勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

ネコ様猫さま寝転んで

犬の日はなんだか目立たないのに

猫の日ばかり人気が上がる

ハロウィンの次の日よりも

2月の寒い時にじわっと盛り上がる

日付の位置取りが小憎い日

 

ネコちゃん、猫さん、おネコ様

なんにもしなくて愛される

存在だけでパーフェクト

人類総意じゃないけれど

賛同する人みなハッピー

 

今日は猫の日、何をする

いつも崇めているけれど

一層感謝を噛みしめよう

この巡り合わせを思い出し

一日ニタニタしようじゃないか

 

クレオパトラが連れてきて

ペストの撲滅大活躍

江戸時代では招き猫

昭和の頃からドラえもん

猫は人のピンチにしゃなりと来る

 

ああ、愛おしきネコ様よ

黒、白、茶トラ、ぶちにシマ

輝く瞳に射抜かれて

しなやか尻尾にくぎ付けです

配達荷物にスタンプを

 

のびのび動いてのびをして

ねこじゃらしにはじゃれついて

緩急差をつけ自由です

身体をゴロゴロ鳴らしつつ

猫は寝転び眠ります

 

自己肯定感爆上がり!私の素敵な自己探求(タイトルはAI作成)

今週のお題「自分の好きなところ発表会」

 

なになに、ぴったりのお題がきたぞ。

私が思う、私のいいところ

はいはい、何百書けばいい?

 

というのはできそうでできないことの一つですね。これできると自己肯定感爆上がりするというのでやってみたことはあります! あるんかい、はい。

だって私は以前、コンプレックスしかないくらい、自分を閉じ込めていたのですから。

セルフイメージを挙げるトレーニングを恥ずかしげもなくしてきたことには価値があります。表情ずいぶん変わったものですよ。

 

そんなかんじで頑張ってきたので

厳選の10個をすぐにでも挙げることはすんなりできます、はい。

ジャジャン!

【私が思う、私のいいところ】

①かなりどなたに対しても愛想がよいこと

②日本語に限ってはめちゃくちゃ語彙力が高いこと

③なんでも美味しくモリモリ食べて生きてること

➃虚勢張らずにほぼ自然体でいること

⑤雑学たっぷりで話の引き出しが多いこと

⑥いい感じによく忘れちまうところ

⑦読書と音楽をずっと続けているところ

⑧受け取る力を大きく育てているところ

⑨合った仕事はめちゃくちゃ対応早いこと

⑩流麗な文章を書けること!

 

これでどうだ。

もっとありそやけど、絞るとこうなったのは我ながらいい感じです。

自己肯定感ってすぐに挙がるものではなく(もちろん生まれたときから無敵って人もおりますが、一度下がってしまうとね)、育てていくものかなと思ってます。

自分大好きな人を見て「いいなぁ」と思う気持ちがあれば、自分もそうなれますね。

○○だから素敵、○○じゃなきゃダメというのではなく

わたしは最高!生まれてきてくれてありがとう、わたし!

このマインドを育てるの、かなり楽しいです。

 

何年か前に覗いたことのあるこの漫画はめっちゃ素敵なのでおススメしておきますね。

いくつになっても漫画が好きなのもまた私のいいところです♪

一昔迄まではなんの取柄があるのかよくわからない、まあそこそこ可愛くて優しいヒロインが外から与えられたものでいい想いをするというストーリーが散見されたものですが、そんなの他者に頼り過ぎやん、エネルギー奪いすぎやん、とひねくれてみていたものですよ、はい。

自分のエネルギーを自分で爆発させるような主人公が好きです。

「わたしには、○○がある」

一点突破のこの気持ちはいつになっても素晴らしいですね。

ガラスの仮面北島マヤにしろ、スポーツ系名作漫画はほとんどやし、音楽だってダンスだって、主人公はみんな好きを貫いて生き様を放ってきてますね。

 

