年あらたまり、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回の能登の震災では多くの被害があり 心よりお見舞いを申し上げます。
阪神・淡路大震災の追悼記念もこの17日で29年を迎えました。
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相談室からほど近い中学校、本山中学校では毎月ノーチャイムデーという日があって、長年継続しておられます。この日は、終日チャイムが鳴らないそうです。
このノーチャイム、実は自ら行動するなどの教育目標からではなく、震災を忘れないために設けられたものだと聞きました。
当時、岡本地区も大きな被害を受け、同中学校も避難所になったり、学校に来られない生徒がいたり、教室が使用できない中で青空授業をおこなったり、大変多くの苦労があったそうです。
もちろん、放送も使えずチャイムは鳴らない。その中で、先生・生徒同士声を掛け合っての学校運営だったと聞いております。
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私たちの生活でも、ごく当たり前にあるものがある日突然、奪われる日常。
予期できぬ災害に恐怖し心痛みますが、そういった大きなものだけではなく、個々人の人生における様々な出来事、これも同様、正直待ってはくれません。
失うということの恐さ、しかし時間は刻まれつづけ、この人生を引き受け、ひと続きに時を生きてゆかねばならない私達。どうやってこの不安や恐怖と向きあってゆけばよいか。私自身も自分に問いながら日々を送ります。
そんな時、ノーチャイムデーに学ぶこと。
無音、暗闇、「ない」ということ。
そこで、どんなことを感じるでしょうか。
例えば、黙とうを行ったとき。
目を閉じ深呼吸をしてみるとき。
何を感じ、何が聞こえるか。または何を感じないか。
実は私達は様々な音を出しています。
心臓の音、鼻の呼吸の音、 足や手指、頭髪の擦れる音。自分が知らないうちに体の働き、自然な音が起こっています。普段気に留めていませんが、耳をすませば聞こえてくる音です。
手足のじん、とした感覚が起きたり、沈黙のしん、とした気配を感じたりもします。
騒がしい考えを流し去るためには、自分の頭や心に、元々その騒がしいものが入っている状態を知っておく必要があります。
そのための無音、沈黙の経験。
そして引き換えに、普段自分がとらわれている怒りや不安などを忘れている瞬間・状態も知ります。
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いつも使っている何かを、時間や期間を定めて、使わないでみる。「有る」と「無い」の隣合わせ、連続性を体験する。例えば、スマートフォンを持たない暮らしというのは現実には大変難しい、もはや無しでは有り得ないほどの道具ですが、この機器を使えない・使わないという時間を意図的に取ってみることで、何か気づくことがあるかもしれません。
鳴らないチャイム。これを通してあの日の痛みと堪え忍んだ力を記憶していようという先生や中学生たちの取り組み。
できるところから、実践してみたいと思います。