好きなものから食べろという教訓
うちの父は私が小さい頃から
いつもこう言ってた。
「好きなものから食べなさい」
その言葉には
父の子供時代のこんな経験がある。
昭和12年生まれの父は
戦時中、
東京から高知県の祖父母宅に疎開した。
小学2年生、食べ盛りの父は、
いつもお腹を空かせてた。
そんなある日。
祖母が大きなサツマイモをもらってきた。
父は目を輝かし、こう言った。
ところが、祖母は
「明日までのお預けだ」と言って
サツマイモをザルの中に入れたのだった。
その夜、
父は明日のサツマイモを楽しみに
眠りについた。
ところが、
寝ていた父は、
祖母に突然叩き起こされた。
空襲警報が鳴っていた。
祖母に手を引かれながら
父は急いで家を出た。
その夜、
高知市内には、大量の爆弾が投下され、
高知市の40%が焼失する事態となった。
高知大空襲だ。
父は、街が燃え盛る炎に包まれる中、
近くの川に、首まで浸かり
朝まで過ごしたという。
そして、朝を迎え、
祖母と家に戻った父は・・・
家が跡形もなく焼失してしまったことを知る。
何もかも焼けてなくなくっていた。
父は走り出した。
焼けた瓦礫をかき分けながら
すると、祖母にこっぴどく怒られ
その時、父は心に誓ったのだという。
そんな父の教えは
私の中にも受け継がれている。
だって、
人生何が起こるかわからないもの。
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
家族でお寿司とか買ってきて食べる時、私だけいつも好きなものから食べるんですよ。トロとかいくらとか。私以外、好きなものは楽しみに取っておくという性格だから、いつも「ママって変わってる」と言われるのだけど、どうなんだろう。好きなものから先に食べるって少数派なのかな? あっ、でも、これ世代によっても違うみたいなんですよ。今度、ぜひアンケート取らせてください。
いつもこう言ってた。
「好きなものから食べなさい」
その言葉には
父の子供時代のこんな経験がある。
昭和12年生まれの父は
戦時中、
東京から高知県の祖父母宅に疎開した。
小学2年生、食べ盛りの父は、
いつもお腹を空かせてた。
そんなある日。
祖母が大きなサツマイモをもらってきた。
父は目を輝かし、こう言った。
ところが、祖母は
「明日までのお預けだ」と言って
サツマイモをザルの中に入れたのだった。
その夜、
父は明日のサツマイモを楽しみに
眠りについた。
ところが、
寝ていた父は、
祖母に突然叩き起こされた。
空襲警報が鳴っていた。
祖母に手を引かれながら
父は急いで家を出た。
その夜、
高知市内には、大量の爆弾が投下され、
高知市の40%が焼失する事態となった。
高知大空襲だ。
父は、街が燃え盛る炎に包まれる中、
近くの川に、首まで浸かり
朝まで過ごしたという。
そして、朝を迎え、
祖母と家に戻った父は・・・
家が跡形もなく焼失してしまったことを知る。
何もかも焼けてなくなくっていた。
父は走り出した。
焼けた瓦礫をかき分けながら
すると、祖母にこっぴどく怒られ
その時、父は心に誓ったのだという。
そんな父の教えは
私の中にも受け継がれている。
だって、
人生何が起こるかわからないもの。
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家族でお寿司とか買ってきて食べる時、私だけいつも好きなものから食べるんですよ。トロとかいくらとか。私以外、好きなものは楽しみに取っておくという性格だから、いつも「ママって変わってる」と言われるのだけど、どうなんだろう。好きなものから先に食べるって少数派なのかな? あっ、でも、これ世代によっても違うみたいなんですよ。今度、ぜひアンケート取らせてください。
コメント
コメント一覧 (2)
過去記事にコメント失礼します。私も食べたいものから食べる派です!なぜなら、空腹時が一番美味しいと思うから。しかも料理は作りたてが美味しいに決まっているので、海老のてんぷらとか冷めて美味しくなくなるものを最後までとっておく人をみると、本当に好きなのか、疑問に思います。
父はお芋さんや南瓜をあまり好みません。
戦争中そればかし食べとった、と悲しい顔をします。