そういう意味では、私には書きたいことがある!のです。

読みたいものがある、知りたいことがある、もやけどその辺ちょっと受動的なので、

詠みたい詩がある、伝えたいことがある、のほうが強いかな。

 

まあ今日はなんていいお題でしょう。

運営さん、いつも書きたい欲をくすぐってくれてありがとうございます。

かわいいって際限ないわな

今週のお題「最近見つけたかわいいもの」

 

かわいいっていい加減な言葉だよなぁとつくづく思います。

毎日多用してますけどね、ええ。

ふりむけば、かわいい。追いかけて、かわいい。思い出しても、かわいい。

かわいいの大渋滞です。犬と猫と子どもたちがいる暮らし。

 

子どもたちって成長しても、かわいい。

反抗してても、ツンとしてても、何考えてるか意味不明でも、ちょっと妙な恰好してても、かわいい。

ええ、今朝も道の端っこが凍ってて、早めに家を出た息子がスケーティングしていただけで自分でも予想外に「ゆずるちゃん!」なんて言いかけましたもの。

※親バカは痛々しいだけで罪はないと信じておりますよ、はい。

かわいいはほぼ魔界。

そんなかわいいの大渋滞ですが、かわいいにおぼれてばかりでいいのかをまあ考えてしまうわけです。

人生の目標が「幸せになりたい」ならもうかわいいジャムでいいやん。

あんなかわいい、こんなかわいいも詰めて詰めてキラキラの、かわいいじゃむが人生の到達点か。

 

うーん、それはまた一つであって、終わりじゃないね。

人生の目標は、自分の幸せにとどまらず、かわいいジャム(私にとってのかわいいやつらの詰め込み)がみんな幸せに生きていくことを守っていくこととは言えるかな。

豊かな自然環境はかわいいの宝庫だから守りたい。

身近にいまあるかわいいにそのまま心地よく過ごしてもらうために、自分がかわいいを感じる心を保っていくために何ができるのか。そんなことをぐるぐる考えてます。

 

雑食最強音頭♪

お恥ずかしながら三重に移り住んでもう10年近くになるというのに

鳥羽水族館

行ってなかったのでした。きゃぁ、三重県民なのに。

 

子どもたちは遠足とかで何度も行ってるし、混んでそうやし、あんまりメジャーなところもなぁ、なんて足を遠ざけていた私のバカ!

めっちゃ楽しかったでっす♪

行く機会を作ってくれた末娘、ありがとう!

※大きくなったら飼育員さんになりたいと発表してくれた

写真はフリーのイメージです

なんせ私は海獣が好きなのです。

肉食獣の海版である海獣がたまらなく好きです。

フォルム、瞳、賢さ、自由なかんじ

どれをとってももだえ要素しかない海獣を留めてくれている水族館など施設の皆さま、大変ありがとうございます。

年中無休で運営してくれているのですよ!

もっと鳥羽と縁ができたら年間パスで通います。

aquarium.co.jp

と、鳥羽水族館楽しかったよ報告ではありますが、

ふと思ったのはジュゴンについてです。

大型ののびのびした生き物は私の愛のツボにはまり、しばしうっとり眺めていたら家族に置いていかれた次第ですが(家族もまた自由で団体行動不向きです)

 

ジュゴンってめっちゃくちゃよく食べる。

でも食べるのはアマモなど特定の海藻だけで、それを毎日体重の10%食べまくるのだとか。

観察してみても、水槽の底に置いてある海藻を食べて食べて、ふらっと泳いでぷりぷりっとファンサービスして、また食べる。

めっちゃ可愛くて平和な生き物ではありますが

恐ろしい飼育費がかかるこなのですね、ジュゴンさん。

 

