釜石は鉱山の街だった

super-anglon21mmF3.4
遠野から釜石に戻る旧道は急坂と急カーブの連続だった。
急カーブの難所を超えたと思った瞬間に、異様な光景が視界に入ってきた。
これは何の跡だろうか。
この真下には、工場の跡地があった。
そうか、釜石は鉱山の街、鉄鋼の街だったんだよな。
by kawamutsukun
| 2024-04-15 18:10
| Leica
|
Trackback
|
Comments(2)
kawamutsuさん
貴兄の生涯転勤回数はどのくらいまでなりそうですか?
老生のいた会社には一応拒否権があり、札幌と台湾を断ったことがありました。
断ると、サラリ-マン確実にバッテンはつきますね。
だから、地域スペシャリストとして扱われましたよ。
理由は寒いのと水が合いそうもないでした。
富士鉄釜石は野球もラグビ-も強かったですね。
貴兄の生涯転勤回数はどのくらいまでなりそうですか?
老生のいた会社には一応拒否権があり、札幌と台湾を断ったことがありました。
断ると、サラリ-マン確実にバッテンはつきますね。
だから、地域スペシャリストとして扱われましたよ。
理由は寒いのと水が合いそうもないでした。
富士鉄釜石は野球もラグビ-も強かったですね。
0
*gettengさま
コメントありがとうございます。
転勤回数は既に20回を超えております。部署間の異動を含めれば30回に届きそうな感じです。
転勤は断れませんが、転勤を限定的にする制度はあります。
金沢は気に入っていましたので、もう少しの間居たかったのですが。
まぁ、全国どこにでも行く可能性があるのも悪くないと思っているところではあります。
今まで西日本に縁がなかったので、定年までには赴任してみたいものです。
コメントありがとうございます。
転勤回数は既に20回を超えております。部署間の異動を含めれば30回に届きそうな感じです。
転勤は断れませんが、転勤を限定的にする制度はあります。
金沢は気に入っていましたので、もう少しの間居たかったのですが。
まぁ、全国どこにでも行く可能性があるのも悪くないと思っているところではあります。
今まで西日本に縁がなかったので、定年までには赴任してみたいものです。