりでしょうに、またまた気の休まらない日々に突入とは、まことに心労、察して余りあります。が、立ったからには、人々の願いに応えて、知事の仕事をやり遂げて欲しい、と強く願っています。
付録に、機材ネタを少々。
ネットオークションで、ある部品を手に入れました。
BORG M57/60延長筒S【7602】
メーカーHPにはこうあります。
M57サイズのまま12mm延長することが出来ます。内径53mmと広いのでM57ヘリコイド【7857】やミニミニドロチューブ【7205】との併用も可能です。重量14gと非常に軽量なのでバランスを崩すことなく延長することが出来ます。内側の内側の遮光線及び艶消しも万全です。
<延長筒の効用>
野鳥や昆虫の撮影時にBORGに延長筒を装着すると、より近距離にピントが合うようになります。近すぎて諦めていた超近距離の撮影が可能になります。基本的には、延長筒を足せば足すほどいくらでも寄れるようになりますが、足せば足すほど遠距離が犠牲になるのと、前後のバランスが崩れますので、限界はあります。
pentaxK1Ⅱ+AFBORG 60Edに継ぎ足してみました。
わずか20mmの延長で、かなり近距離までピントが合わせられます。
自然環境体験公園の紅葉。
フルサイズカメラでは、周辺か少しケラれます。
鳥や虫の写真は、さすがに距離があると豆粒大になりますので、トリミングして掲載します。
セグロセキレイ。
カイツブリ。
ギンヤンマ。
赤とんぼ。
今日はこれにて。
>幼稚園から小・中・高・大学とずっと同じ学校
これは縁の深い方ですね。
高知県は、かつて山原健二郎さんが、小選挙区に当選して比例区にも当選者をもたらしたことを思い出します。
山原さんは基礎票3~4万のところ、個人人気票も3万ぐらあって当選したといわれていますが、米田さんにもぜひ頑張っていただきたいですね。
by いっぷく (2023-10-29 01:36)
いっぷく様
山原健二郎さんは、気さくでおごるところのない、磊落かつ高潔な人柄で、誰からも愛され信頼されました。実際に接してもそう感じましたし、「政敵」からも悪く言われるのを聞いたことはありません。政治家としてのスケールを比較することはためらわれますが、誠実・謙虚・義侠心において、また、誰からも愛され頼られるという点において、米田君も人後に落ちるものではありません。頑張ってほしいものです。
by kazg (2023-10-29 08:02)