魚食べまくりの身体が大きい海獣たちのエサ代もすさまじいですが、海藻一辺倒のジュゴンが一番飼育費かかるというのは驚きの話です。

でも人間でもベジタリアンの方って、食費かかりますよね。

意識が高くなればなるほど、食べる物には制限がかかって、選んで食べるということはそれを選べる人でなければならなくて、つまり経済力が必要です。

貧困層は食べれないだけではなく、食べるのは安くてお腹にたまるものになるから、そうした食ばかりを続けていくと不健康になりがちでもあります。

健康が先か経済が先か。

まあなにせ、ジュゴンは意識高いベジタリアンの頂点に君臨しているのです。

これが、トップのお姿か

人気者はそりゃぁそれだけ売れっ子なので、堂々と食の好みを貫いてくれたらよいのです。マナティーさんももっとボリュームのある身体やのに、水面の草ばかり食べていました。どんだけストックしとくものなのか、想像するだに恐ろしい。

 

そんな偏食かつリッチな生き物と対極にいるのが、なんでもこいの雑食である、私と子どもたちとニホンザル。ごく身近にわいわい暮らしています。

 

いままで私、苦手な食べ物はほとんどないけど、マヨネーズはダメってことを小学生の有史以来通してきましたが、旦那さんの体重強化のために昨年末から初導入をしました。どうも我が家の食事は身体に付きにくいようなので、秘密兵器導入としてのマヨネーズでした。

最初は隠し味に、少しずつ量を慣らして増やして、食の常連に。

そんな試みが身を結んで、なんかもう普通に食べられるようになっています。

カロリー増加成功!

そして先に体重増加を実感しているのは旦那さまより私の方というおまけつきですが、有史以来のマヨネーズ苦手が克服できたことをここに報告します。

 

となればもうなんていうか、無敵の食耐性ですよ。

私に食べられないものはないと言ってもいいだろう。

どんな味も大丈夫です。マヨネーズがいけたということは、苦手に準じていたドレッシングの数々も一挙に克服なので、フランス料理も好物ってことです。機会があるかは別として、フランス料理よりラーメンが、なんて言わなくていいのです。

辛いもの、酸っぱいもの、苦いもの、臭いもの、私に死角はありません!

なんでも食べられます。何処にいっても悩みなし!

 

そんなところは良いのですが、意識を高く保たねばあっという間に安っぽくなりがちなところは自覚せねばいけないかもしれませんね。

ジュゴンとサルでは、そりゃぁジュゴンの方が選ばれし者感あるよねぇ。

ビーガンの人って粉もの好きより地位が高そうよねぇ。

経済力を上げまくりながらも苦手な食べ物なんかあっては旅や出会いの機会を失って嫌だと強く思う私は、どうあればよいのでしょうか。

 

最強の雑食として人生を謳歌し続けていくために

とりあえずあるものでご飯にしよっと。

美談なんかじゃないんだぜ

今朝はより一層寒かった。

子どもたちの通学時間に合わせて犬の散歩に出かけます。

夏はそれじゃ犬がバテるからもっと早いけど、それ以外はね。

さっさと出発する息子と遅れがちな妹の間を犬と私が途中まで同じ道を歩きます。

 

今朝も私が犬と歩き出した後に娘が追いついてきた感じになり、見ると手袋をしておらず。取りに戻れば遅れるし、大丈夫と言うものの寒そうだなと心配つのりました。

通学路を途中まで一緒に歩いて、学校そばまでお供することもあるけど、大体はかなり手前で分かれて犬とは川沿いの道を歩きます。

娘が追いついてから分かれ道までのしばらく、一緒に歩きながら考えていました。

 

小さな手が寒そうだな。

でも前に娘が手袋忘れて私のを貸したら、その後の散歩でめっちゃ冷えてヤバかったな。そうなるのもキツイな、この寒さだし。

でもわかってて娘の手が冷えて真っ赤になるのはどうしても可哀想で自分が落ち着かない。

とぐるぐる考えた後、犬と子どもたちがバイバイするタイミングで

「これはめとき」と自分の手袋を差し出しました。

すぐに「え、でもママが寒いやん」と言ってくれるのです。

でも「いいって。持って行き」というとニッコリしてはめていってくれました。

ちょっと照れ臭かった私はさっさと犬を連れて別の道に進み、ああ、娘の手がこれ以上冷えなくてよかったなぁって、すごく嬉しかったのです。

 

