先日、姫路科学館を巡回していたイトカワ&リュウグウの実物試料サンプル展示を見てきました。やっと…ずっと機会を逸し続けて、ようやく今回現物を拝ませて頂きました。
小惑星探査機・初代はやぶさが好きで、2号機が既に帰還して次の任務に向かっている時代ですが、いまだに初代はやぶさ追想の癖があります。今ごろ?な話ではあるのですが、展示を見て回想すること、関係のあることないこと枝葉含めて多くありました。 (以降、他愛もない話が続きますがご容赦下さい。)
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はやぶさが鹿児島内之浦の観測所から宇宙へ飛び立った年、私は遠く外国にいました。
日本の小さな探査機の情報などまったく知らず流れ来ず、宇宙のニュースにアクセスすることもありませんでした。
思い出すのはその滞在国での当時のインターネット環境。(こんな話、いま通じるのでしょうか。分かる人には分かる…?) だいぶ遅れていて常時接続はまだ無し、壁にモジュラージャックもない古いアパートで、黒い電話機(指で回してダイヤルするあれです)に直接ケーブルを差し込んで、アナログ回線でつながなければなりません。駅のキオスクでインターネット◯◯時間分というプリペイドカードを買い、小銭でスクラッチすると現れる暗証番号をPCに入力設定してダイヤルアップ接続。ここでプッシュ式フォンならピポパパ…と音がして進行するのでしょうが、そこは文字通りのダイヤル式。黒い電話機がジリリンジリリン、と入力先の電話番号の桁数分ベルを鳴らすのです。接続中は電話が話し中になるので、うちへ電話をかけてきた大家さんから「またインターネットしてたろ?いつも話し中だな?」とよくからかわれていました。
プリペイドカードはうっかり繋ぎすぎるとすぐ時間数を使い切ってしまうため、検索・調べ物は仕方がないとしても、メール送信は接続時間を短くセーブするために一度切って、テキスト入力し終わったら本文にコピペして、また繋いでジリリンジリリン送信。よくあんな面倒くさいことをせっせとやれていたものです。(しかし知らないうちにストレスにもなっていたようで、奥歯を食いしばっていたでしょ?と帰国してから歯科医に言われました。)
暦の上ではとっくに21世紀でしたが、中古で譲ってもらったWindows98ノートPCを大事になだめすかして使っていた当時としては、それでも繋げられるだけありがたい。あとは自分の生活と食べることで精一杯でした。
はやぶさの映画で、吉岡秀隆さん演じるイオンエンジン担当の堀内さんが終盤の要所になってたしかフロッピーディスクにデータを入れて運ぶシーンがあったと思うのですが、開発・打ち上げから帰還までに時代がいかに流れ変化したかを表す一コマだったと思い出します。
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その後日本に帰ってからも目前のことに忙しく追い立てられていたある日。
ニュースで眩しい流星のごとく燃えて消えるはやぶさの映像を見ました。オーストラリアの砂漠にイトカワで採取した試料カプセルを放出しながら。
流星がつぎつぎに、細い閃光が分かれ散るように輝いて消えました。
……なにあれ…!?
初めて見たそれが、大気圏に突入したはやぶさの最期の姿でした。
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はやぶさのリアタイ経験をし損なった私は、その後あと追いで、✕✕年の◯月◯日頃、はやぶさが何処にいてどうしていたのか、というのを知ってゆくことになります。
はやぶさが辿った過去7年分の記録、追えば追うほど、同日あのとき私は…にも向き合う。
よく卒業アルバムの巻末に同時代の社会情勢が付録で載せてあったりしますが、皆様も社会的な出来事・事件に居あわせたとき、そういう振り返り方をすることがあるのではと思います。
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今日のタイトル、一円玉2枚分。
これは、はやぶさに搭載されたイオンエンジンの推進力です。一円玉が地球の重力に引っ張られる力が10ミリニュートン。はやぶさのイオンエンジンの力は合わせて24ミリニュートン、つまりわずか一円玉2枚程度をやっと浮かせるほどの力。宇宙空間ではその積み重ねを貯金して加速します。
非常に小さな力しかありませんが、空気抵抗がない宇宙では、つねに噴射をつづけ、毎日少しずつ加速していくと、1年後、2年後にはどんどん速いスピードまで到達するそうです。
ロケットというと化学エンジンの力強い噴射のイメージばかりが先行していたのですが、最初は勢いよく目的地までの軌道に入ることはできても、あっというまに燃料が尽きてしまう。飛び立ったはやぶさは電気ロケット、マイクロ波放電式イオンエンジンで、最初の1年はじっくり地球を追う。この間は太陽の近くにいることで、開いた青いパネルで太陽光電力を蓄積する。そして綿密な軌道計算のもと地球に再び最接近。地球の重力を使ってさらに加速をかける。これが地球スイングバイですが、この過程にも無性に感動していました。
どこかわが身にはね返ってきていたところもあったと思う。
外国に行って、どうにか死なずに (ちょっと危険なところでした) 戻れたわけなのですが、独力で遠くに飛んでいったのでも、一人きりで力をぶっ放して生きてたわけでも結局のところなかった。日本ではひっぱられて身動きのとりづらい心の重力を無意識にあちこちで感じていたあの頃、重たさに反発していたようでいて、結果的にはその重力を使って、この身を放り投げることができたようなものだ。
たとえ一円玉二つがやっと動かせるほどの弱い力であったとしても、長時間運転し続けることができる初代はやぶさ。目標を持ち、軌道修正を細かく何度も入れながら、スイングバイで加速を得れば「1足す1を2以上にできる」と…。
もう星になって散ったはやぶさの動力について解説を聞いた時、私事ながら当時は、引越に次ぐ引越、ガタが来たのか検診にも引っかかって入院が3回、抱くわが子はまだやっと立ち始めたところ。先がまるで見えず仕事・勉強もプライベートも中断し、どこかエネルギー滅尽していた私には、「一円玉2枚分」という言葉がことのほか沁みたのでした。
はやぶさ1号機にはここからいろんな苦難が待っていたというのに、まだ出発の最初期段階のエピソードから私はこんな具合でした。
〈続く〉
画像:JAXA宇宙科学研究所のX(Twitter)より