親心の美談にしたいわけではありません。

こういうの、伝え方書き方が本当に難しくて嫌んなっちゃう。

親は子供に何でもゆずって我慢するのが美徳なんてことはちっとも思ってないのです。

むしろ私は子どもを放ったらかしにしがちで「あなたのため」なんてほぼ思わないし言うこともなく、ほとんどのことは「自分でやりや」という至らない未熟な母なのです。17年母親をやっててもね。

好物はじゃんけんで真剣に勝ってゆずらないし、カレーは中辛しか作りません。

でも今朝は、あの手が学校へ着くまでに冷え切って娘が辛い思いをするのは自分が冷えるよりもっと嫌だなっていう感情をしっかり味わって、好き勝手に生きてる私だけどこんなにも当たり前の親心があるなぁって、そんな自分を知れたことがただ嬉しかったのです。

ACイラストさんから 母子のおさんぽ

自発的に本音で育つ親心というのかな。

こうあるべき!という思い込みでも「お母さんなんだから」という世間体でも外聞でもなく、自分でちょっと迷いながら決めた行動

それがたまたま愛情に溢れてた。そのことが自分で嬉しかった。

 

それはやっぱり大事な存在が居てくれることの感謝があってこそです。母心が先ではありません。

 

そういえば10年前、娘がお腹にいるときにコンクリートのぬめりで滑ったことがあって、ヤバいコケると感じた私は咄嗟に手を着くよりもお腹をかばって、無様に顔を打ち付けました。運動神経がお粗末なもので、上手に手を付ける自信も判断力もなく、ほぼ本能での行動でした。

鼻と顎を勢いよくぶつけて黒くしてしまったその後の姿はマジでお恥ずかしいものでしたが、自分に赤子を守る力があったことにびっくりした後、誇らしかったです。

娘の赤ちゃん時代、抱っこして川を歩いていて滑った時も赤ちゃんは一つも傷つけずにめちゃくちゃ腕を打ち付けたし、あれれ、ずっと同じこと繰り返してますね。

 

でもこれ本音から、自己犠牲ではないんです。無理してやってるんじゃないんです。

自分は辛い思いをしても守りたいほど子どもは可愛いのだからうんたらかんたらという話にしたいわけでもなく、母の愛って美しいわよねという話でも決してなく、

ああ、もう難しいのですが、無理矢理まとめるならば、

人生っていいなって強烈に感じたのです。

 

寒いから、忘れっぽいから、小さいから、私がのろまだから

それでも前向きにお互いの思いやりも示せた。

この気持ちを持てることが、誇らしくて幸せだなって、そんな話です。

 

 

 

 

ここまで書いたのに、タイトルをAIに考えてもらうと「自己犠牲と幸福」みたいになるんだから、嫌んなっちゃうね。言葉で伝えるのが難しいからこそ、言葉を磨くのはやり甲斐のある生き方です。

田舎で子育てする決意を固めた10年前

今週のお題「10年前の自分」

 

今年は流れに乗ってグイっと人生を進めようとしていて、これからのイメージを膨らませている最中です。唐突ですが、まあそんな感じです。

その中で未来、未来、未来をイメージしているのですが、これがなかなか難しい。

40代がイメージする10年後、20年後ですからね。加齢だけで終わらせずに人生の花開きを追加で想像しようとして、厚化粧でもなしスパンコールでもなし、どんな姿になっているのでしょう。姿というか立場というか人生状況こそが肝心なのですが、はて。

 

そんな時に「10年前の自分」というお題です。

10年分ふりこを戻れば10年分勢いで進めるかもしれない。

流れってこういうことですね。

シンプルなふりこの画像が欲しかったけど、子どもの脳トレ玩具みたいなのについキュンとしちゃってこっちで作ってみました。

10年前は、末娘がまだ生まれていなかったときです。

2歳の息子がお兄ちゃんになる前から盛大に赤ちゃん返りをしていて可愛かったです。

上の娘たちはフィリピンのシュタイナー幼稚園に通っていて、これもまた幸せな時間。

よく海に行ったし、ふんだんに果物を食べていたし、南国で寒さ知らずに過ごしていました。

 

それからこれまでの10年で遭った出来事などはまだ何も起こっていなかったのです。

信じられないけど、過去ってそういう時代なんですね。

私はまだ運転免許もなく(学生時代にとらなかったから)、トランペットも吹いておらず、今いる犬も猫も鶏も亀も飼っていなかったし、田舎暮らしをしてから出会った人のほとんどとは何のつながりもありませんでした。10年前。

どんだけ変わっても自分は自分

それでも10年前、私は豊かな山河に囲まれたここで子育てをすることを決めていました。駐在暮らしが後1年くらいで終わることがわかっていたから、居る間にできるだけのことをした後、日本の田舎でたくましく生きていくことを決めていました。

生き物と触れ合いたくて、豊かな自然を肌感覚で学びたくて、子どもの教育に関心があって、自分の仕事を一から見つけていこうと思っていました。

10年前の自分からすれば今は驚きの進歩だけど、

多分描いていた通りなのです。

 

子どもたちを伸び伸び田舎でたくましく育てたかったのです。

自分自身の生きる力もアウトドア時代以上に磨きたかったのです。

お金がどれだけなくなっても家族仲良く生きていけるか試したかったのです。

10年前にそんなことを強く願ったおかげで、貧しくともたくましい今があるのです。

 

子どもが小さな頃はいつも当たり前にそばにいて、一緒に新しい経験をたくさんしたかったです。山や川で遊び、生き物と触れ合い、田畑の恵みを身体で味わい、面白い人とたくさん出会って助け合い、一緒に過ごしながらそれぞれの個性や役割を存分に発揮する、家族という群れを強くしていきたかったのです。

大成功やん。めちゃくちゃ実践してこれました。

 

まあでも貧しさも十分経験したから

子どもたちが大きくなってきて、それぞれの道を堂々と歩もうとしています。

だから今度は無謀なくらいの経済成長を願っているのが今。

今どれだけのことを描けるかで未来は必ずそうなっていくかも。

こりゃ10年後が楽しみだわ。

音楽の種まきを

有難いことに、我が子たちもお世話になった地域の保育園で、金管バンドの演奏をする機会がありましたのです。

いつも一緒に練習しているメンバー8人で、10曲程の用意をして、1時間弱のステージだったのです。

園児たちは、なんとなく思っていたよりも知っている顔が多くて驚きでした。これは移住促進活動の成果です。トランペット携て向き合うのは多分初めてやったけど、大体みんな楽しんでくれたみたいだし、メンバーの綺麗な音を聴いてもらうことができて、それがとても嬉しいです。

それなりに練習はしたものの、私の実力では全然できないことが、仲間と一緒ならちゃんと素敵な音楽になるのですもの。虎の威を借る狐みたいですが、それなりに役割があるから(リズムをとることと高音にしっかり合わせること)、実力不足も許されていると思いたいです。

そんな演奏会、園児の心に残った歌はあったかな。

となりのトトロの「さんぽ」がオープニングで

童謡メドレーとして「アイアイ、森のくまさん、おもちゃのチャチャチャゆうやけこやけ」のアレンジした曲をやって

カエルの歌のシンプル輪唱をしたあと(楽器で)、かえるの合唱というアレンジ曲

 

それから全員で演奏ではないアンサンブルを4曲して、いろんな雰囲気を味わってもらい

また全員でミッキーマウスマーチして

ジブリメドレー(さんぽ、いつも何度でも、君をのせて)をしっとりしっかり

応援ソングとして「一年生になったら」でおしまい

 

アンコールに「踊るポンポコリン」でした。

 

演奏会後は園児が楽器に触ったり記念写真を撮るコーナーも設け、たっぷり楽しんでもらえたはずですね。

 

さてさて、今回演奏した「一年生になったら」という歌ですが


www.youtube.com

私は金管バンドの演奏なので、楽譜があるだけでした。

歌詞どんなだったのかなぁと調べてみると、

まどみちおさんの作詞やったのですね。

100人の友達と富士山の上でおにぎりを食べて

日本中をどしどし駆け回って

世界中をふるわせて笑いたい

なんとまあ壮大なのだと今になって気付きます。

www.uta-net.com

検索するとあらあら「一年生になったら 歌詞 怖い」なんて出てくるから何事かと思いきや

100人友達ができたから自分を入れて101人のはずやのに100人で行動してるってことは1人抜け落ちたってこと?

といういちゃもんでした。概数って知らん人がいるんやな。

それとこの歌が友達が多いことを推奨しているから、友達が少ない自分には残酷だみたいな声もありました。

100人友達って現実的ではなくて、わーっとみんな仲良しみたいにいこうよってことなので、限定しなくてもいいのにね。

まあ、いろんな人がいろんなことを考えるものだとびっくりでしたが

保育園の子は元気に歌ってくれていたので一安心です。

 

児童精神科医で、たくさんの素晴らしい育児書を残してくれた佐々木正美さんが何度も何度も述べられていたことに

「学童期は年齢も得意なこともバラバラないろんな人と関わって育つのがいい」というのがあります。

極身近な人と愛着関係を育てる乳幼児期を過ぎ

限られた仲間と狭く深く関わる思春期の間にある

ほぼ小学生の頃にあたる学童期は、細かい区別なくみんな友達でいいのです。

出会えば友達、犬も虫も太陽も友達でいいのです。

 

この地域の小学校は2つありますが、どちらも小さな学校で、全児童でも100人もおりません。香肌小学校はやっと25人を超えた超小規模校です。

それでも保育園の園児、学校に関わる大人たち、地域の人たちや中学生までみんな集めれば、100人くらいになるかな。学童児が出会う人みんなをざっくりと集めて、わっはっはというイメージを育てていきたいですね。なぜってそれが学童期の健全な発達なのですから。

 

ちょうどこの日は保育園に体験で都会から来てる子と、ご両親もいらしてて、演奏会の様子を覗いてくれていました。

園児もめきめき減っていく過疎地域なのですが、子どもたちはのびのび育っているし、地域の人が演奏に来てくれる温かさを感じてもらえたでしょうか。

私が下手くそという理由で逃げられたら責任重大なので直接の感想は聞かないでおきたいですが、園児らの様子を見てもらえたのならよかったのではと勝手に誇らしく思っています。

お試し移住してみませんか? | 松阪市香肌地域づくり協同組合|飯南飯高の未来を変える新たな取り組み

↑申込まだ募集しているのでしょうか。ご興味ある方はぜひご検討くださいね。2拠点居住として、飯高町にご縁のある人が増えていくのは、嬉しい嬉しい話です。

 

さて12月と2月に保育園での演奏がありました。生の楽器演奏の機会をこの先覚えてくれる子はいるのでしょうか。金管楽器は音を出すまでがなかなか難しいので、やり始めに根性が必要になりますが、何かの種がまけていたらいいなぁと欲を出してみます。

子供たちのこの先に、もしかして音楽の出番があるかもしれません。

演奏は聴いてもらってこそです。拙さを抱えながらも本番を頂けることに、心から感謝して。

飯高町内、或いは周辺地域でも、演奏会などの出番のお話があれば最大限前向きに対応するバンドなので、もしピンときた方あればご連絡待ってます。